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2006年のサッカーワールドカップ 〜49試合を見た〜 <4>

サッカーの外国人3 2006.05.19


人はどこから来て、どこへ行くのか。
僕はそれを考えたいし、見届けたい。


 と取材の時に言ったのは、ある映画監督だ。
 その監督は移民(それも戦争のゴタゴタで強制的に連れてこられた人、あるいは、縁あって近隣国に来た人)の話を描くことに夢中になっている。

 彼は、奈良に生まれて大阪に出た。家族とは半分縁切りみたいにして、闊歩して生きてきた。

 べらぼうに働いた(映画を撮った)。大バジェットの作品も撮った。ある現場で事故も起こした。

 自分の人生の流れに思いをはせる時、冒頭の言葉が生まれる。
 彼自身が移民感覚で生きているからだ。


移民。
 イタリア系アメリカ人のマーティン・スコセッシも、同じテーマをいつも描く。
 まだ、自分の人生に、個人的に納得いく答えが出ないのではないか。

 行った先で居場所を作ること。
 おまえは●●な人間だな、と他人から評価されること。
 誰かから金をもらうこと。

 そして、それからあと、どうやって生きて暮らしていくんだろうか。


 先週末に能登半島は輪島に映画撮影現場の取材に行った。日本で唯一といってもいいプログラムピクチャーのロケ。毎年夏に公開される釣り好きサラリーマンのてんやわんやコメディだ。

 制作者、助監督は出先に居場所を作る。塗師屋(ぬしや)と呼ばれる漆職人作業場の和屋敷。

 その前の道にテントを張り、簡単なケータリングの用意をし、撮影照明機材を管理し、和屋敷に養生シートを敷き、毛布を敷き、当然の現状復帰から逆算しながら、撮影現場を作る。

 交通整理をし、通行する一般車をあるときは通し、あるときは頭を下げながら止める。

 彼らは3週間の北陸ロケに出ている。
 巣立ったばかりのツバメが何十羽も飛んでいた。それを狙うトンビがピヒョロロロと何十匹も旋回していた。輪島はそんな場所だった。

 映画のロケ部隊は、陸上自衛隊の一個小隊のようなものだ。
 一度陸自の取材をしたことがあるが、陸自は海自や空自と違って「基地(ホーム)」がない。
 建物が建っていたとしても、それは「駐屯地」と呼ぶ。いま、たまたま、そこにいるだけ。いつでも移動可能。もとより、その心です。みたいな。
 需品科の三等陸士に話を聞くと、「とにかく現場についてまずやることは穴を掘ることです」という。身を守るために潜る穴、ゴミを埋める穴、そして風呂を設置するための穴。
 ある隊員は「1時間に1立方メートルの穴を掘ることができるんです」と自慢した。1m×1m×1mの穴を掘るのはたいへんだ。彼は穴掘り優秀者で、そのスピードでこなすらしい。


 話は逸れるが、戦争記者に話を聞いた話。(たとえば、アフガンに行った、イラク戦争行った、という記者たちがいる)
「そこのプレスセンターになっているホテルには世界各国の人間が取材で詰めているんだ。何日間も何か月もほこりだらけ、寝たや寝ないやもわからない。みんなたくましさを自慢し合う。そのホテルは体臭だらけのタコ部屋と化す。でも最初に音を上げるのは俺たち日本人なんだ。俺たちは世界の中でも辛抱強いよ。でもな、風呂だけはいかん。風呂に入らないでいることが、がまんできなくて一番最初に音を上げる。風呂入りたいから国へ帰る、と」

 穴掘り隊員も風呂作りは、気合いが入るという。自分たちは武器は持たないけれど、武器を持って、寝ないで、泥だらけになった同僚が帰ってきて、自分の掘った風呂に入り、生き返るのを見るんだという。


 そうやって移動していく。どこに行っても陣地を作って穴を掘る。
 映画ロケ隊は、数十人単位で移動を繰り返す。
 有事で、活動する。 
 サッカー日本代表は、ドイツ合宿地のボンへ飛ぶ。有事だからだ。



移民。

 スウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチはその名が示すとおりバルカン半島の出だ。父がボスニア人、母がクロアチア人。ちなみに相方のヘンリク・ラーションは父がセネガルのカボヴェルデ諸島出身の黒人、母がスウェーデン人。

 ガーナ人のアドゥ17歳はアメリカに請われていって、アメリカ人になった。でも今回のアメリカ代表には選ばれなかった。

 アンゴラは昔、大量にブラジルに奴隷として連れて行かれたらしい。ブラジル代表選手にもアンゴラの血を引く選手がいるかもしれない。ちなみにアンゴラの平均寿命は38歳だ。こないだまで戦争をしていたから。

 俺は、東から西、西から東の移動は想像がつくが、実は南から北への移動(金を求めて、または暖かさを求めて北から南への移動)はまだ想像がつかないんだが。

移民。

 ルノーのトップ、カルロス・ゴーンはフランス国籍だが、レバニーズだ。レバノン人。それもブラジル生まれの。どこへ行っても、おまえ誰だ?といわれてきたはずだ。日本で「ガイジン」と受け入れられたことは、彼の人生で大きな事件だったに違いない。認められている実感を味わって大きくなったはずだ。



 移民にはパスが来ない。
 俺はマンハッタンでストリートバスケをした。NYのプレイグラウンドで黒人とやるのが夢だった。
 46丁目のしけた公園にはバスケのリングが3つあり、いつもひとりでシュート練習をしていた。昼過ぎになると、黒人やラテン系の顔つきのヤツらがやってきて、5対5をやっている。いつか仲間に入りたかった。

 ある日、背の低い賢そうなずんぐりむっくりの黒人に声を掛けられた。
「おまえ、高そうないいボールを持ってるじゃないか」と。
 ちょっとタイソンに似ているから俺の中ではリトル・タイソンと心で呼んだ。
 彼は、俺がNYについた日に5番街のNBAショップで買ってそんなに傷ついていないボールをひょいと持って行った。彼の仲間達は「どーしたんだよー、このボール、どこで盗んだんだ?」とかいっている。
「こんなきれいなボールをドリブルしたことがない」
「俺にも触らせろ」
「ひゃっほー」
みたいな騒ぎ。「さぁプレイしようぜ」
 そこでリトル・タイソンが「あのチャイニーズのボールなんだ」と言った。

 俺は、ギロっと20個の瞳でにらまれた。「ハーイ」と言ってみたが、もちろんノーリアクション。
 それにチャイじゃねー、ジャパニーズだよ。ともかく。
 I wanna play with you. 「はぁあ???」「しらけるぜー」みたいな。
 俺を入れないと、このボールは使えないよ。
 なんとか仲間に潜り込んで、5ー5のゲームが始まった。

 一度もボールなんて触れないよ。パスこないし。俺のほう見もしないし。
しかたない、ボールがなくてもバスケのプレイはある。ディフェンスとリバウンドだ。
 だって、それしかやることがないんだもん。
 押されたら、押し返すしかない。身体接触。身体接触。
 ヤツら、うまかった。
 そのうち、彼らのたぶん学校の同級生の女子がやってきた。もちろんみんなブラックだ。
「なんでチャイニーズがいるの?」と言っている。
「あのチャイニーズ、××だよー、ははははは」とか、聞こえてくる。こっちは汗だくだくで走っているのに。俺はまだ一度もボールを触っていない。
 そこへポーンとルーズボールが転がって、俺は飛びついた。
 ドリブルしてシュート、
 はせずに、シュートフェイントから、ノールックパスでフリーのヤツにボールを送ってやった。
「おおおおお」と女の子たちの歓声。そいつのシュート! 決まる。
 そいつは、俺のところへ走ってきて、ハイタッチした。ほかのヤツらとも。
 そっから、俺にパスが来始めた。ようやく。
 俺は調子をこいてドリブルで抜いたり、パスをさばいたりして(なんせ元ガードだったもんで)ゲームに入っていった。何度もハイタッチした。

 相手チームの一番デカイヤツが怒った。
 俺と1対1をしかけて、俺をなぎ倒しながら、ダンクシュートを決めた。
「うぉおおおおおお」と吼えて胸をゴリラのように叩いていた。ホントにやるんだ。
(公式ルールならオフェンスチャージングのファウルだけど、ここじゃ関係ない)
 足の裏が両方ずるムケになって、走れなくなるまでバスケした。
 俺がボールを持つたびに、女の子が口笛を鳴らした。彼女たちはノールックパスを求めていた。


 ちなみにこの話には続きがあって、俺は途中で抜けた。
 ボールを持って帰ろうとしたら、彼らの純粋な瞳に負けた。このボールをもっと触っていたい、と。
 だから、ゲームが終わったら、隣のピザ屋に預けておけとリトル・タイソンに言った。
 サルディーニャ島から来たというピザ屋のイタリア人、サルバトーレとは仲がよかったから。
 夕方、ガットーゾ似のサルバトーレに「バスケのボールをあずかっていないか?」と聞くと「ノー」という。
「あっそ」
「どした?」
「いや、貸したボールが返ってきてないかと思って」
「ブラックか?」
「イエス」
「おまえはバカなことをした、そのボールは返ってこない。そんなことあるわけない」
「はは、やっぱりそうか」
「ブラックだろ? ブラックじゃなくても返ってこないが、ブラックだとなお返ってこない」

 翌々日、朝、ロックフェラーセンターにある英語学校の行きしなに、リトルタイソンその他、あのときの連中を見つけた。彼らは高校生。学校に向かう前にたむろしているところだった。
 Hey,What do you do? Where is the ball?
 リトルタイソンはやっべーという困った顔をしていた。
 その次の日の午後。ピザ屋のサルバトーレが「おまえに届け物があるぞ」とニヤニヤしながら声を掛けてきた。ボロボロのバスケットボールだった。アホか。すり替わっているやんけ。はははは。
「おまえに忠告しておく。これは奇跡だ。俺はまだ信じられない。ここでは、二度と物を他人に貸すな。とくにブラックには」
 その奇跡のバスケボールが俺の宝物になっていることはいうまでもない。



 これが俺のつたない移民体験の一シーンだ。ま。たった3か月過ごしただけで移民も糞もあったもんじゃねーが。
 とにかく。
 移民にはパスが来ない。




 他の国に出かけて、最初言葉も通じなくて、その国の代表になって、ピッチに立つってなんなんだろう。
 ふざけんなボケ、カスッ、ってエネルギーだろうか。
 まぁ見てろって、って自信だろうか。
 誰になにをいわれようが、俺にはこれしかないんだ、って逆ギレパワーだろうか。
 たぶん、「自分を試したい」なんて、チンポの勃たたない寝言をいっているヤツはいない。
 受け入れられたと感じた時に、泣くだろう。感謝するだろう。
で。
 こいつらのために戦うと思うだろうか。
 俺は俺のために戦うと思うだろうか。
 国歌を歌うだろうか。はたして新しい国旗に忠誠心が湧くだろうか。
 移民は、もともとその場所に住んでいる人々の脅威になるのだろうか。




 サッカーワールドカップはおもしろい。なくならないでほしいな。






 人は、どこから来て、どこへ行く?
 そのあいだがオペラ。


↓最近のテーマ曲「魂ロバ」

the Sugarman 3『Soul Donkey』

https://www.youtube.com/watch?v=cG_ePNjNP0A

また、マンスリーマンションの契約を更新してしまった。
居所不審、不明瞭のまま、俺は4か月が経っている。これは移民感覚なのか。旅なのか。


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このNOTE は、「サッカーワールドカップ2026」の開催を記念して、「2006年ドイツ大会」のときに書いた日記です。日本代表、強くなってくれ。ひとつでも多く勝ってほしい。そう願っていた、20年前。筆者はライターですが、サッカー記者ではありません。サッカーファンです。勝手な見地から筆が走っていて、当時の固有名詞や選手の名前が飛び交っていて、2006年あたり、時代の空気が垣間見えるかもしれません。2006年7月11日のマッチ64(決勝)まで、テレビ観戦した49試合の様子(+後夜祭)をお伝えします。

まだ、サッカーの試合は始まりませんが、もうすぐ始まります。


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