第62章 FIRE達成までのリアルな資産遍歴① (大学卒業からパチプロまで)
こんにちは、ホッパーです。
本日も昨日と同じ、タイのチェンライのカフェから投稿しています。
居心地が良すぎて最高なのです。
ただ、このままチェンライに長居して沈没してしまいそうな自分に少し危機感もあります。
ということで、明日は移動日にしようと思っています。
■私の遍歴
文字でダラダラ書くと伝わりにくいので、まずはエクセルでまとめた一覧画像をご覧ください。

まぁこんな感じですわ。
なかなか楽しそうな人生でしょw
細かく書きたいですが、需要がないのでやめておきますw
■私の給与及び資産遍歴
以前、私の年収遍歴を紹介しましたが、そこに推定資産額の欄も追加してみました。
以下の画像をご覧ください。

※1 不動産、時計、車など換金可能な資産も含みます。
※2 安全上の理由から現在の資産額は公開していません。
41歳以降は非公開としていますのでご了承ください。
■新卒入社後の資産状況
資産面で言うと、全く貯金できませんでした。
別に給与が低かったわけではありません。
新社会人として必要なものを揃えるだけでお金が飛んでいきました。
私は長野県の会社に勤めていたのですが、車が必須でした。
そこで、とにかく一番安い車を購入。しかも実物を見ずに写真だけで決めました。
今思うと、なかなか豪快な買い物でしたね。
この頃はまだ資産運用という考え方はありません。
お金は銀行に貯めるもの。そんな認識でした。
そして、この会社を1年ちょっとでバックレます。
■パチプロ時代の資産状況
パチプロ時代は、もちろん勝っていました。
勝つ自信があったからこそ会社を辞めてこの道を選んだわけです。
今振り返ると、本当に幸せな期間でした。
「背中に翼が生えた」
という表現が一番しっくりくる期間ですね。
経歴としてはなかなかブラックですが、後悔はありません。
そして順調に貯金も増えていきました。
ただ、この頃も資産運用はしていません。
24歳の私にとって100万円はとてつもない大金でした。
その時点でかなり有頂天になっていた気がします。
■パチプロ時代の生活状況
この期間は、すべてが自己責任の世界でした。
年金も健康保険も税金も自分で払う。
病気になっても誰も助けてくれない。
朝寝坊し放題。
負けたらただの馬鹿です。
会社員時代には感じなかった緊張感がありました。
そのせいか、日常生活はかなり節約していた記憶があります。
今のFIRE生活における固定費への意識は、実はこの頃に身についたのかもしれません。
※パチプロ経験はFIRE生活に役立っている面が他にもあります。その話はまた別の章で語りたいと思います。
■そしてパチプロ引退
勝てなくなったから辞めたわけではありません。
そのまま続けることもできたと思います。
ただ、ふと周囲を見ると同級生たちは会社で働き、結婚し、それぞれの人生を歩み始めていました。
一方の私は毎日パチンコ店に通う生活です。
このまま10年後も同じことをしている自分を想像した時、少し怖くなりました。
また、この世界は想像以上に狭い世界です。
もし続けていたら、投資という考え方にも出会わなかったかもしれません。そろそろ社会のレールに戻ろう。
そう思って選んだのが、トラック運転手という仕事でした。
車の運転が好きだったんですよね。
そして、それまでに稼いだお金はシンガポール旅行で見事に使い切りました。
結果、27歳時点の資産はゼロです!!
FIREまでの道のりは、まだまだ先でしたw
トラックの運転手は資産ゼロからのスタートです。
さてどうなるんでしょうね。
次回に綴ります。
■いつもの冒頭写真の紹介です。
こちらは中国の昆明です。
FIRE達成後、初めて訪れた海外の地でもあります。
FIREを達成した瞬間、「背中に翼が生えた」のか?
実を言うと、そういう感覚はあまりありませんでした。
新卒で入社した会社が、この世のすべてだと思っていた若い頃の私。
その狭い価値観の世界から飛び出し、パチプロになった瞬間の方が、よほど「背中に翼が生えた」感覚に近かった気がします。
もちろんFIREは嬉しかったです。
でも、自由そのものを初めて手に入れた感動は、すでに一度経験してしまっていたんですよね。
それと比べると、FIRE達成時の感動は少し穏やかなものでした。
まぁ、一度味わった感覚ですからねw
仕方ないかw
続く
