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41才、無職、バツイチ。それでも今が最高だと思えるワケ

【はじめに】
2024年1月から約1年半で、一般的には『不名誉』と言われる、肩書きを次々と獲得しました。
次から次に増えて行く肩書きに、親も友人も皆、心配してくれました。
しかし、私はそんな肩書きを獲得する毎に、今までにないほどの自由を感じ、「何かやってやるぞ」というやる気のようなものが、むくむくと湧いてきました。

しかし、それに反して減って行くものもあります。わかりやすいところでいえばお金。全財産は41歳にしては多分少ない。しかも、元夫に貸しているお金もある(後半で書いています)でも、私一人だけなら、どうにでもなる。足りなくなったら、その時、働けばいい。それならもう、自分の好きなことを、自分が幸せだと思うことをわがままにやっていこうと。

今の私には、何もないはずなのに、あっけらかんと日々を楽しんでいます。それは、41年分の歩んできた道があるからかもしれない。
仕事も、結婚も、もちろん否定するつもりはなく。どちらも、素晴らしい人たちと、素敵な経験をさせていただきました。ただ、どちらも、私が勝手に自分を“通常”の枠の中に、押し込んでしまったような気がします。本来は、そんなキャラクターではないし、そんなに器用ではないのに、そこから目をそらして、“通常”の枠の中にはまろうと必死だったのかもしれません。

『人生に無駄なことはない』とは、よく言ったもので、歳を重ねるほど、実感します。そして、ここからどう生きていこうか。41年という人生の中で今、一番真剣に考えています。この時間はとても愛おしく、自分の責任で自分の人生を生きていくのだという高揚感を感じています。

しかし、不名誉な肩書きを得たことにより、最高なことばかりではなく、今まで経験したことのない、辛くて悲しくて愉快な? 事件は起こるわけです。そんなイロイロを時系列で刻んでいきたいと思います。


【2024年 休職→無職】
1月末のとあるランチタイム。
30分刻みの会議が休みなく続き、やっと休憩が取れた14時過ぎ。
次の会議は1時間後、夕方まで続く。
駆け込んだ社食で唯一残っているカレーライスを注文した。
一口、二口、三口……半分も食べきらないうちに、スプーンを持つ手が止まる。
そんなに美味しいわけでもないが、まずくもない。平均的な味のカレー。
いつもならぺろっと食べられるのに。
私は失恋しても、仕事で失敗しても、食欲が失せたことなんてないのだ。
辛い時はむしろ、飲んで食べて発散するタイプ。
経験豊富な方々からは「それは君、まだまだ本当の辛さを味わったことがないのだよ」と怒られそうだが。
私にとって、この初めての感覚は私を驚かせた。
「なんかおかしい……」

中途で入社して8年目の会社。入社後はずっとバラエティやドラマのプロデューサーとして、仕事をしていた。深夜残業、理不尽な現場をいくつも経験した。しかし、そんなことも泣いて、飲んで食べて、どうにか乗り切ってきたのだ。

2023年頃、イベント関連の部署に異動。自分にとっても新しいチャレンジでやる気に満ち溢れていた。今までの経験を生かして活躍できると考えていたし、それを会社からも求められていた。
しかし、実際の仕事内容は、思い描いていたものとは少し違っていた。
簡単に言えば、番組のプロデューサーとしての仕事は、決まった制作費の中で、より面白いものにつくりあげていく。しかし、イベントは売り上げと粗利を出すことが大切な仕事になる。
また、毎週放送する番組とは違い、イベントは1発勝負。大きな金額も動くし、失敗や帳尻合わせはできない。だから、私だけの判断では動かせないことが多く、より慎重に仕事を進めて行かなければならない。(もちろん、仕事はいつだってそういう風に進めるのが、当たり前だとは思うのだが)そして、大きな売り上げ、粗利を考えると扱うジャンルも限られてくる。

今までは、面白いことや、今、世の中に伝えたいことを大切に、私自身の興味や嗜好で企画をだし、それが通れば制作し、放送することができた。
しかし、新しい部署では、おおよそジャンルは決められ(私の苦手ジャンル)細かい数字管理が求められる。もちろん、仕事だから、好きで得意なことばかりではないことは理解している。
だが、番組制作においては、苦手な案件でも、自分の裁量が広く、自分の色を案件、番組毎にわずかでも散りばめることができた。どこかに逃げ道があった。
しかし、イベントは金額が大きく、未経験、また不得意ジャンルということで裁量の幅が狭く、私自身の色を加えるポイントが一つもなかった。

仲間も上司も皆、いい人ばかりで、色々と手を差し伸べてくれた。
だから、「その期待に応えたい。頑張って結果出さないと」そう思えば思うほど、体と心がついていかなくなった。
仕事の効率が悪くなり、会社で深夜0時を超える日も増える。
寝不足、準備不足、そんな状態では当たり前のように、会議で詰められる。
そんな自分が情けなくて、みっともなくて、自分のデスクに戻れず、会議室やフリースペースで仕事をする。
そして、日曜の夜になると不安になる。仕事に行きたくない。
そんな風に段々と、心が塞いでいった。

それでも私は初めてのイベントを成功させたかった。
この状況を改善したいと、社内のカウンセラーと面談を受けることにした。
自分でも驚いたのだが、仕事の話をすると涙が次から次にこぼれて、言葉もつまるようになっていた。そして、胸がぎゅーっと痛むのだ。
カウンセラーからすぐに通院を進められた。
そして、2月に通院、適応障害と診断がでる。
それをすぐに会社に報告すると、産業医との面談。
その面談後、すぐに帰宅し、休職に入るように言われる。
午後に大量に詰まっていた会議も欠席してほしいとのことだった。

休職初期の頃は、残してきた大きなイベント、お世話になったメンバーに何も言えずにそのまま休みに入ることに罪悪感があった。
謝罪の連絡をしようかとも思ったが、忙しいタイミングで連絡をもらっても不快になるだけだろう。そんなことを行ったり来たり考えていた。
どうしようもない気持ちをひたすらノートに書いた。
書いて書いて書いた。すると少しだけ、心のざらつきは取れていった。

しばらくすると、映画を見たり、美術館に行ったり、そんなこともできるようになった。本当に会社に行かなければ、体も心も穏やかだった。
しかし、遅くても半年後、8月には同じ場所で、同じ仕事をしなければいけない。それに耐えられる自信だけが、なかなか持てなかった。
それでも、会社に戻るためのデットライン、8月は近づいてくる。
これを逃せば自然退職となる。この時はまだ、無職になる勇気はなかった。
病院の主治医から『復帰可能』という診断書ももらい、復帰したい旨を会社に告げる。

会社の産業医との面談は2度行われた。
しかし、復職の承認は降りず、そのまま、退職となる。
まさかの事態に驚く私。それから悶々と考えた。
「会社側は最初からこういうシナリオを描いていたのか」
「精神的に弱い人間なんて会社にとっては不要なのか」
落ち込んだり、一瞬会社を恨みそうにもなった。
でも、最後に人事面談で会社に行った時のこと。
私は駅から降りて会社に向かう通勤路が大嫌いだった。
だけど、その日は爽快な気持ちで歩くことができた。
「あー、もうこの道を通って、会社いかなくていいんだ」って。
これが私の本心だと気がついた。
正直、お給料や諸々の待遇も良く、自分でやめるという決断はできなかったと思う。だから、「辞めさせてくれてありがとう」と嘘偽りなく思っている。またあの場所に戻っていたらと想像するだけで怖いから。

そして私は、年内はゆっくりして、年があけてから仕事を探そうと思っていた。


【2025年1月 就活】
重い腰を上げて、就活を始めた。
様々なサイトに登録をする。転職理由。やりたいこと……。
「あれ? 私って何がやりたいんだっけ」
「私が一番大切にしていることってなんだっけ」

私は2022年頃から夫にお金を貸していた。
自営業者でコロナ以降、厳しくなっていた事業を助けるために。
私から言い出したことで、夫を信頼しているから、貸したものだ。
しかし、夫は、ことある毎に私にお金を借りるようになった。そんな状態が私が休職し、失業した後にも続いた。
だが、夫はギャンブルをしたり、女性に貢いだりしているわけではない。
そして、口では様々な努力や今後のプランを私に語る。
「だからもう少し待ってくれ」と。私はそれを褒めて励ます。
それが、妻として夫を支えることだと考えていた。

食事を終えて、ソファーで寝っ転がり、スマホを触る夫。
頻繁にアップされる夫のSNSには、私がこだわって買った食材、好きで集めた食器、アート。
家賃も生活費も光熱費も何も支払っていない上に、お金まで貸している夫が、私が作り上げている生活を、さも自分が形成しているかのように語る。そんなことができる夫を、心底、気持ち悪いと思った。
そして同時に、こんな小さなことにもイライラする自分が、ひどく小さい人間だと思った。

もちろん、お金のこともある。
でも、私が休職、失業をしている、一番不安定な時にも、平気でお金を借りる。少しでも安心させようとするのが、夫ではないのか。時間はあるのだから、足りない分は自分で働いて補填すればいい。少しずつでも返してくれれば、私は「ありがとう」と言えるのに。
私はお金持ちでもなんでもない、自分で稼いで貯めてきたお金だ。夫に貸したお金があれば、できることもある。でも、それをセーブして、貸している。
それは夫を愛して信じていたからだ。そういう気持ちに誠意を見せて、答えて欲しかった。
夫はよく「すべては愛だ、大切なのは愛だ」と言っていた。しかし、夫からの愛は全く感じられなかった。

私は何のために働いているのか。
冷静に立ち止まってみると、現状は夫のために、働いている。
というか、夫を含めた2人の生活を守るために仕事を探そうとしている。
「もう嫌だ」と子供みたいなセリフが口をつく。

私は、本来は、男性に尽くしたりするタイプではないのだが、結婚してから、いわゆる夫婦の型に自分をはめ込み、自分の首を絞めていたことに気が付いた。
いや、もうずっと前から気がついていたけど、真っ正面から話し合う勇気もやる気もなかった。でももう心は決まった。
夫がいなければ、私はどんな仕事を、どんな生き方を選ぶのだろうか。
そう思うと、自分の心に正直に生きられるような気がしてきたのだ。


【2025年3月 離婚】
そういう思いは伝染するのか、今までも喧嘩は多かったが、さらに大きな喧嘩が増える。幾たびの話し合いの末、お互い納得の上で離婚。


【2025年5月 引っ越し】
44平米の家から17平米の小さな家に引っ越しをして、数週間がたった。
キッチンは狭い。気に入って大量に買った器をおく場所もない。好きなアートを飾るスペースをない。
お気に入りの本棚は入らないから実家に保管してもらい、新居には小さなラックを買い、積むように本を保管している。
テレビは捨てた。その代わりに大量の音楽データが入った、2009年型のデスクトップのMacとノート型のMac。
この部屋には、今の私に本当に必要なものしかなくなった。
なんとなく置いてあった物、惰性で続いていた結婚生活、生活のための仕事。そういう主体的に選び取っていないもの、不必要なものが、全てなくなった。
本当にゼロになった。私はどこにでもいけるし、なんでもできる。
今まで人生のリセットを何度かやってきたけど、今が一番身軽で、一番本気だ。

そして一つだけ、決めたことがある。
会社に属して働かない。
そのために何をするのか。
こうして好きな文章を書いたり、好きな食器やアートを海外から買い付けて、販売する。いつか店を出す。
そして、2年後にはこの小さな部屋を出て行くのだ。
それに向かってここからリスタート。




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