短編小説│星告げと氷の宰相 後編
「王兄上の命が狙われた一件、最も詳しく知っていたのは……一体誰だ?」
その問いに、居並ぶ廷臣たちは言葉を失った。
「それは………」
誰もが口を開きかけ、しかし続けられずに押し黙る。
「――宰相のシルヴァリオ=アルトーンだ」
弟殿下が誰も口にできなかった名を告げると、場が凍りついた。
「毒を疑い、先回して動いた。あまりにも出来過ぎではないか」
「……確かに」
小さく、同意の声が漏れる。
「王兄上の厚い信任を得る一方――その裏で、王を害そうと目論んでいたとすれば?」
「しかし…証拠は……」
一人の廷臣が、耐えきれず声を上げた。
次の瞬間。
弟殿下が机上に書物を叩きつけた。
乾いた音が広間に響き、廷臣たちは息を吞む。
弟殿下は拳を固く握り締め、声を張り上げた。
「王兄上を謀る不届き者を――私は、断じて許さぬ!」
◇ ◇ ◇
「シルヴァリオ=アルトーン」
名を呼ばれ、彼は静かに筆を置いた。
顔を上げ、衛兵を見据える。
険を帯びた表情ではない。
だが、その冷えた双眸は相対する者を居竦ませるには十分だった。
「国王暗殺未遂の容疑で、貴殿の身柄を拘束させてもらう」
シルヴァリオは何も言わずに、椅子から立ち上がる。
あまりにも潔い態度に、衛兵は言い知れぬ不安を覚え、思わず乾いた喉を鳴らした。
◇ ◇ ◇
シルヴァリオと、再会することは叶わなかった。
気づけば、ルルは星告通りにある自分の店―小さな天幕の前に立っていた。
今思えば、顔を合わせるのはいつも此処だった。
占星師と客として、言葉を交わすだけの関係。
相手は、国の宰相だ。
本来、気軽に会える相手ではない。
ましてや素顔を隠していれば、他の占星師と区別がつくはずもない。
それに。
(あんな態度を取ったんだもの……もう、ここには来ないわよね)
ルルは天幕から背を向け、歩きだそうとした、その時。
「失礼。ここの店主の方でお間違えないでしょうか?」
呼び止める声に、足を止める。
振り返ると、そこに立っていたのは、一見すると一般市民の男だった。
だが、訛りのない言葉使いと妙に整った所作が目に留まる。
「…そうですが」
貴方は?
問いかけるより早く、男は封がされた一通の手紙を差し出した。
「宰相殿からです。――必ず、貴方に渡すよう仰せつかりました」
ルルは目を見開き、それを受ける。
男は周囲の視線を避けるように口元に手を添えて、続けた。
「あの方は……現在、拘束されており…身動きが取れない状態です」
「っ!……どうして……」
思わず声を詰まらせるルルに、男は静かに首を横に振る。
「詳しくは………どうか、お察しください」
秘密裏に動いているのだろう。
ここに来ること自体が、危険を伴う行為なのかもしれない。
「分かりました…」
そう返すと、男は小さく一礼し、雑踏へと溶け込むように姿を消した。
◇ ◇ ◇
“国王のもとへ向かってほしい”
手紙に記されていたのは、それだけだった。
あまりにも短い文面は、切羽した状況の中で書かれたものだと、容易に想像につく。
シルヴァリオは、拘束された。
手紙を渡してきた男の言葉が、脳裏によぎる。
今回の件と、無関係ではないだろう。
そう思った瞬間、胸の奥が重く傷んだ。
(……私の星告げのせい?)
それでも身動きが取れない彼が、この手紙を自分に託した意味はすぐに分かった。
「あら、ルル。帰っていたのね」
扉の前に立ち尽くすルルに、カミラが声をかける。
「……どうしたの?」
その表情に何かを感じ取ったのだろう。カミラは言葉を重ねた。
「私、行かないと……でも」
手紙を握る指に力がこもり、紙がくしゃりと、かすかな音を立てる。
カミラは一度それに視線を落とし、すぐにルルを真っ直ぐ見つめた。
「――星々はね、変えられる未来しか、私たちに伝えないの」
俯くルルに向けて、しかし確かな声で語る。
「それを実際に変えるのは――私たち自身よ」
ルルは、弾かれるように顔を上げた。
今回の星告げを受け、シルヴァリオは迷わず行動した。だから、国王暗殺は未然に防げた。
未来を変えたのは、シルヴァリオ。だが、そのきっかけを与えたのは、ルル自身だ。
今まで自分は、降りてきた星の声を伝えるだけだった。
それが星詠―今では『星預』と名を変えた存在の使命だと、疑いもしなかった。
その言葉を聞いた者が、どう選び、どう行動したのか。
知ろうともしなかった。
今思えば、それはあまりのも傲慢だった。
言葉を伝えた瞬間から、占星師にもその言葉に対する責任が生まれる。
ならば、自分は最後まで見届けるべきだ。
「………カミラ叔母さん、私、行ってくる」
そう告げると、カミラは穏やかに微笑みを浮かべた。
「いってらっしゃい」
小さく頷き、ルルは静かに部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
「レオン陛下。あなたの在り方こそが、この国をより豊かなものへと変えたのでしょう」
「いや。あなた方のご尽力があってこその成果だ」
「ご謙遜を。我々は、その恩恵に預からせていただいているに過ぎません」
閉鎖的だった国の在り方を改めて、積極的に外交へ舵を切ったことで、この国は目覚まし発展を遂げた。
他国と比べても目立つ、自国独自の産業。
その強みを明確に生かしたレオンの政策は、確かな国益をもたらしている。
衰退の兆しを見せ始めた他国にとって、それは実に羨望の的だった。
その技術を、我が国にも。
外交の席では、技術者の派遣を求める声が絶えない。
だがレオンは、どれほど好条件を並べ立てられようと、安易に首を縦に振るような愚王ではなかった。
(………格下が、調子に乗りおって)
へりくだった笑みを浮かべる外交官が、さりげなく目配せをする。
すると、背後に控えていた影が、静かに揺らいだ。
差し出されたのは、小ぶりの箱。
「それはそうと、レオン陛下。ぜひ、献上したい品がございまして」
「ほう。それはそれは、感謝いたす」
レオンは、外交官から小箱を受け取った。
「……これは、香木ですな」
蓋を開けると、中には乾いた樹木片が収められていた。
「はい。我が国の特産でございます」
「なるほど」
レオンはそう頷き、香木へと視線を落とした。
仄かの香るのは、伽羅だろうか。
『…安らぎの香。それは、くすぶる煙となりて』
『…気高き獅子に巻きつく蛇となる』
静かな声が、広間に落ちた。
ひとりの女官が前へ歩み出る。
その瞬間、誰ひとりとして咎める声を上げることができなかった。
金色の瞳。
整った美貌以上に、その瞳が放つ神秘に、居並ぶ者たちは息を吞む。
その場にいた者は、即座に悟った。
『それは魂を縛り。……常世へ誘う、死の香』
レオンの前に、ベールを外し、素顔を晒したルルが立つ。
「シルヴァリオ殿より名を受け、馳せ参じました」
流れるように一礼をし、こう告げる。
「ルル=アストレイア=ノクターン」
つまんだ裾を離し、静かに顔を上げた。
「――星預にございます」
◇ ◇ ◇
「先日、捕らえた女の証言も取れました」
シルヴァリオは手元の書類に視線を落とし、淡々と報告を続ける。
「女の脚に彫られていた蛇の印――あれは、セルペンス殿下の結成した組織に属する者の証だそうです」
レオンの異母弟―セルペンス。蛇を冠した名を持つ、王族。
「………」
レオンが無言で、手を差し出した。
シルヴァリオは一瞬だけ逡巡したのち、書類の一枚を静かに渡す。
そこには、獅子に巻きつく蛇の姿が描かれていた。
“獅子を締め上げる蛇”
その紋章は、セルペンスの胸中を余すことなく写し取っているようだった。
「蛇は影で蠢く……決して、陽照の獅子には成れぬ、か」
低く呟かれたその言葉に、シルヴァリオはわずかに目を見張った。
「ルル殿の受け売りだ」
そう言って、レオンはほんの僅かに口元を緩め、書類を返す。
「そうですか」
淡々と応じたシルヴァリオだったが、その表情は先ほどよりも幾分か和らいで見えた。
「彼女には、感謝せねばならんな」
レオンは、窓の外へと視線を移し、静かに言葉を継ぐ。
「“あれ”を受け取っていたら、私は死んでいた」
隣国の外交官が献上しようとした香木は、死を招く呪具だった。
元は、その国の王家の霊廟に手向けられていた供物。
本来は、死者の眠りを安寧に守るためのものだ。
それを、レオンを殺すための呪具として利用しようと持ち出した。
死者、まして王族の墓を暴く行為は、この国のみならず近隣諸国でも極刑に相当する重罪である。
「隣国の王より、謝罪状が届いた。……件の外交官には、しかるべき処置を下すと記されていたぞ」
その密書がレオンの元に届いたのは、つい先程のことだ。
首謀者は、レオンの弟であるセルペンス。
だが、その手に呪具を渡し、事を進めたのは隣国の外交官だった。
本来であれば、国の外交が断絶してもおかしくない。
だが、レオンは今回の件を不問とする判断を下した。
その代わりに、次の会合において自国が有利となる密約を交わした。
「――お前は不服だろうが」
レオンは、静かに言い添える。
「決して、この件は口外するな」
それは王命だった。
「……仰せのままに」
シルヴァリオが忠誠の礼を取ると、レオンは満足そうに頷いた。
「それで――あれは、どうしてる?」
「呪具に刻まれた名を消したことで、施した者に呪詛が返ったようです」
シルヴァリオは一拍置いて、告げる。
「――“セルペンス殿下”の身に、呪印が現れたと報告が入っています」
「そうか…」
レオンは、それ以上何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
『…王の冠を持つ呪われし者――未来永劫、その望みは叶わぬ』
ルルが、静かに星告げを読み上げた。
「あなたも…分かっていたはずよね?」
金色の瞳を向けられ、粗末な椅子に腰掛けた星預は、ゆっくりと視線を落とした。
「…分かっていた…わ」
膝の上で重ねた手を強く組みながら、彼女は言葉を絞り出す。
首謀者セルペンスに加担した、星預。
裁定を前に、彼女と話す機会を与えられたルルは、シルヴァリオと共に王城の地下拘留区画にいた。
石造りの一室。
導く星は見えず、天は遠い。
星預自身も、理解していた。
これはすでに定められた結末なのだと。
「でも……私は、間違っていない」
顔を上げた星預の瞳には、確かな意志が宿っていた。
それは星詠の誇りとして、いささかも疑っていない眼差しだった。
だからこそ、ルルも真っ直ぐに、その視線を受け止める。
「そう。…それが、あなたの“星詠”の誇りなのね」
「それが、星に選ばれた私たち――星詠の一族でしょう?」
星預が、ルルを見据えて問いかける。
「ええ。でも…あなたは、誇りを守ったのではないわ」
星預が、形の整った眉をひそめた。
ルルは、言葉を続ける。
「変わることを、恐れただけ」
「っ…違うわ!」
星預が、声を荒げた。
「私は星詠の誇りを守ろうとしたのよ! あの人と、同じように――」
“あの人”が、かつてこの国の妃として迎えられた星詠であることは、言わずとも分かった。
かつて神聖な存在として敬われていた、星詠の一族。
だが時の王は、その力を我が物にしようと、一人の星詠を妃に迎えた。
黄金色の瞳を持つ、最も優れた星詠。
王の思惑とは裏腹に、彼女の予言はことごとく外れた。
否。外したのだ。
たとえ、相手が一国の王であろうとも、それが私利私欲のためであるならば、星詠は屈してはならない。
それこそが、気高き星詠の誇り。
彼女は、自らの誇りを貫いた。
たとえそれが、一族の破滅へと繋がる道であったとしても。
「彼女の意思を…星詠の誇りを…私は、同じように守るとしたのよ!」
星預は椅子から立ち上がり、叫ぶ。
反射的にシルヴァリオが一歩踏み出しかけたが、ルルが手で制した。
無言で首を横に振ると、彼は険しい顔のまま、その場に留まった。
「……彼女はとても勇敢だったと思うわ」
ルルの声は、静かだった。
「だから誰も、彼女を恨まなかった。多くの星詠の血が流れて……生き残った者は散り散りになって…血も、もう薄れてしまったけれど」
胸が、軋むように痛む。
「それでも、星詠の誇りは今もこうして、私たちに受け継がれている」
何も間違っていなかった。
星神より授かった神聖な力を守ろうとしただけなのに。
それでも星詠は、罪人のように忌み嫌われ、差別され続けている。
特に、王妃と同じ金色の瞳を持つルルは、素顔を隠さなければ生きていけない。
それは星詠としての誇りを隠し続けることと同義だった。
それが、なによりも苦しいものだった。
だが生きるためには、この不条理さに屈するしかなかった。
ルルは喉元まで込み上げた思いを、静かに飲み込む。
星預も、また同じ境遇だった。
だがそれ以上の重みを背負っている者を前に、押し黙るしかなかった。
「…でもね」
ようやく口にした言葉には、もう迷いはなかった。
「時は、移り変わるのよ」
ルルは、はっきりと告げる。
「星詠から星預と名が変わったように……私たちも、変わっていいの」
その言葉に、星預は深く俯く。
そして、石床に、ぽつり、ぽつりと黒い染みが滲んだ。
◇ ◇ ◇
『…星を仰ぐ者、遠き地に至る』
『…そして、潰えそうな一つ星は、再び光を知るだろう』
ルルの星告げが、静かに終わった。
「――やはり、すでに星告げがありましたか」
天幕をくぐったシルヴァリオは、思わず苦笑を漏らした。
「ええ」
ルルは、静かに答える。
「……それに、あなたがここへ来ることも、星が教えてくれました」
そう言って立ち上がると、ルルは頭にかけていたベールを、そっと外した。
不意の行動に、シルヴァリオは目を見開く。
「……あなたに、謝りたいと思っていたのです」
「私に…?」
思わず問い返す。
「はい」
ルルは俯きがちに、小さく頷いた。
「あなたに対して、ひどい態度を取ってしまったこと」
そして深く頭を下げながら、言葉を継ぐ。
「ご無礼を…どうか、お許しください」
「無礼など……!」
シルヴァリオは慌ててルルの両肩を掴み、顔を上げさせた。
蝋燭に照らさせた彼女の相貌は、息を呑むほどに美しい。
だが、その表情には後悔が滲み、痛々しく歪んでいた。
今にも泣き出してしまいそうな顔だった。
その表情を直視できず、シルヴァリオは思わず視線を逸らす。
「…むしろ、謝るべきは、私……いえ――我々の方です」
その言葉に、ルルは目を見張った。
◇ ◇ ◇
「――禁書とされた記録があります」
椅子に腰を下ろし、声を落としながら、シルヴァリオは語り始めた。
「時の王に仕えていた廷臣が残した日記です。星詠の妃は…最後に告げた予言だけは、外していなかった」
小箱を、持ち帰るな。
これまで予言を外し続けてきた王妃の言葉に、王は一切の聞き耳を持たなかった。
だが、敵国から持ち帰った小さな箱には、一匹の蠍が潜んでいた。
それが故意であったのか、偶然であったのかは定かではない。
だが、その箱は王の寝室へと運ばれ、眠っていた王は蠍の爪毒によって命を落とした。
「王の死後、王家の者たちは、王妃の予言がまた噓だと吹聴しました」
シルヴァリオは、淡々と続ける。
「いえ、身内が犯した罪を隠匿するために、王殺しという無実の罪を、星詠に課したのです」
その王の時代。
星詠の一族は、星神に選ばれた神子として、国民から篤く崇拝されていた。
だが時の王は、星詠の力を己のために使おうし、拒む族長を殺し、一人の星詠を妃とした。
それを知られるわけにはいかなかった王家の者は、事実を覆い隠すため、星詠の一族を排除する道を選んだ。
その真実を知ったからこそ、シルヴァリオは『理の刃』と恐れられる宰相としての道を歩んだ。
「もう二度と……同じ悲劇を繰り返してはならない」
氷の宰相は、目の前の水晶へと鋭い眼光を向ける。
その灰色の瞳の奥には、静かに燃え続ける青い炎が宿っていた。
“非難するつもりは毛頭ありません”。
あの言葉の意味を、ルルはようやく理解した。
それは同時に、彼女自身が変わるきっかけを与えられた言葉でもあった。
ルルは、胸に溜め込んでいた息をゆっくりと吐き出す。
「……あなたの言葉は、真実を語る」
小さく呟く。
シルヴァリオは、その声に視線を向けた。
「だからこそ、あなたの言葉には、誰よりも重みがある」
シルヴァリオ=アルトーンは、真実を見抜き、等しく人を裁く。
それは星の声を受け取り、人を導く星詠の在り方にも通じている。
否。
彼は星に委ねるのではなく、自らの理の道を切り開く者だ。
ルルは、そんな姿が眩しいと感じた。
「……これから、私は星預として生きていきます」
ルルは、彼を真っ直ぐ見据えて告げる。
「それは、星詠の誇りを忘れることではありません」
今度は視線を逸らさず、シルヴァリオはその言葉を受け止めた。
夜空の星を一つに集めたかのような黄金の瞳が静かに輝いている。
「――ならば、私は見届けましょう」
シルヴァリオは力強く言った。
「あなたの行く末を――ずっと、側で」
◇ ◇ ◇
帰り際、シルヴァリオは意を決したように口を開いた。
「……それと、もう一つ」
「?」
ルルは思わず、小首を傾げる。
「私が星告占いを好んでいることは、どうか――内密に願いたい」
至極真面目な表情に、ルルは思わず口元を緩ませた。
「真実は……隠し通せないものですよ?」
氷双の裁定者、シルヴァリオ=アルトーンは、苦笑を浮かべて答える。
「そうですね。これからも、あなたのもとへ、足繫く通うことになりますから」
その眼差しは、氷を溶かす情熱が灯っていた。
