ずっと死んで欲しかった
雨の降った土曜日。
0時を少し回った頃、リサは現れた。
ブラウンのリップできちんと縁取られた唇からホワイトニングが施された白い歯を覗かせ、お待たせ、と笑った。
町は少しずつ眠ろうとしていたけれど、私たちは軽快な足取りで、いつものバーへ向かった。その店のマスターは感じがいい。余計な干渉をしてこないけど、盛り上がったときには、テキーラを煽ってきたりするし、照明や置いてあるもんなんかもこじゃれていて、そういうところを気に入っている。
リサとは中学からの知り合いで、仕事終わりに待ち合わせをして、こうしてフラッとバーやスナックへ遊びに行く。今日も、お互いべつで会社の飲み会へ参加した後の会合だった。
茶割をボトルで作ってもらって、私たちは、Longchampの新作や積立NISA、地元の友人の結婚祝いについて話し込んでいた。いかにも、私たちらしい話題で、話し声は自然と大きくなった。
そこにダーツをしていた三人組がふらっとやってきて、私たちに向かって、カジュアルバーにしては礼儀正しい感じで一杯どうぞ、と声をかけてきた。
三人の男は二十代半ばから、後半といったところだろうか。ほの暗いおかげで、何割か増しにかっこよく見える彼らは、あたかも昔からの知り合いでもあるかのように当たり前に私たちと一緒に飲み始めた。
その日は、思った以上に盛り上がって、チンチロなんかをやって、テキーラを飲みすぎたせいか、私たちは珍しく頬を紅潮させていた。
もう飲めない。
私たちがそう悟ったことに気づいたのか、男の一人が、「次負けたら、人に言えない恥ずかしい話とかしようよ」と提案してきた。
浮気した話。酔っぱらって気づいたらパンツ一丁で山奥で寝ていた話。幼い頃に万引きをした話。皆が恥ずかしい過去を、楽しそうに話していた。私は、自分の番が来たら、なにを話そうか考えながら、ぼぅっとサイコロを転がすと、なんとあろうことか小便となってしまい私の大敗北が決まった。罰ゲーム、人に言えない恥ずかしい話。リサと男たちは、私を好奇の目で見つめる。
*
私は、人を殺したいと思ったことがある。
いや、殺したいというには少し語弊があるかもしれない。
死んでほしい、と思ったのだった。
死んでくれないかな、と願っていたのだ。
その夏は、からりと晴れることが少なくて、いつもジメジメといやな空気の匂いがした。
あの空気を思い出すだけで、今も頭がいたい。
中学一年生の七月。
ソレは、突然始まったことだった。
学校に着いたら、教室に自分の机がなくて、私は本当にすっとぼけたような顔をして、
机を捜して歩いた。
さして仲良くもないクラスメイトは、意図的に私を見ないようにしていたし、話したこともない男の子が私を見てニヤニヤしているのが分かった。
机は、廊下にあった。
見たこともないような大きさの蠅だか虻が、置いてあって、気味が悪いと思った。私は、それをティッシュで摘まんで捨て、机を教室内に戻そうと動かした。
そうした瞬間、腰のあたりに衝撃が走った。
クラスメイトの男子が私に思い切り飛び蹴りをしたのだった。
なにが起きているのかわからずに、立ち尽くした。その時の私の顔はさもまぬけだっただろう、と思う。
あの飛び蹴りは、合図だった。
昨日まで親しく話していた全ての人が、私の敵になった。
「死ねよ」「気持ち悪い」「調子乗んな」
吐き捨てるように言われた。いや、言われ続けた。
「いじめ」と括るのには、あまりにも悍ましい、ソレを始めたのは一人の女友達で、主犯は、仲良し五人組と、クラスの目立つ男子たちだった。
私は彼女らをずっと呪った。
毎日毎日願っていた。
毎日、あぁ、どこかで死んでいてくれないかな。
電車の脱線事故とかに巻き込まれて、
偶然通り魔にやられて、
たまり場だったイオンモールで、
プリクラなんか取った後に、
フードコートでサーティワンアイスクリームなんかを食べている所を、
いきなり爆発事故がおきて、
どかん、と。
ソレは、伝染した。はじめは、クラスの中だけ。次に、学年中に。次に学校中に。私を汚いものを見るような視線はどんどん広がって、学校の外に出ても、誰かが私を攻撃したがる。家に帰っても、スマートフォンは、ソレばかり思い出させてきて、そんな顔を家族に見られるのも怖くて、私は閉じこもった。
死んでほしい、死ねばいい、死なないかな。
そうしてずっと願い続けているうちに、夏休みが始まった。
そしたら、大抵の人が私のことなんて忘れた。
夏祭りや、プール、海水浴にお泊り会。
皆、さぞかし楽しんでいたようだが、
私はその間もずっと、死んでほしい、と願っていた。
皆で遠くに旅行に行って、その電車にテロリストがいて!
夏祭りの屋台の食中毒で!
乗っていた車が、ぺしゃんこになって!!
夏の間中、私はずっと願っていた。
それは、もう、美しい祈りの様でさえあった。
でも、ソレは、ぴたりと終った。幸いにも可愛げがあった私は、二つ上、三年生のやんちゃな先輩に見初められて、先輩の彼女になった。
ヤンキー先輩が怖い中一坊主たちは皆、私を恐れ、それまで私を虫気らのように扱っていた者たちは、へこへことこびへつらうようになったから滑稽だ。
私も私で、散々死んでほしいと願っていた奴らを許し、あの七月はなかったことになった。
ただ、私はあの頃、確かにずっと死んでほしかった。
そのことだけは間違いなかった。
*
「ねぇ、恥かしい話、はやくしてよ!」
リサと男たちは、私にねだる。どうしようかな、と笑った後、私はマスターに目配せをした。
リサの長いまつ毛が私をとらえる。
私は、テキーラを飲み干して、これで許して、と、リサに向かって笑って見せた。
死んでほしいと願い続けていた相手と、呑気にお気に入りのバーへやってきた。
死んでくれたらいいのにと頭の中で殺した相手に、優しく微笑みかけた。
死んでくれていたら。あの時の私はどんなに幸せだったろう、と思いながら、
死んでほしいと心から思っていた相手と、一つの夜を共に明かした。
