閉店の余韻と推し活の奇跡
以前、一度だけ訪れて良い雰囲気だと感じた近所の喫茶店。久しぶりに行ってみようと思い、店の前まで足を運んでみた。
しかし、半分シャッターが閉まっており、店先には段ボール箱が置かれていた。その中には、店で使われていたと思われるピッチャーやガラス瓶のソースボトルが無造作に詰め込まれ、「ご自由にお取りください」と書かれた紙が添えられていた。
それを見た瞬間、閉店したのか?と直感的に思い、スマホで食べログを開いてみた。そこには“閉店”の二文字が表示されていた。そこからじわじわと実感が湧いてくる。ああ、やっぱり閉店してしまったのか。
そしてふと思った。「自分がハマるときって、いつも手遅れだよなあ」と。
似たような経験は、これまでにも何度かあった。

Spotifyでたまたま流れてきた曲を聴いて「この曲、すごくいいな」と思い、歌っているアイドルグループを調べてみると、既に解散していたり、活動休止していたりすることがある。その事実を知ると、なんとも言えない寂しさに包まれる。
昔好きだったドラマや映画をふと思い出し、もう一度見てみたいと配信サービスを探してみると、どこにも取り扱いがなく、DVDも廃盤になっていて手に入らない。いつの間にか過去のものになってしまっていることに気付き、軽くショックを受ける。
子供の頃に憧れていた遊園地や商業施設。大人になった今なら自由に行けるのに、いざ訪れようと思ったら既に閉園・閉店していることがある。昔の雑誌などをめくりながら「あの場所に行ってみたかったな」と思うが、もう叶わない。
こうして振り返ると、私がいつも「良いな」と思ったときには既にそのサービスは終わっていることが多い気がする。
だからこそ、世の中の“推し活”に精を出している人たちは、今をちゃんと生きているのだなと思った。
推しの存在に気づいたときから、即座に行動に移しその時々の情熱を大事にしながら応援している。彼ら彼女らは迷わず、好きなものに飛び込んでいける。それができることは、羨ましくもあり、尊いことのように思える。
推しの活躍と、自分の情熱が重なる奇跡のような瞬間。それは一期一会であり、二度と同じ形では訪れないものなのかもしれない。
ふと、閉店した喫茶店の前で立ち尽くしていたことに気付き、踵を返す。そして、何気なくスマホケースのポケットから喫茶店のポイントカードを取り出して、まじまじと見つめる。
普段はあまりポイントカードを作らないのに、初めて行ったあの日は会計時に断るタイミングを逃してしまい、なんとなく作ったことを思い出す。たった一度しか店に行かなかったので、来店スタンプはほとんど押されていなかった。
二度と使うことのない空白の多いポイントカード。この小さなカードが、もう戻れない時間を静かに示しているようで、勝手ながら無性に悲しくなった。
「もっと早く気づいていれば、もっと通っていたのだろうか?」
そんなことを考えながら閉店した喫茶店のポイントカードをスマホケースに戻して、寒空の下、当てもなく歩き続けた。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは何かしらのかたちで還元させていただきます。