亡き母への想いと現在の私の立ち位置、そして死を選ぼうとしているあなたへ贈る言葉
栞が挟まったままの小説は、ある時からページを捲ることをやめてしまった。まだ、結末も知らないその小説を開くことは2度とないのだろう。
色褪せたTシャツをまとい、何度も殴り書きを繰り返したノートはボロボロになってしまい、白紙のまま放置している。
まるで、私の壊れた世界のようだ。
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母が亡くなり13年、あと数日で14年が経過しようとしている。年々、母の声も顔も思い出の輪郭もどんどんボヤけていくのに、この胸に抱えた後悔と自責の念は生々しさを増していく一方だ。一生消えないタトゥーが刻印され、答えが出せない日々に全てを投げ出してしまいたくなる時もあった。
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母は自ら自由を選んで天国に旅立った。その時の心情を推し量ることは出来ない。当時、私は学生寮で暮らしており実家を離れていたからだ。
正直、複雑で歪な家族だったと思う。田舎特有の閉鎖的な環境、やけに厳しい躾、根も葉もない噂話が食卓で繰り返される日々、外から来た母と母の寵愛を受けて育った私だけが、壊れた環境で必死にもがいていた。
そんな環境に嫌気がさし、私は15の時に学生寮がある高校(世間的には高専と呼ばれる)を選び、逃げ出すことを決めた。母を地獄にたった1人残して。
今なら一緒に逃げると言う選択肢もあっただろうけど、当時15の私は私を正常な方向へ操作することで精一杯だった。
もしかしたら、それが決め手だったのかもしれない。母が旅立つ前に、最後に電話をかけてきたのは私だった。たしかインターンの用意で慌ただしくしていた時だった。何気ない会話をしているようで違和感というかノイズが所々に混じる。明らかにおかしい。
電話後、父や弟に母を見張っておくよう急いでメールをしたが、日中で誰も動けなかった。研究室の教授の理解もあり、急いで新幹線に乗り実家を目指したが、間に合わなかった。何もかも手遅れだった。
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葬儀はあっという間だった。私以外の身内は母のいない日常という新たな家族の形で決着をつける時間があったが、私は学生寮に戻り、就活をこなし、気持ちの折り合いも自分自身と向き合うこともせず、臭いものに蓋をして、なるべく見ないフリをして、東京にきてしまった。
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社会人になった私はとにかく走り続けた。何もかも放り投げて諦めたくなっても、母を救えなかった後悔と自責の念が無理矢理心と体を動かしてしまう。立ち止まることは残された者がすることではない。それでは地獄を離れ、身勝手に自由を手に入れた私の存在意義が消えてしまう。
常に張り詰めていた。切り詰めていた。
ハードワークの代償として、仕事の責任や要求される難易度はどんどん上がっていき、会社内でも当然名前が売れ始める。
それでも必死にこなした。こなせてしまった。
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でも自分の状態は自分がよく知っている。混沌とした日常の中にもう1人の私が頭の上にいて、常に俯瞰して見ている感覚である。本当は気付いていた。精神も肉体もとっくに限界を迎えていることに。
何人かの方と機会に恵まれお付き合いをしたが、結婚直前でどうしても躊躇してしまう。また、大切な人が隣からいなくなってしまったら…。もしその時子供がいたら…。そんな思いをするのはこの先私1人で十分だ。根底にある、自己犠牲が拭えなかった。
体も異常をきたしていた。えづきは止まらず、最後に満足に眠れたのはいつのことだったろう。
昨年の秋、ついに崩壊へのラストピースが揃ってしまった。プロダクトのチームリーダーに抜擢され20-50代の部下を持つことになり、後輩の育成、自分の父親と同い年の先輩に指示を出しつつ、プロダクト自体の市場拡大を急かされる日々。
そして、機密を含むため詳細は割愛するが、国家プロジェクトのキックオフメンバーに選ばれ、諸外国と日本の間に立ち、日本のモノづくりを軌道に乗せるアイディアを試行錯誤する日々。
側から見たら順調すぎる出世コースだ。
上層部は放っておいても今まで通り成果を出すだろうという期待の眼差しをこちらに向ける。
チームメンバーもなんやかんや最終的には私がケツを拭くだろうという他責の雰囲気を感じる。
仮初の忠誠心を会社に誓い、ただ母への想いを考えないように走り続けていただけなのに。
そして、全てのピースが重なりピークを迎えた今年の春。
気付けば私は母と同じ自由を求めていた。
正直ここ2-3年の記憶は曖昧だ。
身に合わない散財も、好きではなかったはずの飲酒の日々も、苦手なはずの人種とのコミュニケーションを楽しむフリも、自然と最後の選択に帰結していたのかもしれない。
私の精神も肉体もそれが正解だと信じて疑わず、本能のまま動いていた。
人生の幕引きはせめて華やかにという希死念慮がどこかにあったのだろう。
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幸いにも一命を取り留め、現在こうしてNoteに当時の日々を認めることが出来たのは奇跡なのだろう。そして1ヶ月にも及ぶ入院期間で初めて母の死と向き合うことができた。他の体験談など見たくも聞きたくもないが、入院初日の『あぁ…やっと立ち止まれる』という安堵感を一生忘れることはないと思う。
正直に言うと希死念慮は消えたが、今後も上手に生きることができるかはまだ分からない。
ただ、本当は辛いのに、今すぐ立ち止まりたいのに、無理して走り続ける私はいなくなった感覚がある。
記憶の断片を拾い集め、母の愛情と共に成長したあの日々を入院中に思い出した。
最後の最後に母が何を想っていたかはわからない。私が駆けつけたところで、救えたかもわからない。
不確定な過去に囚われ、想像の中で苦しむよりも、確かに存在した母の愛情と私自身の『大好きな』母への想いを大切にしようと前を向く決心ができた。
今は悲しい時は泣けるし、笑いたい時は笑えると思う、大好きだった母によく似た笑顔で。
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きっと世の中には自由を求めて最後の手段を行使する寸前の人がたくさんいると思う。私にはそれを無理して止める力もそんなことは人道から外れていると啓蒙する気もない。本当の本当に選択肢として残された最後の自由を求める権利は全人類に平等に与えられ、行使するか否かもまた唯一無二の自由だからだ。
でも一度、自由を求め失敗した矮小で醜い私からあなたにだけ伝えたいことがある。
今、本当に辛さの渦中にいて、この世界が涙で満たされ、あらゆる感情が消滅し、存在意義が消えかかっていたとしても、私もあなたもここにまだ確かに立っている。
私にとって立ち続ければ、母からもらった愛は生き続けるし、誰かの愛をそばで感じられるとありふれた毎日が幸せに思うことが増える。
このことに気付くまでに約14年と死線を越える必要があったが。
生き続けろとは言わない。死は敗北だとも思わない。でも最後の最後に、少しだけ世界の美しさや日常の機微を感じてみてほしい。涙で満たされた世界にまだあなたの感情を揺さぶる何かが残っているかもしれない。
それでも自由を選ぶしかなかったあなたを誰も覚えていなくても、私だけは心から想い続けるから。母への消えない想いと一緒に生き続けるよ。
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我慢するのが美徳なんてクソだ。
自己犠牲の上に他人の何かを満たす行為はあなたの優しさにつけ込んだ誰かの傲慢でしかない。
感情は人間に与えられた最も美しい自己表現方法だ。
『生きたい』も『死にたい』も誰のものでもない。あなたにだけ与えられた大切な宝物だ。
死の淵を目の前にして家族、友人、恋人、会社、社会に迷惑をかけるかもしれないなんて知ったことか。
この世に産まれ落ちた瞬間から、あなたは人生を好きに謳歌する権利がある。
だからこそ大切な宝物を大事にしてほしい。どんな未来を迎えようと今確かに感じた宝物に嘘偽りはないはず。
もし本当は逃げたかったら逃げてみよう。1人が怖かったら私でよければ手伝うから。あなたの人生に少しお邪魔させてほしい。そして何もない透き通った場所で一緒にこの世界に中指を立てて、笑い合おうじゃないか。
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冒頭の白紙のまま放置していたノートの続きのつもりでこの"Note"という媒体に日常を認め始めた。白紙だったページに新たな私、正しくは本当の私を出来るだけ正直に綴り続けよう。
きっと私はアウトプットが足りなかった。自己内省の結果をずっと胸に秘めていつの間にか抱えきれなくなってしまった。
今は確かに生きたいと思えるし、そのために私の心の内側に存在する醜い自己内省の結果を公開するのに躊躇がない。
そして14年近く言えなかった、心の奥底に封印していた本音でこの日記を締めようと思う。
お母さんへ
産んでくれてありがとう。あなたの子供として産まれて幸せです。先日、紆余曲折で波瀾万丈だったここまでの人生を伝えに行こうと思ったけど、もう少し時間がかかりそう。でも側で私が好きだった誰よりも朗らかな笑顔で見守っていてね。
今日も空は青い。連日暑い日が続く。汗ばむ体をよそに心は爽やかな風が吹く。
