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第5章|構造を壊すことは、なぜ「人間らしい」と思われたのか?

※このシリーズは
「構造を持たず理解しないものが、攻撃性のある強い感情のまま行動した場合」を「革命家」と例え展開していきます。

※政治的な意図は無く、実際の革命家への否定の文章ではありません。(革命家でも構造を持つ革命家も居ると思います。)

「比喩を理解する人のみ」が読者対象です。
「そうはいっても構造のある革命家も居るのでは?」などの政治のコメントには返信しない事にします。

政治のお話ではなく、あなたの周りにいる「革命家」を思い浮かべながら読んでみてください。


第5章|構造を壊すことは、なぜ「人間らしい」と思われたのか?

壊すことは、本当に人間らしいのか?

それとも、壊すことでしか“人間らしさ”を実感できない構造に、私たちが閉じ込められているのか。

人間は、世界に影響を与えた(と感じた)とき、自分の存在を実感する。
これは自己効力感とも言われる。

「壊すこと」は構造を考えなくても良く、シンプルで確実に目に見える自己証明にもなる。

構造を壊す=変化を起こす=自分が影響力を持っていると感じられる
これを「自分の存在を確認出来るという快楽」とも言い換えられる。
そこには快の感情が宿る。
この三段論法が、「破壊=人間らしさ」と誤解される温床になっている。

建てるよりも、壊すほうが楽だ。
変えるよりも、否定するほうが早い。
問いを持ち続けるよりも、「怒り」という感情に身を任せるほうが簡単だ。

「構造を組み立てる」という「複雑で負荷の高い思考」をスキップしながら
それでいて、社会に影響を与えられる
「正義」を振りかざし、快の感情に浸れる。
被害者の立場で「考えることを放棄」出来る。
誰かの意見に賛同して考えなくても良い。
これほど手軽な事はそう無い。

実際、歴史的にも多くの「人間らしさ」がこのように表現されてきた。

  • 「革命家は英雄」であり、体制を壊した側が称賛される。

  • 「鋭く批判する者」が、あたかも構造を理解しているように見なされ、称賛される。

  • 「既存を否定すること」が、まるで新しさや進歩の象徴のとして扱われる。

だがその背後には、構造への“怠惰”や“無理解”が覆い隠されていることが多い。

ここで問いたいのは、
人間は本当に、構造を壊すことでしか自由になれないのか?
ということである。

むしろ逆ではないか?
構造を理解し、その中に自分の位置を見つけたときにこそ、人間は自由になれる。

誰かの物語や“空気”
ではなく、自分の言葉で構造を語れたとき、
はじめて主体的に「変える」「交渉する」「配置し直す」ことが可能になる。

しかし多くの人は、「構造」という言葉そのものにアレルギーを持つ。
それは学校教育が「構造=複雑で抽象的なもの」として教えすぎたせいかもしれないし、
「個性」や「感性」の方が称賛される文化のせいかもしれない。
「理性」=感情を封じ込めるものと思われるからかもしれない。
「枠にはめる」事と構造を混同しているのかもしれない。

だが、構造を知ろうとしない自由は、
やがて構造に使われるだけの無力な自由へと反転する。

選んでいるようで、自分から「枠」へ入って行く。

構造を知らずに怒る者は、
結局のところ「怒りやすく設計された構造」に従って動かされてしまうからだ。(煽りに乗せられる)

壊すことが人間らしいのではない。
壊すことでしか自分を感じられない社会の構造の中に、人間が閉じ込められているだけなのだ。
だからこそ、必要なのは“構造からの解放”ではなく、
構造に対する深い理解=構造知性である。
(=作り替えて更新していける知)

次章では、この“構造知性”とは何かを具体的に掘り下げ、
破壊ではなく更新によって社会を変える方法について述べていく。


第6章「構造を“見る”知性──革命より静かな更新を」


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