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世間の辞書を閉じて、自分たちの足元で「正解」を見つける生き方。

「私のどこが好き?」
「私たち、友達だよね?」
「早く結婚したい」
「愛って何だろう?」

テレビを見ても、SNSを眺めても、みんな「言葉の定義」というパッケージばかりにこだわりすぎじゃないかな、と思うことがあります。

僕には、いわゆる「友達」と呼べる人はいません。

でも、仕事で深く関わって、一緒にご飯を食べて、プライベートなことまで隠さず話す仲間はいます。だけど、わざわざ「俺たち仲間だよな」なんて確認したことは一度もないし、これからもありません。

うちの夫婦もそうです。周りからは「なんでそんなに仲がいいの?」とよく聞かれます。

でも、夫婦の形なんてそれぞれだし、そもそも正解なんてどこにもない。 他人のスマホの画面(SNSの理想のカップル)を参考にして自分たちを当てはめようとしている時点で、何かが違っている気がするんです。

答えは、その二人が足元で見つければいいだけだから。

■ スマホのナビばかり見て、目の前の電柱にぶつかる大人たち

人間関係に「名前」をつけて定義してしまうこと。 実はそれこそが、自分で自分の首を絞め、自分を苦しめる原因になってると思います。

たとえば、スマホのナビアプリ

画面のルートだけをじっと見て歩いている人は、目の前に迫っている電柱や障害物に気づかず、派手にぶつかってしまいます。

人間関係で「言葉の定義」に固執するのも、これと全く同じです。

「友達」というルート(定義)を決めた瞬間、「友達ならこれくらいしてくれるはず」という見返りを求め始める。

「恋人」や「夫婦」と名付けた瞬間、「こうじゃなきゃダメ」というマニュアルの檻に、相手も自分も閉じ込めてしまう。

画面(言葉)ばかり見て、目の前にいる生身の相手を全然見ていないんです。

■ 自分がコントロールできることだけに、全神経を注ぎ込む

古代ローマの哲学者エピクテトスは、 「世の中には、自分がコントロールできることと、できないことがある」と言いました。

人間関係が苦しくなるのは、この2つをごっちゃにして、自分にはどうにもできないものを無理に動かそうとするからです。

大事なのは「相手にどう思われるか(コントロールできないこと)」じゃない。 「自分がその人にどうしたいか、どう在りたいか(コントロールできること)」だけなんです。

相手を思って行動することは素晴らしい。でも、そこに「結果」を求めてしまったら、それはもう思いやりではなく、ただの「取引」になってしまいます。

昔、僕が今の仕事の業界に入ったときからお世話になっている、協力会社の先輩がいました。I田さんという人です。

人間的にも職人的にも本当に素晴らしい人で、優しくて、筋が通っていて、おおらかで、そこにいるだけで人を幸せにする雰囲気を持っている。この人のことを嫌いになる人間なんて、この世にいるんだろうかと思うくらい、僕は心からI田さんを尊敬し、大好きでした。

でもあるとき、数年ぶりに現場で再会したら、I田さんの態度がなぜかよそよそしかったんです。 久しぶりだから、というレベルじゃない。明らかに、見えない一線を引かれているような冷たさでした。

僕にはやましいことの心当たりは一切ありませんでした。だからこそ、本当に悲しかった。 「何かしらの噂話が、湾曲して伝わってしまったのかな」とも思いました。

普通の人間関係なら、ここで焦って「僕、何か悪いことしましたか?」と聞きにいくのかもしれません。誤解を解こうと言い訳を並べるのかもしれません。

でも、僕はそれをしませんでした。 だって、僕が惚れ込み、心から尊敬しているI田さんという人間がそういう態度を取っているなら、どんな理由であれ、そこには間違いがないと思ったからです。

何があったのかは分からないけれど、その冷たい態度を、僕は甘んじてそのまま受け入れよう。 だって、理由を聞き出して、誤解を否定して、慌てて関係を修復しようとする方が、なんだか「嘘っぽく」なってしまう気がしたから。

I田さんがどんな態度を取ろうが、「僕がI田さんを尊敬していて、大好きだ」という気持ちは、僕だけのもの。

つまり「自分がコントロールできること」であって、1ミリも変わらない。相手の態度(コントロールできないこと)に合わせて自分の軸を変えるなんて、自分の人生のハンドルを相手に渡すようなものじゃないですか。

だから、理由を聞こうとも思わなかったし、昔のように優しくしてほしいという結果も求めなかった。

ただ、僕がそうしたいから、いつも通りに接した。

そしたらね、時間はかかったけどいつの間にかI田さんの態度は、昔の温かいおじさんに戻ってくれたんです。その後 特に理由も言われなかったし、僕も聞く気はありませんでした。

■ 100%上手くいくレシピなんてない。味見をしながら進め

ここで一つ、勘違いしてほしくないことがあります。

「自分が思っている通りにすればいい」というのは、自分のエゴやワガママを相手に力づくで押し付けていい、という意味では絶対にありません。

そこには必ず、相手に対する最大級の「尊重」と「敬意」が前提としてなくてはならないんです。相手を思いやり、相手の立場を尊重した上で、それでも「自分はこう在りたい」と軸を通す。

もちろん、これは綺麗事じゃありません。現実の社会は残酷です。 こちらがいくら敬意を持っていつも通りに接したからといって、100%上手くいくわけじゃない。自分の思いが、相手にとっては「重い」「迷惑だ」となる可能性だって十分にあります。

上手くいかなかったとき、致死量のダメージを負う前に、ある程度の距離を置いて「割り切る」ことも必要です。

人間関係に一発正解のレシピなんてないんだから、味見をしながら微調整していくしかない

それでも、傷つくことを恐れて最初から誰とも関わらない人生なんて、退屈じゃないですか。

ニーチェは「私を破滅させないすべてのものは、私をより強くする」と言いました。 かすり傷を負うたびに、僕たちの皮膚は強く、タフになっていく。

相手の反応という「コントロールできないもの」に一喜一憂するのはもうやめましょう。

「自分はどう思っていて、どういう態度をとるのか」という、自分がコントロールできる軸さえあれば、人間関係の悩みなんて驚くほど少なくなります。

誰かが決めた「友達の定義」や「愛の正解」という既製品のテンプレートに、無理やり自分を押し込む必要なんてどこにもない。

もっと、自分が思っている通りにすればいい。 言葉の檻から抜け出して、自分だけのハンドルを握ってみてください。

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森田 理愛 いつも記事を読んでいただき、本当にありがとうございます! みなさんから頂いた応援(チップ)は、これからもNOTEの執筆を続けていくための「本の購入費」や「勉強のための費用」として、大切に使わせていただきます。 これからも現場のリアルや気づきを素直に発信していきます。