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意見は消えて、場面が残る

書いています。

近況といっても、本当にそれくらいです。

言いたいことなら、私にも普通に浮かびます。

noteを見て同意したり、「それは少し違うんじゃないかな」と思ったり、自分なりに論を組み立てたりする。

そして、一度書いてみる。

すると、どうでもよくなる。

例えば、よくある「AIの作品でも楽しければいいんだから、公募でも認めればいい」という話。

出版社が求めているのは、目の前の一作品だけではないのでしょう。

この人は続けて書いていけるのか。

どんな視点を持っているのか。

その人だけが見てしまう場所はどこなのか。

物事をどんなふうにズラして捉えるのか。

特有のテンポや間は。

作家性ってやつですね。

たぶん、いろいろな基準がある。

今回は例として少し書きましたが、本当はもう少しきちんと論を組み立てています。

一度、自分の中を通してしまえば、あとは人がどう思っていても、それほど気にならなくなる。

強く言い切ることもしません。

今日、自分の意見を強く言い切ったとしても、明日には気分が変わっているかもしれない。

野球でいえば、自分が打つ側なら「真っすぐで勝負しろ」と思います。

そのほうが的を絞れるから。

でも、自分が投げる側なら、のらりくらりとかわして、勝負なんてせずにスリーアウトを取ればいいと思う。

立ち位置が変われば、言うことも変わります。

だから、何かを強く言い切ろうとも思わないし、何かに強く反対しようとも思わない。

否定されたところで、

「ああ、そうですか」

で終わってしまう。

それより、否定されたことをどう物語のネタにできるかを考える。

否定ばかりで、前へ進めない人。

否定を気にしないように生きているけれど、「気にしない」ということは、ずっと気にしている人。

そんな二人が出会ったら、面白い物語になるかもしれない。

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「あなたって、結局何もわかってない」

「確かに、僕は何もわかってないのかもね」

缶コーヒーのプルタブが、小さく鳴った。

「でも、わかってないことくらいは、わかってるよ」

一口飲んでから、彼は続けた。

「僕たち、似てるのかもね。わかってるだけの二人」

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こんな場面が浮かんできたら、短編はいけるでしょ。

少し置かれている立場を書けば中編。

遡っていけば意外と長編までいけるかもしれない。


そう考えると、起きることは全部ネタです。

何かを大きな声で語らなくてもいい。

今のところは、書いています。

近況といえば、それくらいです。


編集後記


創作大賞の締切が終わっても、意外と手が止まりませんでした。

「まだ何か書けるなあ」と思って書き始めて、今は文学賞系を二本、ライト文芸の恋愛ものを一本、ディストピアものを一本走らせています。

もう一本あるのですが、こちらは少し薄い気がして、ひとまず保留。

『ゾンビ回収婦』も読みました。

冒頭から「そう来ますか」と思わされる文章で、個人的には楽しく読めました。

タイトルだけを見て、あれこれ言っている人も多かったようですが、私は読んでよかったです。

それから、久しぶりに五時間続けて眠れました。

暑さに少し慣れてきたのでしょうか。

睡眠時間まで近況として書き始めると、いよいよ本当にこれといった近況がない感じもしますが、書いていて、読んでいて、少し眠れています。


今はそれで十分です。




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