零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep5 草の返事
ガルドは胸を押さえて、宿の食堂に降りた。
椅子に座ると、木の背が背中に当たった。
息を吐くまで少し時間がかかった。
おばちゃんが皿を置いた。
「痛そうだね、あんた」
「あぁ」
「食べたら、また休みな」
「あぁ。ニルは?」
「知らない男が迎えに来たよ。真面目そうな人だったね」
ガルドは匙を取った。
スープの表面が少し揺れた。
「そうか」
おばちゃんは少し身を乗り出した。
「いい男だったね。うちの娘もそろそろなんだよ。あの人、一人かい?」
ガルドの手が止まった。
「後にしてくれ」
「あぁ、ごめんよ。まだ痛むよね。ちゃんと食べるんだよ」
おばちゃんは向こうへ行くと、皿を洗い始めた。
桶の中で、皿が鳴った。
ギルド長は帳面から顔を上げた。
「ニルはどうした」
「暁の旅団が見ていますよ」
ミラが言った。
ギルド長が笑った。
「合うのか?」
「どうなんでしょう」
ミラも少し笑った。
「宿も、旅団と同じみたいです」
「あとで聞いてみるか」
ミラが帳面を閉じた。
「いいんですか?」
ギルド長は卓の端に置いたパンを見た。
「何がだ」
ミラの口元が緩んだ。
ギルド長はパンから目を離した。
「ほっとけ。寝てるしかない」
「はい」
ミラは帳面を重ねた。
ギルド長は、魔物寄せの袋を机の上に置いた。
腕を組んで、しばらく眺めていた。
「ミラ」
奥の机に戻っていたミラが顔を上げた。
「これ、どこのかわかるか」
ミラは椅子を引いて、袋を手に取った。
指で生地をこすり、縫い目を見た。
「見かけない生地ですね」
「調べられるか」
「やってみます」
「分かったら、夕飯奢る」
ミラの口元が少し緩んだ。
「みんなのですよね」
「みんなって誰だ」
「リナと、ミレイ。サルカもいれば」
「俺は行かないぞ」
「来ないんですか」
「俺の愚痴は、なんだ、聞きたくないな」
ギルド長が机に視線を落とした。
ミラがギルド長を見た。
「はい」
ミラが手で口を隠した。
目尻が下がっていた。
暁のリーダーは歩きながら地図を広げ、指で道を追っていた。
「森の東は来たことあるのか?」
「ある。一人のとき」
ニルが答えた。
後ろを歩いていた別の男が言った。
「西の方が派手にやれるからな」
軽口の男が笑った。
「やられるときも派手だけどな」
「お前は余計なこと言うな」
リーダーは地図から目を上げた。
「ニル」
「大丈夫」
リーダーは少し黙ってから、周りを見た。
「誰か、ニルの護衛につけるか」
「じゃ、俺がついててやるよ」
軽口の男が手を上げた。
リーダーはその顔を見た。
「いいか。余計なことは言うなよ」
「俺もバカじゃねぇ」
リーダーは地図を畳んだ。
「今のも余計だ」
草むらが揺れた。
枝が折れる音がした。
茶色い毛を風に揺らして、ボアが茂みから歩いてきた。
「ボアか」
リーダーが小さく言った。
ボアが前足で土をかいた。
リーダーが手を動かした。
指さした方へ、二人が走った。
リーダーが正面に立った。
ボアが荒い息を吐いた。
回り込んだ男が、ボアの首に刃を入れた。
ボアはそのまま三歩歩いた。
それから、横に倒れた。
「小さいな」
倒した男が言った。
ボアはロープで木の枝に吊るされた。
「処理したら追いつく」
「そうだな。血抜きは軽めでいい」
「いいのか?」
「あとは食堂に任せる」
リーダーが地図を見ながら笑った。
軽口の男は、ニルとしばらく森を歩いた。
「ニル。もう少し奥へ入るか?」
軽口の男が言った。
「大丈夫」
「じゃあ、俺はその辺見てるわ」
木の向こうに、ボアがいた。
「ニル、お前は草とってな」
軽口の男が短剣を両手に持った。
木の陰に体を寄せて、近づいた。
上の枝から鳥が飛び立った。
ボアが気づいた。
「めんどくせぇ」
軽口の男が走った。
ボアの手前で跳んだ。
そのまま両手の短剣を、ボアの首に刺した。
ボアは前足から崩れた。
ニルは薬草を抜いていた。
軽口の男はしばらく、それを見ていた。
「終わったぞ、ニル」
「うん」
「お前、ずっと抜いてたな」
「うん」
「怖くねぇのか? 初めて組んだんだぞ?」
「うん。パーティ」
軽口の男は頭を掻いた。
「……わかんねーけどよ、パーティなのか」
「うん」
「そうか」
「うん」
「これ、薬草か」
軽口の男は一本、手に取った。
「土がねぇな」
根の先を指で払う。
指には何もつかなかった。
「どうやった。水もねぇよな」
「抜ける」
男はまた頭を掻いた。
「抜けたのか」
「うん」
「そうかよ」
男は笑った。
収納袋の口を縛りながら、ニルが茂みから出てきた。
「こっちは終わったぞー」
軽口の男も続いた。
リーダーが言った。
「成果は?」
軽口の男がニルの肩の葉を払った。
「ボア一匹。ニルの採取も終わった」
「向こうのボアの処理任せていいか」
暁の男が手を上げて走った。
リーダーはまた地図を開きながら言った。
「変わったことは?」
「ない」
「この先の沢で確認は終わりだ」
軽口の男が歩きながら言った。
「なあ」
「どうした」
「ニルが草と話してた」
リーダーが足を止めた。
「草と?」
「ああ」
「何を話してた」
軽口の男は口を開けて、閉じた。
「……それは知らねぇ」
「聞こえなかったのか」
「草の返事までは知らねぇよ」
リーダーは歩き出した。
「ガルドの負傷があったからな」
「そういう話か?」
「預かってる以上、そこも見る」
軽口の男は首の後ろを掻いた。
「いや、違うと思うんだけどな」
「何が違う」
「そこが、こう……違う」
「説明しろ」
「無理だな」
「余計なことは言うな」
「今のは必要だろ」
しばらく歩くと沢に出た。
リーダーが足を止めた。
「橋がないな」
軽口の男が沢の向こうを見た。
「こりゃ流されたな」
リーダーが振り返った。
「誰か、斧を持ってきたか?」
ニルが木を見た。
「木、離す?」
軽口の男がニルを見た。
「離す?」
「うん」
「よくわかんねぇけど、なんかやれるのか?」
「うん」
軽口の男がリーダーを呼んだ。
「リーダー。ニルがやれるって」
「斧があるのか?」
「よくわかんねぇ」
リーダーは腕を組んだまま、沢を見ていた。
ニルが木に触れた。
「ゼロ」
声は風で消えていた。
木の根元に、白い線が入った。
それから、軽口の男を見た。
「木を押して」
「押して倒れる木じゃねぇぞ」
「うん」
軽口の男はリーダーを見た。
「手伝え」
「何をする」
「木を押す」
「は?」
「いいから押せ」
「ニル、どの辺押したらいい?」
ニルが首を上げた。
「この辺」
軽口の男が木に手をついた。
「この辺だ。押すぞ」
リーダーは少しだけ黙った。
「……わかった」
小さな割れる音がした。
木が倒れて、そのまま沢にかかった。
ニルが言った。
「橋になった」
軽口の男が木を見た。
「なってねぇ」
リーダーは残った木の根元を見ていた。
「あとでニルに話を聞いておけ」
軽口の男が顔を上げた。
「俺かよ」
軽口の男が、倒れた木を見た。
「枝だけ取っておくか。渡りにくい」
「そうだな」
リーダーが言った。
ニルが一歩出た。
「僕がやる」
軽口の男が手を上げた。
「お前はいい」
「できる」
「できるのは分かった。俺の仕事が増える」
ニルは少し黙った。
「そう」
軽口の男は短剣を抜いた。
「枝くらい、俺が切る」
軽口の男が枝を落とし、もう一人が岸に寄せた。
リーダーは根元を見ていた。
ニルは倒れた木を見ていた。
「もう、帰ってもいいんじゃねぇのか」
軽口の男がリーダーの肩に腕を回した。
リーダーが言った。
「さっき、何があったんだ?」
軽口の男が宙を見た。
「俺もわかんねぇ」
「なんか、木に言ってたんだよなぁ」
軽口の男が頭を掻いた。
「話してたのか」
「わかんねぇ。多分、サルカみたいなもんだ」
「そうか」
リーダーは少し歩いてから言った。
「危なくはないのか?」
「ああ。こっちに向けてやる感じじゃねぇ」
リーダーは前を見た。
「ならいい」
「いいのかよ」
「危なくないなら、今はいい」
軽口の男は笑った。
「真面目だな」
「お前が雑なんだ」
長卓の端で、片目の男が陶杯を傾けていた。
受付台の奥ではリナが帳面のインクを乾かしていた。
「静かだねぇ」
サルカが言った。
「みんな仕事だ」
片目の男が答えた。
「お前は?」
「飲むのも仕事だ」
サルカが笑って、椅子を引いた。
椅子の脚が床を鳴らした。
「今日は騒がしくするなよ」
「誰に言ってるんだい」
「お前だよ」
「なら無理だねぇ」
受付台の前に人はいなかった。
リナは紙を一枚めくり、束の角を揃えた。
指で端を叩いて、もう一度揃えた。
それから小さくあくびをして、両腕を上げた。
奥の大きめの机ではミラが帳面に何かを書いていた。
棚から別の帳面を取り出し、前の帳面と見比べる。
ペン先が少し止まり、また動いた。
「まかない食べちゃいな」
「こっち片付けたらね」
厨房の方で声が聞こえた。
隅の机で、事務方の男が魔道具を前に首を傾げていた。
魔道具は動かなかった。
男は少し待った。
それから、指の腹で魔道具の横を叩いた。
「叩いて直るのかい」
サルカが言った。
男は魔道具を見たまま答えた。
「直ってほしい」
サルカが笑った。
窓の枠の影が長くなっていた。
扉が開いて、足音が重なった。
「暁、戻ったぞー」
リナが顔を上げた。
「おかえりなさい」
リーダーが受付台の前に立った。
「報告。ボア二体。東の沢に橋を渡しておいた」
軽口の男が横から言った。
「あれは橋じゃねぇ。丸太って言うんだ」
男たちが笑った。
リナが帳面に書きつけた。
「それと、ニルの採取依頼。完了」
「完了ってほど大袈裟でもねぇけどな」
「お前は黙ってろ」
リーダーが言った。
男たちがまた笑った。
軽口の男はリーダーの肩を叩いた。
「先、飲んでるぞ」
そのまま長卓へ歩いた。
長卓の端で、バルトじいが陶杯を前に座っていた。
「よう、バルトじい」
軽口の男がバルトじいの肩を叩いた。
「なんじゃ、お前か」
「じいさんの相棒、休んでるな」
「あいぼう」
バルトじいが笑った。
「暇つぶしじゃよ」
軽口の男が店員に手を上げた。
「おう、こっち。肉と腸詰め。エール二つ」
それからバルトじいを見た。
「じいさんも飲むだろ」
「ああ、いただくとしよう」
店員が厨房へ戻った。
「ニルはどうじゃ」
「リーダーが面倒見てる」
軽口の男が笑って言った。
「弟みてぇだ。今日も『飯はちゃんと食え』って、真面目な顔して言ってたわ」
バルトじいも笑った。
「弟の世話をする、か」
「リーダーも、な」
「そうじゃったな」
店員が皿を持ってきた。
軽口の男が木のジョッキをバルトじいの前に寄せた。
「ほら、じいさんも飲め」
「おお、すまないね」
軽口の男は腸詰めを一本取った。
「ここんとこ、下ばっか見てるじゃねえか」
「そうだったかのう」
バルトじいはこめかみを掻いた。
「転ばないように足元見てたんじゃよ」
「そうかよ」
軽口の男は木のジョッキを持ち上げた。
「じいさんも食って、飲んで、寝ろ」
軽口の男は腸詰めをかじった。
「なあ、じいさん。知ってるか」
バルトじいは木のジョッキを傾けた。
「なんじゃ」
「ニルの魔法」
「魔法?」
「きれいに薬草を抜く魔法」
「薬草を抜く?」
「見たことねぇだろ。俺、見たんだ」
軽口の男はパンを手に取って、ちぎった。
「薬草に話しかけたら、抜けてた」
バルトじいが身を乗り出した。
「なんじゃそれは」
「俺もわかんねぇけど、草と話してた。土もついてねぇ」
バルトじいが笑った。
軽口の男が続けた。
「あと、木も切れてた」
軽口の男が手のひらを上にして二度振った。
「そんなに力あるようには見えんのう」
「そうじゃねぇんだよ」
「ほう」
「なんか木に言ってた。そしたら切れてた」
「お前さん、何言ってるかわかってるか?」
「俺もわかんねぇよ。話したら薬草も抜けるし、木も切れてんだよ」
軽口の男は周りを見回した。
そして手を上げた。
「な、リーダー、リーダー、こっち」
リーダーが歩いてきた。
「見たよな、ニルが木に話してるの」
リーダーが椅子を引いて座った。
「俺はそこは見てない。お前に言われて押したら倒れた」
軽口の男は額に手を当てて首を反った。
「なんだよ見てねぇのか。でも倒れたよな?」
「倒れたな」
「な、バルトじい。そうだろ」
軽口の男が座り直した。
「お前さんも大変じゃな」
バルトじいは暁のリーダーをみて、木のジョッキを傾けた。
「薬草は見たよな? な、リーダー」
「見た、納品で」
「土、ついてなかったよな」
「確かに、薬草に土はついてなかったな。洗ったのか?」
「だから、話しかけると土がつかねぇんだよ、ニルは」
「わしはさっぱりわからん」
バルトじいが腸詰めをかじった。
「お前も言ってたろ、サルカみたいなものだって」
リーダーが皿を見た。
「あ、そっちの肉、いいか」
リーダーがフォークを取って肉をさした。
「なら、わしはもっとわからんな」
バルトじいが木のジョッキを置いた。
軽口の男は椅子の背に体を預け、首を反らした。
大きく息を吐いて、言った。
「飲むか」
リーダーが手を上げた。
「エールと腸詰、パン追加だ」
「はーい」
店員が厨房へ入っていった。
リナは受付台で紙を束ねていた。
扉が開き、ギルド長の靴音が鳴った。
「おかえりなさい」
リナが口元を上げた。
ギルド長はリナを見て、返事の代わりに小さく手上げた。
そのまま階段を上がった。
階上の机で、ミラが紙を広げていた。
袋の切れ端と、何冊かの帳面が並んでいた。
「ミラ。わかったか」
ミラが顔を上げた。
「ごちそうさまです」
ギルド長は足を止めた。
「生地はどこのだ」
「隣国の草糸です」
「草糸?」
「この辺りでは織りません」
ギルド長は両手を頭の後ろで組んだ。
椅子には座らなかった。
「間違いないか」
「この織り方は、この辺りでは使いません。染めも違います」
ミラは広げた紙の一枚を指で押さえた。
「商人の記録にも、同じものがありました」
ギルド長は息を吐いた。
「どうします?」
「王宮だな」
ミラは少し黙った。
「どうなんでしょう」
「政治は知らん。あいつらは、このために飯を食ってる。働かせてやれ」
ミラは口元を緩めた。
「そうですね」
ギルド長は収納袋から革の袋を取り出した。
口が擦れていた。
ミラの机に置いた。
ガチャリと鈍い音がした。
「これで食べてこい」
ギルド長は自分の机へ戻りかけた。
その途中で、振り返った。
「ミラ」
「はい」
「貴族街には行くなよ」
「このあとは王宮ですか」
ミラが言った。
「ああ。面倒だけどな」
ギルド長は上着を取った。
「話ができるのかも怪しい」
「遅くなりそうですね」
「嫌になる」
ギルド長は片方の袖に腕を通した。
ミラが帳面を閉じた。
「パンはいつものでいい?」
もう片方の袖を探す前に、少し止まった。
「あぁ」
「ワインは変えた?」
「昔のままだ」
そのまま、階段を降りて扉を開けた。
通りの向こうの店では、サルカが陶杯を手にしていた。
「こっち側にしちゃ、静かな店じゃないか」
サルカが陶杯を傾けた。
「ギルド長、来ないんですか」
リナが皿を置いた。
「来ない方が食べやすいでしょ」
ミレイが言った。
「それは、まあ」
サルカは陶杯を持ったまま笑った。
「金だけ出すのは、いい男だねぇ」
ミラが皿を寄せた。
「本人に言ったら喜びますよ」
「言わないよ」
リナがパンを割った。
「ニル、暁の宿に移ったんですよね」
ミレイの手が少し止まった。
「ガルドさんは?」
「今日辺りで治ってきてるんじゃないのかい」
「そうですか」
ミレイが窓の外を見た。
通りの灯りが、ガラスに小さく揺れていた。
サルカは陶杯を置いた。
「痛いねぇ」
リナが顔を上げた。
「怪我ですか?」
「……それもあるねぇ」
リナが皿の端に指を置いた。
「暁なら、無茶はさせないと思います」
サルカが言った。
「ただ、ニルを、周りがわからない」
リナはパンを見た。
「それ、困りますね」
ミレイはまだ窓の外を見ていた。
サルカはその横顔を見た。
「ミレイ、あんたは?」
「私、ですか?」
ミレイが顔を戻した。
そして下を向いた。
「サルカ」
ミラがサルカの手に手を重ねた。
「そうだね」
サルカが椅子の背に背中をつけた。
ミレイは皿の上のパンを見た。
端が少し乾いていた。
