「文仁は交仁」昭和天皇からの暗号がボン成年式の直前に解読された奇跡!! 12歳のボンsを耳で別人検証しました。
成年式をなにがなんでも盛り上げるゾと、大本営発表は後出し映像や写真ラッシュでボン祭り~♥:
🤔この子・・・
どっちのボン??それともまた別個のボンですか???
2019年3月:

同年8月:

動画を観るとわかるように地黒・色白、吊り目・垂れ目、直毛・くせ毛など、もう顔からして別人なんだけど、個人識別法の一つである耳介認証をしてみた。
左耳にはよく肌色テープを貼っててわかりにくいので、右耳でどうぞ:

自動修正をかけ、注目部位を線で囲んだのがこちら:

赤:対耳珠。左はなだらか、右は目立って突出。
黄:耳垂(耳たぶ)。左はくびれて細く、右は逆にふくれて幅広となる。

😲顔ばかりか耳の特徴まで真逆なこの子たち、今どこにいるんですか!?
この恐怖の「A宮家専用職員棟(byテレ東)」ですかあああああ???:
😱😱😱😱😱
このような生き地獄ボンsたちと監禁施設を、国民が納める税金でもって平然と作り出したA宮家の当主「文仁」。
そもそものこの命名について、ブルーサファイアさんと読者さんたちが、ものすごい発見をされました:
この記事への私のコメントです:
ブルーサファイアさんといい、コメントされた方々といい、すごい発見に感動しております。
「文」は4画なのに、これは6画。筆の打ち込みを間違えたと好意的に見ても5画。特に3画目には明らかに後から交差線が書かれているのがわかり、
「文」とは異なる創作文字になっています。なぜこのように奇妙な文字が作られたのか。。
「文」象形文字の成り立ちを書かれた方がおられますが、こちらからでしょうか?https://okjiten.jp/kanji170.html
>「人の胸を開いてそこに入れ墨の模様を描く」象形から「模様」を意味する「文」という漢字が成り立ちました。
※漢字が誕生した紀元前17世紀頃、中国では
墨(入れ墨)という刑
がすでに存在していました。(紀元前に孔子が編集した「書経」より)<
また、「文」という字が名前に良くない理由として、https://ngname.com/p39/ には
>「文」の漢字は「美しさ」や「彩り」を意味し、外見を飾り立てるという意味合いがあります。
このため、異性関係において羽目を外しやすい、失敗しやすいというネガティブな意味を持つとされることがあるようです。<
これはミテコさんへのお叱りのよう、、
他に、
「交」という字に見える
、その意味が・・とのコメントがありますが、https://okjiten.jp/kanji271.html にも
>「まざる。ある物の中に
種類や特徴の違う物が入る。」<
>溶け合わずに一緒になる。区別がつく。<
とあります。
この、見るからに奇妙な画数違いの「文」は、昭和天皇がミテコ夫婦とこの子に施した入れ墨で間違いないと、私は考えます。
そしてブルーサファイアさんの続記事:
これに私がコメントさせていただいたものです:
本当にすごい発見だと思います。
昭和天皇が書かせた暗号が、60年後にこうして読み解かれ、思いを受け取った。
昭和天皇はさぞお喜びなのではないでしょうか。皆さん、すごい!!
いや、命名書の読み解きが未来においてなされるのは、このフミヒトなる赤児が皇統を乱す状況となった時であり(正常に浩宮の子が継いでいれば、人々がこのような余計な詮索をすることはない)、そんな日本になっていないようにとの祈るような気持ちがおありだったと思います。
でも、みてこや正田・安西の強烈な成り上がり欲、それに敷かれるままのチャブを見るにつけ、明哲な昭和天皇は未来を見通され、たいへん心配された上でのこの命名書だったのでしょう。これは報道記録に残る、誰でも確認できる物的証拠ですから。
それを取り上げられたブルーサファイアさん、発見を寄せられた皆様は本当に素晴らしいです。
「浩宮の次は浩宮の子に」というお言葉が有名なわりには出処が不明、したがって真偽も不明とされていますが、この命名書の画数違いの「文」はその思いを裏付ける重要な証拠になると思います。
🥹ダ・ヴィンチ・コードならぬ昭和天皇コードが60年後に解かれた瞬間に、私たちは立ち会っているのです。
それも、昭和天皇がこのコード(暗号)を世に出さざるを得なかった大いなる危惧=文仁(交仁)が皇統を奪い、監禁棟まで爆誕させ汚い手ばかり使って箔付けしてきた子が皇位継承者として最重要な一歩を踏み出す成年式にまで至った今という、このタイミングで。
おそるべき神意を感じてなりません。
というわけで、ブルーサファイアさんでも報道画像を挙げておられますが、こちらは映像の 中日映画社「礼宮文仁とご命名」No.621_1 を御覧ください:
0:32ー
>この日、天皇陛下は新宮様にお名前と称号をおくられ、アヤノミヤ フミヒト(礼宮 文仁)とご命名になりました。<
からスクショ👇️👇️👇️

本来四画目の上部にも同じ交差線か。
👆️👆️👆️👆️本来4画である「文」が、6画の「バケモノ文」「あわや交」になっている恐怖・・😱😱😱
0:43 カメラが引いた場面の全画面スクショ

ちなみに、1:03−からは昭和天皇皇后両陛下がその赤児と「初めての対面」をされる場面です。
その初対面の後、皇太子夫婦(今のチャブさんとミテさん)の家から出てこられる昭和天皇皇后両陛下・・・
アナウンサー >ひときわ明るいお顔の皇后様<
とは対照的な、昭和天皇の行きも帰りもまったく同じポーカーフェイス。。😑😑😑😑
こちらは今上陛下の命名式で、昭和天皇と対面の映像はありませんが、おそらく1歳の頃の陛下がたいへんおかわいらしいです:
そして昭和天皇と浩宮さまといえば、こちら:
>昭和天皇は利発な浩宮様をたいへんかわいがられ、
「私のすることを後ろからよく見ているようにね」
そのようにおっしゃいました<
👆️👆️の昭和天皇の、心から朗らかな笑顔✨✨✨✨✨✨✨✨
昭和天皇が未来を見通し、深く憂慮された上でのこの命名書は、報道記録に残り、誰でも確認できる物的証拠です。
