LGBTQへの意見/生物学的欠損品のトリセツ

昨今、LGBTQが人の口の端にあがることが増えてきたようだ。最近は、戦争、地震とより報道するに重要なことがあるから聞かなくはなったものの、依然としてsnsでは言説が流布している。

私として、コレについて私見を述べたい。

人について考えるときに、何かを引用することはほとんど意味をなさない。だから前提から見ていくとしよう。
まず、人はそもそも生物だ。そして生物の目的は「種の保存」である。
コレを理解するために人間について具体的に述べてみよう。
例えば、人が食べるのも、寝るのも、趣味をするのも、人と付き合うのも、孤独が辛いのも、お金が必要なのも、贅沢をしたいのも…
すべては最後は種の保存へと流れ着く。そして、私たちの意思も願いも哲学もその目的の前には無力だ。
つまり、配偶者を手に入れ、子孫をより多く作ることが人生の目的であり、人生ゲームなら上がりの地点ということになる。

このことから考えてみても、LGBTQはどうであろうか?
生物として彼らは「欠陥品」である、そう私は思う。

彼らが幾ら最もらしい理屈を排水孔から垂れ流そうと、その憎たらしい口も彼らの親が生物的に生殖をする機能を有し、かつ、営みをしないことには生まれなかったのだから、皮肉というものだろう。親の意思たる遺伝子を乗せる子どもは泥舟だというのに、、、。

生物として欠陥品の彼らが何を言おうと、所詮は壊れたオルゴールから奏でられる歪んだ旋律に過ぎないというものだ。

彼らがその「我儘」を捨て去り、遺伝子の乗り物として相応しい振る舞いをすればいいだけだ。女なら男と、男は女と、ただくっつけばいいのだ。コレほど明快なことは無い、どうしてシンプルなことができないのだろうか。

そしてもし、それができないなら他人の力を借りて子孫を作るべきではないと申し上げよう。
彼らのような欠陥品が子孫を作らないことによって、「自然淘汰」が適切に行われ、ますます生物は進化していける。だから、大切な踏み台なのですよ。

結論としては、LGBTQの人は己の信条を貫けば良いと思う。ただ、他人の力を借りないことが条件ではあるが。
人に自分の我儘を押し付けて良いのは赤子までですよ。


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