パーティー前夜のロースト・チキンがきらびやかに光っている

ぼくの友人の話では、骨が光るらしいのです。
いわく、骨の持ち主だった者の生命が重ければ重いほどそれはつよく、鋭く、光るとのことでした。
もちろん今でも半信半疑です。
なにせ、ぼくの友人は傍から見たらあまり健常とは言えない言動を繰り返しているのでした。
授業中は中空と会話し、放課後は道端に転がる鴉の死骸を眺める、そんな男でした。
骨が剥き出した死骸を指さし、「ほうら、こいつはボス鴉だろう、骨がこんなにもギラギラとしている」と話しかけてくる。そんな友人をぼくは疎み、おそれ、少しだけ憧れてもいました。
他者の生命の重さを量れるだなんて、まるで一種の神話性を孕んでいるじゃあありませんか。
ともすれば、その神話で力を遺憾無く発揮する彼はその世界の神とも言えるでしょう。

ぼくは勤勉で、どちらかと言えば成績優良です。他者に崇拝されなくとも嫌われるような経験もない。両親は、そんなふうに大人しく息をするぼくを愛しているでしょう。
ぼくはこの世界の影にいました。ぼくだけじゃない、現世に生きる全員がきっと、空っぽなのです───ごく一部の選ばれし者を除いて。
だからぼくは、骨が光るのだという友人の奇特さに背筋のこわばりと胸の痛みを感じざるを得ないのでした。
何を隠そう、ぼくは選ばれし者の友人です。彼には他に仲のいい人がいません。ぼくが選ばれたのだと思います。いや、選ばれました。
ぼくは友人の気味悪ささえ誇りに感じていました。


ふと。
何かがほんのりと緩く光るように見えたのは今年の夏のことでした。
まだ蒸し暑い中、母の葬式が執り行われたまさにその日、ぼくの脳が覚醒をはじめました。
殆ど灰になった母が光っている。
親族たちは誰もが顔を伏せたり、涙をこらえていたり流していたり、おそらく誰も気づいていません。
ぼくも知らないふりをしました。興奮で膨張する胸をさすることしかできない。父に体調を心配されましたが、かなしくて苦しいのだと説明をしました。
ほんとはそんなことよりも、何よりも、ぼくの目にも骨が光って見えるのだという喜びと戸惑いでいっぱいでした。
ゆらゆらと、冷たい空間で光る母の骨。
ぼくらが愛した母の生命はちゃんと重かったのだと、安堵しました。
こんなに重い生命でも骨になるまではただの凡庸なのだと思うと、生命ってなんなのでしょう。そう感じるほど、母の骨はきれいでした。
そしてちくりと、得体の知れない何かがぼくの胃に刺さりました。

それからと言うもの、日常のありとあらゆるものが光って見えるようになりました。
今朝食べた鮭の骨とか、スーパーで売っている鶏ガラとか、道端に転がる鴉の死骸から剥き出す骨とか。
生活の1%程度が光り輝く日々です。
とはいえ、骨なんてそこらにいつも転がっているものじゃありません。たったの1%です、ぼくの生活において変わったのはほんの一部。
それでもぼくは嬉しかった。久しく顔を合わせていないあの奇特な友人と同じ力を手に入れたのだから。
彼の家系では「骨が光って見えるのは大人の証」とされていたようです。しかし、ぼくにはそれは神の証に思えます。
だって人の生死に関する非常が可視化されるなんて、そんな人生どこにあるでしょう。
いつしかぼくは、友人を「神の子」として崇拝していました。
わからないでしょう。あなた方にはこの気持ちがわからないでしょう。知るよしもないだろう。誰も彼も凡庸だ。
さりとて信じる者だけが与えられるのだ。満たされるのだ。神話を嗤うお前らが知ってたまるか。
けれどもぼくは、あなた方を否定したりはしない。神も、神の子も、神の子から与えられし者も、すべての非常は凡庸に対し寛容なのだ。
ああ、今日も近所の焼却場で誰かの生命が煙をあげています。
ぼくが行って、光るさまを見届けて、名前も知らない相手の終着地点が安らかにあることを願いましょう。
しかし、なぜだろう。あの日からずっと胃が痛むなあ。


時は過ぎ、ぼくは妻子に恵まれ順風満帆な生活を送っていました。
言っておくと、骨が光るという話は他言していません。ぼくは与えられし者だし、軽々しく私物化するのはよくないから。
ぼくの力を知らないままの家庭はまるでかつてのぼくが生きたような、この世界の影にありました。
なんだか胸がつかえる日々でした。空っぽなはずなのに、胃の先っぽのほうには一昨日食べた晩ごはんが残っているみたいでした。
ぼくは朝、必ず嘔吐するようになりました。吐瀉物だけでなく、思ってもいないはずの黒い思想も。
いつしか骨は、滅多に光らなくなっていきました。

そんなとき、友人だった彼の訃報を受けたのです。
友人は両親を殺め、その後錯乱し、自身も生命を絶ったようでした。
話は学生時代彼とよく遊びに行っていた喫茶店にいた、見ず知らずの客から聞きました。客もまた、友人から力を与えられし者でした。
客が、ぼくへひとつの小箱を渡してきました。その小箱の中身は蓋を開けるまでもなく、きらびやかに光っています。
友人の骨だと彼は言いました。ちょうど心の臓あたりに近い骨だ、と。
信じるしかないでしょう。目を背けたくなるほど輝いているこの骨が、果たして他の誰のものだと言えましょうか。
それに、最近骨が光って見える機会が減っていたのだから、相当重い生命じゃないとこうはならないはずだ。
客は言いました。「惜しい人を亡くした」と。
そうだ、彼は神の子だったのだから、きっと亡くしてはいけない存在でした。
この世界の光ほど短命です。友人を理解しなかった両親が殺したも同然でしょう。
ああ、今日も胃が痛い。


さて、今ぼくは別居中の娘のためにローストチキンを仕込んでいます。
ぼくの頭がおかしくなったと言う妻の意見を受け止め、ひとりこの3LDKで過ごしているわけです。
明日は娘の入学式のお祝いをするのでした。ぼくの家のほうが広いから、こういうパーティーの際は全員がこちらに集まります。
ぼくは、なんだかんだと娘を愛していました。凡庸な存在だけど、ぼくだって元々凡庸だったから許せると考えていました。
こんなにも夜遅くに、明日のためのローストチキンの下拵えをしているのは、ぼくが家族を愛しているからです。
神の力なんて知ってもらえなくても、ぼくは満たされていました。むしろ、以前のように毎回見えたりしなくてもいい。今のままでいい。ここぞというときに光ればいい。すべての生命は重いが、重い生命ばかり見ているのに少し、疲れてしまったのでしょう。
ぼくには、ぼくにとっての生命の重さだけ見えたらそれでいい。
チキンの身に包丁を入れ開こうとしたとき、着信音が鳴りました。妻からです。
「娘がちょっと熱を出していて、明日いけないかも。ごめんね、でもお祝いはしたいから新しく日程決めようか」
ぼくはもちろん二つ返事で承諾しました。当たり前でしょう。パーティーならいつでもやれる。それよりも娘の体調が心配だ。
「そこまで高熱じゃないから心配しないでね。今から病院もいくし。それよりも、ローストチキン仕込んじゃった?娘がどうしても食べたがってたんだけど…めんどうじゃなければ、次回、大丈夫?」
これももちろん承諾です。今晩仕込んで冷凍しておけば手間はないよ、と返答しました。
あとは娘が入学式で手足同時に出てた話や、出席番号の後ろの子と友達になったこと、その子がキラキラのビーズやシール好きと話していた影響で娘も欲しがっている話なんかをして、通話を終えました。
そっか、娘は光るものが好きになったんだなあ。かつてのぼくや、亡くなった友人や、喫茶店の客の視界世界を見ることができたら、きっと喜ぶだろうな。そんなことをぼんやりと考えながら、中断していたローストチキンの下拵え作業に戻りました。
骨に沿って包丁を入れ、身を開き、香辛料などをまぶして1晩寝かせます。次の日オーブンでじっくりと焼く。娘はぼくの作るローストチキンが大好きでした。
ぷつり。筋の切れる音がしました。そうっと肉を割くと、白い骨が露になります。
あれ、変だな、おかしいな。ぼくは首を傾げました。ぼくの神の力は衰えたはずなのに、だって骨が光っているのだから。
へえ、なんでだろう、友人の骨を手に入れたから力が戻ってきたのかな。そんな風に思うと、懐かしい感覚が首筋を撫でます。ゾワゾワとするあの感覚です。
なんとなく気分がよくなったので、俄然仕込みに力が入ります。愛する娘の笑顔を思い浮かべると、骨は一段と白く輝きました。
次に会ったら娘が好きになったというキラキラビーズを買ってあげよう。入学式で何があったかたくさん話してほしい。通学用に、ちょっとビーズがついた洋服なんてどうだろうか。
今日もなぜだか胃が痛むけど、これからの幸せを考えたらこんなの平気です。わかりませんよね。わかってたまるか。あなた方にわかることなど何一つもない。骨が光って見える何かなど凡庸なお前らにはわかるまい。
だけどぼくにはわかる、ぼくはこのローストチキンの骨ひとつ光るだけで、こんなにも胸が満たされるんだ。
とにかく、仕込みに夢中でした。妻から追加で来た着信には気づきませんでした。
警察からの連絡で、娘を救急病院へ連れていく際に交通事故にあい、ふたりが亡くなったことを知ったのです。

ふたりの骨は今まで見た中で最もきれいに光っていました。
ぼくは現在、まだ3LDKでひとりのうのうと生きています。後悔の色が乱反射する白い骨は、いつまでもいつまでもぼくの視界から消えないのです。
「神」でも「神の子」でもなく「与えられし者」だから知りました。知りたくなかった。
「神の子」よ、生命は失ってから尊くみえてしまうそのことを、知っていましたか。あなたの骨だってちゃんと光っていますよ、今日も。

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