潮騒のカレーと母のわっぱ丼
一月中旬から二月にかけて、三沢の空にはマイナス三十度の寒波が居座る。
肌を刺すというより、削り取るような風の冷たさに、思わず襟を立てる。
こんな日は、母が教えてくれた「いや川」の暖簾をくぐりたくなる。
記憶を呼び覚ます三沢の味
頼んだのは、季節限定の「三沢ほっきわっぱ丼」と「空自空上げ」のセットだ。
かやくご飯に散らされたホッキ貝が、蒸気の中でふっくらと赤ら顔を見せている。
その一粒を口に運ぶと、潮の香りが鼻腔を抜け、私の記憶を静かに揺さぶった。
母が私を産んだとき、世界はカーペンターズの「Close to You」に包まれていた。
あの清らかな歌声と同じように、母は潮の香る台所に立ち、家族のために包丁を握っていた。
ふと、当時の流行歌を紐解けば、かつての茶の間の情景が鮮やかに蘇る。
あるときは美空ひばりが「真赤な太陽」を情熱的に歌い、あるときは千昌夫の「北国の春」が響いていた。
小川原湖のカラオケ大会へ行けば、出場者の半分以上がこの曲を選んでいた。
誰もが、白樺やこぶしの花咲く故郷の春を、切に待ち望んでいたのだろう。
森山良子の「この広い野原いっぱい」の清らかさは、今の三沢の雪景色にもどこか通じるものがある。
母の実家には昔、舟があったという。
おやつ代わりにホッキ貝を剥いて食べていたという話は、今では御伽噺のようだ。
実家で出されたカレーに、時折ホッキ貝が紛れ込んでいることがあった。
貝の出汁が溶け出したそのカレーは、子供心にも贅沢で、格別の味がした。
茶碗一杯の温もりに寄せて
「いや川」の奥さまが出してくれた一杯のお茶が、冷え切った指先にじわりと熱を伝えてくれる。
その温もりに、言葉にならない「おもてなしの心」が宿っているのを感じた。
それは、私たちが追い求めている、人の体温そのものだ。
かつての洋楽少年たちが夢中になったビートルズの「Here Comes The Sun」のように、この寒波の先には必ず春が来る。
力強い尾崎紀世彦の「また逢う日まで」や、高らかに愛を歌う布施明の「君は薔薇より美しい」を聴くとき、心には新しい力が湧いてくる。
ご当地グルメの抽選用紙に名前を書き入れながら、今年もこの味に出会えた幸運を思う。
ホッキ貝は、ただの食材ではない。
母から私へ、そしてこの街の歴史へと繋がる、目に見えない絆の結び目なのだ。
飽きのこない丼を平らげた後、掌に残る余韻が、今は亡き母の慈しみのようで、少しだけ目を細めた。
店を出ると、再び冷たい風が吹き荒れていた。
けれど、腹の底にはホッキ貝の滋味が、心には古いレコードの旋律が、確かに残っている。
私はまた、この雪の舞う街を、背筋を伸ばして歩き始める。
🎵メモリアル・プレイリスト
• カーペンターズ「Close to You(遙かなる影)」 (1970年)
世界中を魅了したカレンの歌声。母が私たちを育くんだ日々のBGMです。
• 森山良子「この広い野原いっぱい」 (1967年)
透明感あふれる歌声で、当時の若者の心をつかんだフォークの名曲です。
• 美空ひばり「真赤な太陽」 (1967年)
歌謡界の女王がグループ・サウンズの音を取り入れた、躍動感あふれるヒット曲です。
• 千昌夫「北国の春」 (1977年)
小川原湖のカラオケ大会でも愛され続ける、北に生きる人々の情景を描いた不朽の名曲です。
• ビートルズ「Here Comes The Sun」 (1969年)
長く暗い冬の後に太陽が差し込む喜びを歌った、明るい一曲です。
• 尾崎紀世彦「また逢う日まで」 (1971年)
圧倒的な歌唱力で、別れを力強く、華やかに描き出したレコード大賞受賞曲です。
• 布施明「君は薔薇より美しい」 (1979年)
鮮やかなメロディと伸びやかな高音が、聴く者に元気を与えるポップスの傑作です。
