【文学フリマ東京39】ヤンデレアンソロ ルージュ参加作「偏愛に至る病」について
収録作「偏愛に至る病」
鏡の中の自分自身は、笑っているような、引き攣っているような、安堵しているような、藁にも縋っているような、犯行声明を声高に叫ぶ映像を録画している爆弾魔のような――何とも言えない奇妙な表情をしていた。
先に告知記事を書きましたとおり、2024年12月1日(日)東京ビッグサイト開催の「文学フリマ東京39」にて販売される「ヤンデレ」がテーマのアンソロ本「ヤンデレアンソロ ルージュ」に、「偏愛に至る病」という作品を書き下ろしました。
上記引用部分は、作品のプロットを練っていて、全体の構成についてこれで行こうと決まった段階で、わりと早い段階でするするっと生まれた文章です。この作品を締める一文としてなかなか気に入っている一節です。
……改めて言います。
上記引用箇所は、作品を締める最後の一文です。
主宰の西野氏から自作の一部を任意で抜粋してもOKとお達しをいただいたので、どこを出そうかなと考えた結果、ラストがいいだろう、と。
果たして、何がどうなってこの一文へとたどり着くのか。それは購入して読んでのお楽しみ、ということで――
……さて、思いきり順番が前後しましたが、以下この作品の執筆にあたってのもろもろを書き綴っていきたいと思います。
アンソロ本、二度目の参加表明
昨年の文学フリマ東京37でも、西野氏企画の「夜」をテーマにした「夜温」というアンソロ本に「十六夜月よ、優しくあれかし」という作品で参加させていただきました。
その辺りの経過や主宰の西野氏の紹介などについては次の記事にまとめてあります。
昨年は仕事が特に忙しい一年だったため、年間で一、二を争う(もう一作はこちら。もはや懐かしいな)くらいに力を入れて執筆した思い入れのある作品ですし、また何より、会場への参戦はできませんでしたが、自分の作品が初めて紙の本になるという経験は、やっぱり特別なものでした。
なので、文フリ終了時点で「また機会があればアンソロに参加したいなあ……」という思いは持っていたのでした。
自分自身では単独で本を作るとかはあんまり考えていない(暇がないし、進捗管理やデザイン等滞りなくこなせる気がしない)ので、完全にお誘い待ちなふてぶてしい考えではありますが。
そこへ今年、再び西野氏に、しかも今度は指名で声をかけていただきまして。
もはや二つ返事でOKさせていただいた、とこういう次第でございます。
(あ、正確には仕事等のスケジュールを確認してから承諾しましたが)
作品の方向性を決めるまで
さて、アンソロ本に参加したい気持ちが溢れて軽率に手を挙げたわけですが、大きな問題がありました。
すなわち、「ヤンデレ」テーマで自分はどんな話を書くべきか? という命題ですね。
西野氏からは『この人のヤンデレが読みたい! と思った方に声をかけた』とのありがたいお言葉をいただきましたが、さて、どういう方向性で書こうかな、と考えると、たちまち迷宮に陥りました。
そもそも「ヤンデレ」と一言で言っても、単に愛情が重たいってだけから、片想いに両想い、誰かを害するのも厭わない、逆に誰にも迷惑をかけない、見るからにヤバい行動をする人と表向きは態度に出ない人と、後は二人の関係性や立場でも、いくらでもバリエーションがあるわけです。
そして、amanatzは決してヤンデレを得意にしている人ではありません。
愛が重たい人、愛情表現が極端なキャラクターならば、それなりに書いてきました。こちらなんか自分ではかなり気に入ってます。
……が、これがヤンデレかと問われるとどうだろう、という気もします。
そしてamanatzは、作品にひっくり返し要素を入れることが大好きなので、こういうヤンデレ的な極端な人を話のオチとして使うことが多いわけですね。例えばこちら。
こうした書き方については得意分野と言えそうですけど、でも果たして、「ヤンデレアンソロ本」で「ヤンデレをオチに使う」ことが求められているのか? という疑問がありました。ヤンデレアンソロ本の需要は、やはりヤンデレの重たい感情をしっかりねっとり描くことなのではないか、という。
などともろもろ頭を巡らせた結果、ひとつの閃きがありました。
いっそ、「ヤンデレとは何か?」を分析・研究する話にしたらどうだろうか?
ヤンデレってもはや人口に膾炙したキャラ設定のひとつって位置づけなのかもしれないですけど、実際のところ、正ではなく負の方向性を帯びるほど強い感情でもって、人を極端な行動や狂気に駆り立てる、すさまじいエネルギー、パワーの塊なんですよね。
ならば、その強い感情はなぜ生まれるのか、本人や周囲にどんな影響を及ぼすのか、どうコントロールすればいいのか、あるいは活用する方法はないのか――そんなことを研究し学問に昇華する、みたいな設定、面白いんじゃないかなと。
……ものすごい変化球です。ほぼSFですね。
なお、この時点で「偏愛に至る病」という語は有力なタイトル候補として出ていたように思います。偏愛という奇妙でそれゆえ美しい感情がなぜ生まれるのかを、登場人物の「症例」を描きつつ解き明かしていく、みたいなイメージですね。
いやいや、そんなおかしなアプローチの作品を目次に加えてしまっていいものか? 暴走しすぎでは? と、当然逡巡はありました。
しかし、しかしですよ。
今回のアンソロの参加メンバーは、いずれ劣らぬ感情豊かな文章表現の名手ばかり。約一名が多少暴走しても、じっくり重たい感情や関係の描写という王道路線は、きっと自分以外の皆様が満たしてくれるだろうと。ならばそちらは任せて、自分は変化球で行こう、などと思ったのです。信頼の為せる業です。
プロット時点の紆余曲折
……しかし、この方向性、面白そうなアイデアだ! と当初は考えていましたが、それ以上にひとつの作品へと練りあげるのが非常に難しいなってことに、amanatzはほどなく気がつきます。
ヤンデレとは何かを研究する、といっても、人間の感情の発露をこれこれこういうものだ、なんて作中で安易に結論付けるのは、もちろん悪手です。
(まあ、病み感情だけでなくすべての感情が解析され尽くしたディストピアでどう生きるか、みたいなハードSFにするって手もなくはないですが)
そしてそれをどう物語として調理するか。amanatzらしい驚きやどんでん返しを組み込んだ展開にできるか。それも、自分らしさを出すためには外せないポイントと考えていました。
そもそも、医学的な研究の界隈ってamanatzにはとんと無縁な世界の話なので、その辺りのリアリティも心許ないところでした。
勉強のためにと、漫画喫茶に行って「フラジャイル」を一気読みしましたが、たいへん面白かったです。医療系の話って綺麗ごとだけじゃ絶対に立ち行かないから夢物語にならないし、そんな現場でも夢や理想を信じることがいかに強く気高いことか――はい、かこつけて読みたかっただけですすみません。
……などとあれこれ迷走した結果、なかなか医学的なアプローチは難しい、もし書くなら一年はじっくり準備する必要がありそうだと結論。そちらの要素はあくまでも舞台設定の背景にとどめ、そうした世界に生きるヤンデレ含むキャラクター達の生きざまや関係性を主軸にしよう、ということに落ち着きました。
なので、舞台はあくまでも現代。現実と地続きの設定です。
そして、SF的考察要素を抑えた一方、一時はばっさりなしでもいいかとまで思っていたヤンデレ当事者の一人称による感情の描写も、せっかくなのでしっかり入れることにしました。
なので、変化球には違いないのですが、そんな突飛なお話にはなっていないよな、というところに落ち着いています。
執筆して
設定と展開が固まっていざ書き進めてみると、想定よりもするすると筆が進みました。
逆に筆が進みすぎて、中盤の展開がかなり分厚くなり、作品規模は一万字までと指定がありそれを踏まえてストーリーを編んだつもりが、書きながら「これ、二万字くらいが適正なのでは……?」と考えてしまうほどに膨らみました。
物語に自然と厚みが出た、ということなのでプラスに捉えていますが、ただ終盤が少々あおりを食って駆け足気味な展開になってしまったかなというのはちょっと反省。
でも、ラストはいろいろと「畳み掛けて」いますので、バランスが少し歪なぶん勢いは生まれているかなと。
この記事の冒頭に引用した締めの文を、果たして皆様はどんな感情で読むことになるのでしょうか。楽しみです。
何卒よろしくお願いします
そんなわけで、普段はあまり自作について語り過ぎないようにしている反動で長々とだらだらと綴ってまいりましたが、とりあえずこの夏amanatzが力を入れて執筆した作品なんだな、ということが伝わっていれば幸いです。できればもう一声、ぜひ購入して読みたい! と感じていただけていればさらに嬉しいです。

西野氏の記事のほうで、当日の取り置き予約やその後の通販予定についても説明がありますので、ぜひそちらも改めてご覧くださいませ。
そして、文学フリマ東京39もうひとつの参加作、「ウタ・カタ vol.1 浮く」収録の「浮かばれない」も、どうぞよろしくお願いします!
