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過去の出来事をもとに『GIVE & TAKE』を考える

ある会社を辞めた日、電車のなかで泣いたことがある。

当時のわたしは、そこにいることが精神的に苦痛で鬱になりかけていた。もう限界だったので、会社を辞めることにした。その辞める日、上司の方から捨て台詞を吐かれた。

「もしこれからもこの業界で働くなら、業界にいられないようにしてやる」

脅しにも似た言葉を言われたものだから、心がびっくりしてしまった。完全にその言葉に傷ついてしまった。

言われたことも怖かったが、一番辛かったのは意を決して伝えた「やめたい」という言葉で、相手が豹変したことだ。慕っていた方だったからこそ辛かった。わたしが我慢すればよかったのかもとも思った。でもそれは無理だ。涙が止まらない。車内の隅っこで隠れるようにして泣いた。

JR根岸線の下り、電車は洋光台駅に停まった。私のぼやけた視界の前に女性と手がぬっと現れた。その手には二つ折りになったメモの切れ端。

反射的に受け取って顔をあげると、女性はさっと電車を降りて窓越しから「がんばれ」と口だけ動かし、そのままホームに消えていった。


渡されたものは、メモの切れ端をひらいた。

「なにがあったかわからないけど、いつか笑える日がくるよ」

そう書いてあった。

こんなに泣いている見ず知らずの人間に、温かい言葉をかけてくれる人がいる。それだけで気持ちが明るくなった。

考えてみればバカな話だ。わたしの決めた道を誰かが罵しるべきじゃない。最後にそんな言葉を言う人に、わたしの未来を脅かされるはずがない。

気づいたらそこは終点の大船駅。降りたホームのベンチに腰かけた。泣いていた自分に笑えてきた。もう一度メモの切れ端を見る。泣いているわたしを見て、手帳のページを破って書いてくれたんだろう。女性らしいその文字からは、優しさが溢れていた。

名著『GIVE &TAKE』を読んで、この一連の思い出を振り返った。この本には人間には「ギバー・テイカー・マッチャー」がいることをわかりやすく書いている。

会社の上司は隠れたテイカーだったことがわかる。部下が辞めるときに責めたは、自分の利益を阻害されていると感じたからだろう。「あんなによくしてあげたのに、恩をあだで返すのか?」という気持ちだったのかもしれない。

メッセージをくれた女性は対象的だ。彼女にはなんのメリットもない。二度と会わないであろう他人に優しくしても、見返りを求めることはできない。しかも彼女の接し方はとてもスマートだった。泣いているわたしへの配慮からなのか、周りの乗客に悟られないようそっとメッセージを渡した。人目につきにくい自動ドアが開いた瞬間に。彼女はギバーだろう。

わたしは上司が完全なるテイカーだったとは思わない。ときにマッチャーやギバーの気持ちで接してくれていたように思う。ただ、この会社にいたとき「人に何かを分けること」を抑圧されている感覚があった。その考え方に賛同することができなかったので、心が病んだ。

わたしは「自分の利益」がほしくて生きてるわけじゃない。もちろん幸せになるために生きてるけど、自分だけがいい思いをするなんてまっぴら御免である。できれば周りの人にも幸せになってほしい。笑っていてほしいのだ。

もし悲しんでいる人を見かけたら、わたしも手を差し伸べることができるだろうか。最近は物騒な事件もあり、むやみに人に親切にするのは危険だとも言われている。「ほっといてくれ!」と迷惑がられるかもしれない。

優しくしたいと思えたら優しくすればいい。別に相手が思った反応を示さなくたっていいじゃないか。「いつでも一緒に戦うからね」と伝えるだけでもいいのだ。

「生きていれば光はある。無性に辛くとも、コロッと笑ってしまうときが必ず来る」

彼女のようにそれを伝える人が増えたらと願う。もしテイカーに縛られそうになったら、逃げればいい。人の未来は誰にも縛ることはできないのだから。

(記:池田アユリ)

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池田 アユリ@ギバーを書く書き手 お読みいただきありがとうございました! いい記事を書けるよう、精進します!