夏暁の花|小説④

求められれば何にでも応えることができた。
何をしても大抵完璧にできた。
 告白を受けるのも日常茶飯事で、でもこの人は私のこと何も知らないんだよなーと興ざめしてしまって、私はその繰り返しで、彼氏なんか出来たことないわけで。

「ごめんなさい、今は誰とも付き合う気がないの」

 がっかりさせてしまうことに何も罪悪感はない。だって、みんな私のことを知らない。
 私の名前を、知らない。

「茉莉花」
「……はい」

 私は、茉莉花だった。戸籍上は百合花だ、でも私は茉莉花だった。

 中学生の頃に母が亡くなり、父は壊れた。
どういうメカニズムなのか、父はそれから今まで私のことを母親である茉莉花だと思い込んでいる。
私は百合花だ、と反抗しても父はぽかんとして何も分かっていない様子だったのでいつしか諦め、百合花という生き物はタブー扱いとなった。

「今日のご飯も美味いな、仕事頑張ってきて良かった」
「……ありがとう。作りがいがあるわ」

 それを聞いた父は嬉しそうな顔をしてじゃがいもを口へ運ぶ。
その口は私を茉莉花にし、キスをし、体中に愛撫をした口だった。
正気に戻れば父は死んでしまうかもしれない。少なくとも母が死ぬまでは普通の父親だったのだ。

 私の正気といえばどこかへ飛んでいってしまったので安心だ、もうこんな生活どうだっていい。
 だって、百合花はもういない。

 打って変わって、高校生活は順調だった。友人も多く、長い間学級委員をやっているため教師からの信頼の厚さも感じる。

好きな科目は現代文、苦手な科目は生物。
日々の楽しみは、お昼休みに友人と駄弁ること。苦手なことは、トイレに行くこと。必ず誰かついてくるので息をつく暇がないのだ。
部活はやっていない。
茉莉花は、夜に帰宅してはならない。夫が帰ってくる前に家事を済ませ、暖かく迎えなければならない。

「あ、」

 春爛漫、桜の季節。
そうして私は高校生活三年目に突入していた。クラス替えを見て仲の良い友人が見事に散らばったのを確認し、思わず小さく声をあげた。

 そして出席番号一番、相沢百合花。私はいつも通り見て見ぬふりをし、忘れる。

 教室へ入ると、私は窓際一番前の席へと座った。
すると、騒がしい教室の中で何となく知った顔が寄ってくる。私はいつも通り愛想のいい対応をして会話を繰り広げていった。

「……ちょっとそこいい?」

 初めて見る男子だ。その男子から、後ろの席にもたれかかっていた女の子に一声かかる。
それは、静かに溶けゆくような声だった。どうやら横のカバン掛けにカバンが掛けられないらしい。慌てて場所をずれる女の子に一礼して、彼はその席へ座った。

「ねえ、初めて同じクラスになるよね?名前教えて?」
「……え、あ、うすいいちか」

 急に俯いたせいで無造作に分けられていた彼の前髪が崩れてばさっと顔を隠す。合間から見える耳は、真っ赤に染まっていた。

「うすいくんね、覚えたよ。私は相沢です。卒業までよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」

 周りも習って口々に自己紹介をし始める。
けれどうすいくんはあまり顔を上げて話してはくれなかった。元々小顔なようで、長めの前髪で表情が隠れてしまっている。
そのせいか、自己紹介が一通り終わるともう誰もうすいくんに話しかけたりはしなかった。

 せっかく綺麗な顔をしてるのに、勿体無い。
それが第一印象だった。一瞬見えた顔は信じられないほど端整で、体も細っこく、その手の女子には大受けするだろう。
中性的な要素が強いわけではないが、惹きつけられる綺麗な顔立ちをしていた。
 こんな男の子に出会ったのは、初めてだった。

 その後担任が来て業務的なホームルームが終わり、めでたく三年連続学級委員となった私は名簿を渡された。
 私の後ろ。出席番号二番、碓氷一架。珍しい名前だ。
ふりがながなければ早々読めやしないだろう。
他にも今日話しかけられて友人になった名前をきちんとチェックしておく。

 クラスの生徒がほぼ疎らになった頃、そっと後ろを振り向いた。
うすいくんはもう帰ったか、部活に行ったようだった。その代わり、机に小さく花丸が書いてあるのを見つける。
学年が変わる前に机は拭かれて綺麗になっていたはずだ、多分これはうすいくんが書いたのだろう。

 ……なんで、花丸?

 暗い子だと思っていたけどこんな落書きをするくらいにはお茶目なんだな、と頭の片隅にインプットしながら私は教室を後にした。

その後、事あるごとに碓氷君を観察してみたが、彼には友達がいないようだった。
目の前でいつも友人に机を囲まれる私を尻目に、休憩時間は校庭を見つめ、昼休みはお菓子を食べながら本を読んでいた。そして放課後になるとひっそり一人で帰っていく。
 それを見て私は気を遣ったりはしない。
私は密かにこういう人間を見下して生きるのが好きだった。自分は決してこんな風にならないし、なった事もない。一人ぼっちになんかならない。
碓氷君のような人間は何が楽しくて学校生活を送っているのだろうか?友達が出来た事がないのだろうか?こんなに友人に囲まれている私を羨ましく思ったりするのだろうか?

「相沢ちゃん、伝言。アイツが放課後教室に残ってくださいだって」
「え?」

 教室の前で、見知った顔がこっちを見ている。去年同じクラスだった男子だ。その子は私と目が合うなり一目散に退散してしまった。

「告白じゃない?」
「やだ、まだ分からないよ」
「絶対そうだよー、相沢ちゃんほんとモテるんだから」

 可もなく不可もないような顔の友人が茶化してくる。
どうせ誰とも付き合わないのだから、告白はもう私にとって面倒な事この上ないイベントだった。
この子に譲ったっていい、放課後教室に残ってくれなんてどうしてどんな図々しいことを命令できるのだろう。

「相沢ちゃんはどんな男がタイプなの?」
「うーん……」

 彼氏なんて自分に作れるはずがない。好きなタイプなんて、ない。
でもここは穏便に、普通に、答えなければならない。

「優しく受け入れてくれる人、かな」

 自然と出てきたのは、それだけだった。けれどそれは、面白いほどすんなりと口をついて出てきた。

「へえー、確かにそういうの大事だよね。暴力振るう男とかもいるしさ、そういうの最悪だもんね」
「そうだね、付き合っちゃ駄目だよね……えーと、碓氷君はどんな女の子が好きなの?」
「あ、聞きたーい!!」

 後ろを振り向いて、意地悪のつもりでいきなり話を振ってみる。
が、校庭を見つめる碓氷君からのレスポンスはない。机の上には一昔前のipod。そこから伸びたイヤホンで彼は周りの音をシャットダウンしていた。
 私は手を伸ばして右耳のイヤホンを外す。

「わ、」

 ガタン、と椅子が後ろへ大げさに後退していった。友人もその動きに驚いて、表面上だけ引きつった笑いを見せる。

「ごめんね、返事がないからつい」
「いや、こっちこそ……何?」
「碓氷君はどんな女の子が好きなの?って聞いたの」

 彼の顔が少し上がって、表情を明るみにする。
初めて話した時は耳だけが真っ赤だったが、今回は顔全体が真っ赤になっていた。細く長い指は机の上で握り込まれ、力がこもっている。

「……多分、手の届かない人」
「手の届かない人?」
「碓氷君分かりにくーい」

 友人のノリに真面目にごめん、と謝る碓氷君は、続いてやっぱり今のなし、と答えた。

「芸能人で言うと誰?」

 友人がもういいじゃん、と言いたげにしているのをよそ目に私は碓氷君に突っ込む。
ipodの電源を切って左耳のイヤホンも取った彼は、また俯いて何かを考えている。

「……分からない、芸能人はあまり興味がないかな」
「じゃあ今何の音楽聴いてたの?」
「今聴いてたのは、ヒカル」
「いいね、私もヒカル好きだよ。他には何を聴くの?」
「適当に何でも聴く、かな」
「そっかー」
「相沢ちゃんは何聴くのー?」
「私はねぇ……」

 碓氷君はそこから完全に離脱してしまった。おもむろにまたipodの電源をいれ、イヤホンを耳にかけ、静かに校庭を見始めた。
それに反比例して友人はほっとしたように話を弾ませる。私も普段通りそれに上手く乗り、彼女と楽しい昼休みを過ごす。

「碓氷君、ねえねえ」

 しばらくして、背後から珍しく女子が碓氷君に話しかけているのが聞こえてくる。
声からして、文芸部の高野さんだ。あまり目立つような事はしない子だが、顔はそこそこ可愛かったと思う。
 私は友人に話を合わせながらも、耳を欹てた。

「碓氷君って部活に入ってないよね?」
「うん、入ってないよ」
「良かったら文芸部の冊子に短編小説とか書いてくれない?よく本読んでるし作文得意そうだし」
「ごめん、僕本を読むのは好きだけど物書きには向いてないよ」

 意外だった。碓氷君がハキハキと喋り、きっぱりと断っている。

「どうしても駄目?このいちごミルクあげるから、ほら」
「……買収?」

 ふ、と小さく笑うのが聞こえた。あれ、碓氷君って笑う事あるの?

「だって本読んでる時いつも飲んでない?」
「最近ハマってるだけだよ」
「甘党なんだー」
「そうかもしれない。でもとりあえず、物を書く気はないんだ、ごめん」

 その一言で、すんなり勧誘は終わったようだ。
引き続き甘ったるい声が碓氷君と会話をしている。
もしかして、彼に気があって声をかけたんじゃないだろうか。クラスでバカ騒ぎしている男子よりも、窓際でゆったり自分の時間を過ごしている彼が魅力的に見えてしまったのだろうか。

「今何聴いてたの?」
「えっと、ヒカル」

 まだ聴いてたんだ、ヒカル。

「ヒカルは明るい歌より暗い歌のほうが好きだなー」
「僕もそう思う」
「だよね、あと最近デビューした……」

 何やらさっきより断然盛り上がっている。
友人と携帯のアプリの話をしながらも、私は碓氷君達の会話の内容を聞き取るのに必死だった。
 なんでだろう、私の方が上手く話せると思っていたのに。碓氷君は高野さんと話している方が断然楽しそうだ。

その日、私は終日イライラしたまま家路を急いだ。
よく考えずに買い物をしたせいで無駄なものまで買い込んでしまい、重くなったビニール袋で手を痛めながらまたイライラを募らせた。料理の手際も悪い。
いつもなら上手くいくことが、上手くいかない。こんなの茉莉花じゃない。

「……なんなのよ」

 出来上がったしょっぱい料理をゴミ箱へ流し入れながら、思わず呟く。自分でもこのイライラの原因がよく分からない。自分のことはよく分かっているつもりだった、上手くコントロールしてきたつもりだった、なのにこんなにも乱されてイライラする。

「ただいま」
「あ……おかえりなさい」

 ついに晩ご飯が出来上がらないままお父さんが帰ってきてしまった。何て言い訳しよう。百合花はゴミ箱をチラリと見て唇を噛む。

「どうかしたのか、茉莉花」
「ごめんなさい、晩ご飯がまだ出来ていなくて」
「君らしくないね。何かあったの?」
「新しい料理に挑戦したら失敗しちゃったのよ」
「茉莉花は案外ドジだよね」

 お父さんはネクタイを緩めながら、嬉しそうにしている。その表情を見て百合花は心の底からホッとした。
少しでも違和感を感じさせてはいけない、私はいつも家事をきちんとこなす完璧な妻なのだ。

「今日はなにかお惣菜でも買いに行こうか」
「そうね、ごめんなさい」

 エプロンを外すと同時に、後ろから抱きすくめられる。思わず体がきゅっと固まり、縮こまった。

「何かあったらすぐ俺に言うんだよ、茉莉花」
「……はい」

 胸のわだかまりとイライラを融解させ、私はお父さんの腕に手を添えた。
その続きを知り尽くしている身体は、ゆっくりと心と離れていった。

いいなと思ったら応援しよう!