美しいものが美しいということ
あのこが三つくらいだったか、子育て仲間と、遅い桜を見に行った。
後に7母16こどもになるその集団も、当時は母5、子が6-7人。
すでに平地は他の集団にシート敷かれており、私たちが座したのは、少し斜面に立つ一本桜の真下だった。
晩春。
舞い散る花びらはあとからあとから。
美しくて。
美しくて。
なのに突然娘は泣き出したのだ。
怖い。
怖い。
大泣きだった。
その後のこと、ほとんど覚えていない。
ひとしきり泣いて、落ち着いたと記憶しているが、私の無意識の、記憶改竄かもしれない。
とにかく子は泣いた。
怖いと。
なにが怖かったのか。
梶井基次郎が言うように、木の下に死体が埋まっていたのか。
否。
坂口安吾が描いたように、狂気の美女にでも出会ったのか。
もちろん否。
ふと。
子の高さにしゃがみ、上空を見上げると、
それは確かに怖かった。
舞って、舞って、舞って、舞って、果てしなく舞い落ちる花びらが、本当に、本当に怖かったのだ。
私たちくらいまで生きると、
桜
は
美しく、
舞い散る花びら
は
はかなく美しい。
でも三年目の人生には、桜も風情もあったものではないではないか。
そう。
彼女は花びらが、
果てしなく舞い落ちる花びらそのものが怖かったのである。
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それでも地球は回っている