【短編小説】 助手席からさようなら
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……
カタカタカタと、何かがぶつかる軽い音、連続したその音に不快感はない。
機械的な振動は、もたれた頬から伝わってくる。居心地はいいのに、頬骨はちょっと痛い。
「起きた?」
隣から声をかけられた。
なるほど、自分は眠っていたようだ。
張り付いた頬を起こす、長い時間、首を曲げ、頭を預けていたようで、長さが合っていないような感覚が不快だ。首を逆方向に傾け、胸を張るとピキピキと音を鳴らす、正しい位置に戻った気がした。
面倒なので目は閉じたまま。脳は起きているが体の方はまだまどろんでいて、心地よさを手放せずにいる。
問題ない、だって自分は助手席に座っていて、隣には運転手が座っているのだから。
「…いま、どのへん?」
無難な寝起きの第一声、会話の始まりとしては十分だろう。
「えーと、ここは…どのへんなんだろう、適当に走ってるんだ。」
「少し、窓を開けてみようか、どんな匂いがする?」
「フッ、なんだよそれ、匂いクイズ?」
「いいじゃん、寝ながらできるクイズとか手軽で、また寝ちゃう前に付き合ってよ。」
どうやら、随分とひとりで運転させてしまっていたようだ。申し訳ないという気持ちよりも、むず痒い優越感に満たされた。
運転席側からカチッと窓を開閉する短い音が聞こえる、頭上を新鮮な風がかすめ、自分は外の匂いを探ることに集中した。
外に意識を向けて気づいたが、車の走行音が反響し、閉鎖的な空間を走っていることがわかる、今はトンネルの中を走っているのだろう。肝心の匂いは湿気たアスファルトの匂いと
「…海の匂いがする。」
「本当だ、海の匂いだ。」
どうやら正解ぼようだ、声だけで嬉しそうだとわかる、運転手は笑顔に違いない。
「面白いよな、匂いってよく覚えているし、思い出せる。窓から車に入ってくるその場所の匂いが好きだったんだ。」
「そっち側に座っていた、子供の頃からドライブが好きで」
「助手席は自分にとっては毎日、何分かだけ座れる特等席でさ、エンジンの振動とか、ボンネットに残った日差しの温もりとか、ちょっと硬い座席とか、安心感のあるシートベルトとか、そういうの全部好きだったんだ。」
「何かをしていたわけじゃないけれど、心地よかったなあ。」
「んー…」
肯定とも否定とも取れない気が抜けた返事が口から漏れた、興味がないわけじゃない、ただ、この何にもならない会話ができる空間が好きなんだ。
空気が冷える前に窓が閉まる。車内に残った塩っけのある空気は、毛布に包まれたかのように心地が良く、再び意識をまどろみに預けてしまいそうになる。
「だから今こっちの席でハンドル握ってるのが、ホント嬉しいんだよ。付き合ってくれてありがとう。……眠い?」
そう聞かれると余計に眠気に抗うことが難しくなる、結局一度も目を開くことなく、眠りに落ちた。
……
………
振動が、もたれた頬から伝わってくる。
瞼越しの日差しは見えない、まだトンネルの中なのだろうか、それほど時間はたっていないのかもしれない。
相変わらず中途半端な眠気が消えてくれない、体の反応が鈍い、自分をコントロールできない、ぼんやりとした思考しかできない、いい加減伝えなきゃいけないのに。
車内の様子に意識を向けると、車の走行音に隠れた小さな声が聞こえた。喉を閉めたような、鼻を鳴らすような音、もしかして泣いている?
目を開くために瞼を強く擦る、時には眼球を瞼越しに揉み込んでみる、運転手の顔を見て話をしたい、寝ている場合じゃないのに、ただ腫れた瞼がヒリヒリと痛んでうまく開かない。
ガタンッ
体が大きく揺れ、その反動で目が開いた。
「起きた?ガタついた所があったみたいで、結構揺れたね」
前を向く顔に涙の痕跡はない、あれは夢だったのだろうか。見慣れた運転手の顔はいつも通り自分に安心感を与えてくれた。外を確認すると、まだ暗いトンネルの中だった。
「トンネル、長いな、どこまで続くんだ?」
「適当に走ってるからなぁ、でも、もうそろそろ着くと思う。」
「適当だな」
「適当に走ってるからなー」
ああまた、いつもどおり中身のない何にもならない会話、このなんでもない特別な時間が好きだったんだ。
「海の匂い、忘れないでね。」
「忘れる方が難しくないか?」
「それでも忘れないでね。寂しいから。」
「…」
言葉がうまく出てこなった、なんと返したらいいかわからない。
沈黙を肯定と捉えた運転手は「なにか言いたくなったら言って欲しい、いつも通り。」と続けた。
「ん。」
いつも通りの返事をした、そこからはお互い伝えたいことが思いつくまで話さずにいる、無言の不安なんてものはない、自分たちはちゃんと同じ方へ向かっているのだから。
でも今は、ずっと言いたかったことがある気がする。
…
「着いたよ、降りて。」
トンネルを抜け、海にたどり着いた。自分たち以外に人は見当たらず、穏やかな波は底のない海の深さを感じさせた。
シートベルトを外し、居心地のよい助手席から離れる。扉を開け振り返ると、今日はじめて、運転手と目が合った。
「助手席に座ってくれてありがとう。」
「なんでもない会話をありがとう。なんでもない夢を見せてくれてありがとう。」
飾り気のない優しい感謝の言葉。さっきまで「寂しい」とのたまっていたのはなんだったのか、嬉しいとも悲しいとも怒りとも表現できない、たまらない気持ちにさせられる。
「忘れない。忘れられないから、さようなら。」
結局、伝えたのは別れの言葉だった。忘れられないのに、さようならを言えないままだったのが、ずっと悔しかった。
車から降りて、扉を勢いよく閉めた。半ドアになると厄介だから、車の扉を閉める時は力を込めなきゃいけない。
扉を閉めた音は思いのほか大きく、花火のように体を軋ませ、無理やり意識を奪っていった。
………
……
ああ、なるほど、自分は眠っていたようだ。
張り付いた頬を起こす、ベッドではない場所で寝ていたからだろうか、無理な姿勢を強いられた首や肩が痛む。足先の温度は痛いほど冷えていた。
今日もまだ、あの日嗅いだ海のような匂いを覚えている。
なんでもない朝は来ない。
⬛︎あとがき
最後まで読んでくだり、ありがとうございました。
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※過去に短期間、別サイトで投稿したお話のセルフリメイクです。過去作品を見たことのある方いらっしゃいましたら、作者本人ですのでご安心ください。
