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ChatGPTを使うのは甘え?──その指摘に、私はこう考えた。


「ChatGPTに頼るのは甘えだ」

そんな言葉を見かけることがあります。でも私は、それを聞くたびにこう思うのです。 

「そもそも、“甘え”って何なんだろう?」



■ 甘えの要素を再検討する


「甘え」という言葉には、さまざまなニュアンスがあります。
人によって受け取り方が違うのも当然です。

私なりに「甘え」と言われたときに思い当たる意味を、いくつか挙げてみました。

  1. 感謝を忘れる

  2. 責任を放棄する

  3. 安心の証

  4. 便利なツールを使う

この4つの中で、「ChatGPTを使うこと=甘え」とされる場合、
おそらく 1 や 2 のような、否定的な意味と結びつけられていることが多いのだと思います。


■ 便利なツールを使うことと、責任を放棄することは別の話

たとえば、

「便利なツールを使うことは、責任を放棄することだ」

──そんなふうに言われることがあります。
でも私は、そうは思いません。

便利なツールを使うことと、責任を放棄することは別の話です。

むしろ私は、責任を放棄しないためにこそツールを使っています。
ChatGPTに頼っているのは、「自分の言い回しに失礼がないか」「もっと伝わる表現はないか」「日本語の使い方に違和感はないか」を丁寧に見直すためです。

ツールは「丸投げするためのもの」ではなく、「より丁寧に届けるためのもの」として使っています。

便利なツールを使うことが、そのまま責任放棄になるとは、私は思いません。


■ 安心と感謝も、切り分けて考えたい


また、こういう言葉もよく聞きます。

「安心すると人は感謝を忘れる」

たしかに、「慣れ」や「依存」が感謝を薄れさせることはあります。
でも、安心することと感謝を忘れることは、まったく別のことではないでしょうか。

むしろ私は、安心できる環境にいるときこそ、感謝の気持ちが生まれやすいと感じます。
安心は、信頼や信頼されている実感の中でこそ育つものであり、
感謝を忘れる人は、そもそも最初から誰にでもそうなのかもしれません。

安心すること=感謝を忘れる
とは思いません


■ 問題なのは「ツール」ではなく「態度」


以上をふまえると、
「甘え」の問題はツールそのものではなく、その使い方や姿勢にあるのだと思います。

  • 便利なツールを使うこと

  • 安心できる環境に身を置くこと

これらは、本来「悪いこと」ではありません。

便利なツールを使うことや、安心できる環境をつくること。それは、“甘え”ではなく、私にとっては“生きるための工夫”です。

問題なのは、感謝を失ったり、責任から逃げたりする態度です。

ツールを使うことそのものが悪いのではなく、

それによって感謝や責任感が薄れる“使い方”にこそ注意が必要だと思うのです。

“誰かが親切”にしてくれることや“誰かが教えてくれること”が当然自分に起こると考えてしまっていないか。

貰うのが当たり前になっていないか。

自分に起こった事にありがとうや感謝の気持ちを伝えることが出来ているか。

▲ChatGPTに直接ありがとうを言うと処理負荷が凄いらしいので私はnoteに書いている。

力した文章を自分の文章として出した時、コメントや質問が来てもそれに自分の力で答えられるのか。

そしてそれは、どんな事にでも起こりうることでChatGPTに限った現象ではありません。

それは“繋がり”を大切に出来ているかということに、最後は帰結しているように思います。


■ ChatGPTに「甘える」とは言えるのか?


ここまで考えて、私はやはり「ChatGPTに甘えている」と言われても、あまりピンとこないのです。

今のところ、使っていて大きなマイナスは感じていませんが、もしかすると、私がまだ気づいていないだけかもしれません。

“甘えだ”と感じる人の見ている景色も、どこかで知れたらと思っています。
きっと「甘えている」という人は「甘えていない状態の理想形」があるのだと思うからです。

ただ、人には好みがあるので自分で書く派、好きなものを読む自由はあると思います。

今の私は、それを“好みの問題”として受け止めています。

言い換えれば──趣味の世界のようなものなのかな、と。

(デジタルカメラは甘えだと言っているフィルム派みたいなもの?というイメージ)

自分の感性に従った自由な発信の中で、“繋がり”をいかに大切にするか
これが大切なことなのではないでしょうか。

他にもChatGPTへの批判については、
noteのコミュニティの質が下がる
→noteはAI機能をつけているくらいなのでAI推奨なのでは。
人間関係が希薄化→そう思わないし、希薄化するほど人間関係が密ではない。
能力が落ちる→そうは思わないし、能力が落ちるほど能力が無い。
などなど思いますが、きっと言う人は「理想の形があるんだろうな」と思ったりしています。


■ おわりに

「甘える」という言葉には、曖昧さと圧力が同居しています。

感謝を忘れ責任放棄しない限りは、趣味の世界で選び遊ぶ自由があると思っています。

だからこそ私は、あまり曖昧な言葉に振り回されずに自分の感覚や判断を大切にしたい。

便利なツールを使うこと、安心できる環境をつくること。
それは、「甘え」ではなく「生きる工夫」でもあるので、繋がりを大切にしながら私自身はどんどん推奨していこうと思います。


「あなたにとって、“甘え”とは何ですか?」
そこからあなたの歴史と価値観が見つかるような気がします。


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