短編小説│見えざる手錠 後編
由羅は護送車で、政府が管轄する特別拘置所に送還されるところだった。
「拓海さん。これで好きな人と一緒になれるわね」
由羅は満たされた気持ちで、手錠をされた自身の手首を見つめる。
拓海と番の証であった『リングコード』はその意味を失っていた。
(これで、よかったのよ…)
由羅は自身の手首をそっと指でなぞった。
────
「!?」
突如、護送車の前に若い男が立ちはだかった。彼は護送車のフロンドガラスめがけで、銃を連射する。
防弾ガラスで弾の貫通を免れたが、フロントガラスには大きな亀裂が走った。運転手が思わずハンドルを大きく左へ切った。
火花を散らしながら車体はガードレールに強く打ち付けられて、徐々に減速する。
――“大きな衝撃”が車内に走った。
護送車が、何かにぶつかったらしく止まった。衝撃で眼鏡が吹き飛び、由羅はひどい眩暈を起こし、堪らず頭を押さえる。
すると歪んだ後部席のドアを、外から何者かがバールでこじ開けようとしていた。
ぼやけた視界でそれを見た由羅は思わず身構えた。
軋みながら、歪に曲がったドアが開く。
「由羅」
拓海が由羅に向かって、手を差し伸べてきた。
「…………拓海さん?…どうして…?」
ぼやけた視界が拓海を捉え、由羅は震えた声で彼の名を呼んだ。
「どうして? 婚約者を助けに来るのは当たり前のことだろう」
拓海は由羅の問いかけに『心外だ』と言いたげに顔をしかめた。
「え、でも…もう『リングコード』は機能を失いました。だから、拓海さんはもう好きな人と結婚が出来るんですよ?」
「ああ…だから迎えに来たんだろう」
戸惑う由羅に、拓海は笑った。
「私、重罪を犯しました。だから貴方とは…もう一緒には居られません」
「重罪?俺にとってお前はまさしく救いの女神だけどな」
あまりに自分らしくない気障な言葉だと、拓海自身思った。
きっとこれから先、今の自分の言葉を思い出し『この時の俺はどうかしていた』と自問自答するのだろう。
(まぁ、いいけどな)
そんな笑い話を、由羅は隣に座って、微笑みながら聞いてくれるだろうから。
なかなか車から降りない由羅を見かねて、拓海は強引に自分の元に引き寄せて地面に下ろした。
「それによ。もしもお前が捕まる時は…俺もその手錠の片方を一緒に嵌めてやる」
由羅の手首に嵌められた―― 衝撃で片方が外れた手錠を指さしながら、拓海は力強く宣言した。
『何があっても、これからもずっと一緒だ』
声に出さなかったが拓海の言葉の真意は伝わった。
由羅は嬉しくて、それでも泣き顔を見せたくないと深く俯いた。
「…ま、こんな状況だ。誰も俺達を気に留めるやつはいないだろうけどな。――それより!」
向かい合わせで立ち尽くす由羅の背中に手をまわし、拓海は強引に自身の胸元へ彼女を引き寄せた。
「…本当に心配させやがって!ったくよ…」
拓海は感情が高ぶり、本音を呟きながら由羅を強く抱きしめた。
「…ごめんなさい」
拓海の胸に顔を埋めたまま、由羅が小さく謝った。
そして、その背中に自身の両腕を回し、抱き返す。
由羅が嵌めた手錠が、ジャラと微かな金属音を立てた。
「……」
拓海はより一層、由羅を強く抱きしめた。
由羅もまた腕に力を込めて、強く抱きしめ返す。
拓海は、そんな彼女がたまらなく愛おしかった。
――辺りの状況は、まさに混沌としていた。
超人工知能《ゼウス》の庇護を失い、交通機関が完全に機能を停止していたのだ。
先の方の道路を見ると渋滞した車が長い列を作っていた。
まるでレールのように長い長い列はこの国を脱出するための出口に続いている。
「なんかさ。こんな光景に似た神話なかったか?」
拓海はそんなことを呟きながら、泣き止んだ由羅の手をしっかりと握りしめる。
「あ、もしかしたら……」
由羅は拓海の手を握り返し、ある神話の話を始めた。
彼女の語りに、拓海はいつものように側で耳を傾ける。
『混沌の波が、世界を今まさに飲み込もうとしている。そして、そこから逃れようと人々は新たな地へ向かうための舟に乗り込むのだ』
二人の男女は、新たな地に向かって、ゆっくりと歩き始めた。
