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note 第42弾 空想の旅路      ー「You Are Not 」ーが問いかける究極の愛と不在

はじめに

これから綴る内容は、明確な答えを提示するものではなく、
どちらかといえば、私自身の内側で起きている感覚の整理に近いものです。

そのため、少し抽象的な表現が含まれるかもしれません。

ただ、その中でひとつでも、
ご自身の感覚と重なる部分があれば——

窓の外では、静かな雨が降っています。

葉を伝う雫が規則的に落ち、アスファルトに小さな波紋を広げていく。休日の朝特有の、どこか時間の流れが緩やかになるような感覚。その中で、遠くから聞こえる子どもたちの声が、現実との細い接点のように響いています。

こうした時間に、思考は自然と内側へ向かいます。

「存在する」とは何か。
そして、「存在しない」とは何か。

私たちは普段、「そこにいること」を疑うことなく前提にしています。しかし、その前提が揺らいだとき、見えている世界は同じでも、捉え方だけが静かに変化していきます。

今回の楽曲「You Are Not」は、その前提そのものに、小さな揺らぎを与えてくる作品のように感じられました。


「You Are Not」が示すもの

「You Are Not」という言葉は、非常に簡潔でありながら、意味の輪郭が定まらない不思議な響きを持っています。

それは「あなたはいない」という単純な不在の表現にも聞こえますし、
「あなたという存在の定義が崩れている」という状態にも受け取れます。

あるいは、そもそも「存在しているとはどういうことか」という問いそのものを、こちらに差し出しているようにも感じられます。

音楽は、ときに時間の感覚を揺らがせます。過去を呼び起こし、未来を仮定し、現在の位置すら曖昧にする。

この楽曲を聴くとき、私たちはどこに立っているのでしょうか。

過去の記憶の中でしょうか。
それとも、まだ訪れていない未来の想像の中でしょうか。

あるいは、そのどちらでもない場所にいるのかもしれません。


アセンションという視点

ここで、このテーマをアセンションという観点から捉えてみます。

一般的にアセンションは、「上昇」や「進化」といった言葉で語られます。しかし、その実態はもう少し静かなもののように思えます。

それは、

何かを得ることではなく、何かを手放すこと

によって起こる変化です。

自分はこういう人間だ、という認識。
こうあるべきだ、という役割。
関係性の中で成立している「自分」という輪郭。

それらを少しずつ手放していくとき、結果として「自分」という感覚は変化していきます。

その状態は、外から見れば「消えている」ようにも見えるかもしれません。

しかしそれは、本当に消失なのでしょうか。

それとも、別のかたちへの移行なのでしょうか。


現実の関係性との接点

このテーマは、必ずしも極端な空想としてだけ捉える必要はないのかもしれません。

たとえば、遠距離恋愛。
あるいは、年齢差や環境の違いを抱えた関係。

現代には、「そばにいたくても、いられない」という状況が、現実として存在しています。

そのときに生まれる感情は、単純な罪悪感だけではありません。

むしろ――
何もしてあげられないことへの、もどかしさ。

関わりたいのに、関われない。
支えたいのに、手が届かない。

そうした距離の中で、ふと浮かぶ感覚があります。

自分がいない方が、この人は自由に進めるのではないか。
自分の存在が、見えない重さになっているのではないか。

これは現実の選択ではありません。
しかし、感情としては決して特別なものではないように思えます。

そう考えると、この楽曲が描く「消える」というイメージは、
関われなさの延長線上にある、一つの空想のかたちとしても捉えられるのではないでしょうか。


「消える」ということの意味

自らの存在を消す、という発想。

それを自己犠牲として捉えることもできますし、極端な愛の表現として見ることもできるでしょう。

ただ、アセンションの視点から見ると、少し違った輪郭が浮かび上がります。

それは、

「自分という枠組みを維持する必要がなくなること」

とも言えます。

手放しとは、何かを失うことではなく、
それを持っていなければ成立しない自分を終わらせること。

そう考えたとき、「消える」という現象は、喪失ではなく構造の変化として見えてきます。

とはいえ、この考え方を完全に受け入れることは、簡単ではありません。

正直に言えば、私自身も、まだそのすべてを肯定できているわけではありません。

それでもなお、否定しきれない何かが、このテーマには残り続けています。


不在の中に残るもの

仮に、存在が曖昧になり、記憶が薄れていったとして。

すべてが完全に消え去ることはあるのでしょうか。

たとえば、何気なく開いたやり取りの履歴に、言葉だけが残っているとしたら。
そこにあったはずの温度や関係性が、読み取れなくなっている状態。

それは「消えた」というよりも、「意味を持たなくなった」に近いのかもしれません。

それでもなお、完全な空白にはならない。

言葉にならない感覚だけが、どこかに残り続ける。

この「残るもの」をどう捉えるかは、人それぞれでしょう。

ただひとつ言えるのは、不在とは単なるゼロではなく、
何かが変化した状態である、ということです。


エピローグ

気がつくと、雨は上がっていました。

景色は変わっていないはずなのに、どこか違って見える。
それは、外側ではなく、内側の認識がわずかに変化したからかもしれません。

アセンションとは、特別な出来事ではなく、
こうした小さな認識の変化の積み重ねの中にあるのだと思います。

おそらく、この問いに明確な結論が出ることはないのでしょう。

ただ、こうして立ち止まり、考えた時間そのものが、すでに何かの変化なのかもしれません。

最後に。

もし、あなたが誰かのために「いない存在」になることを選べるとしたら。

それは、手放しでしょうか。
それとも、別のかたちで関わり続けることなのでしょうか。

あなたは、どう感じますか。

Lylics
[verse1]
あなたは、どこかに行こうとしてる
でも、あなたは、私には、すべてを差し出した
何も 一つ残さないように
それが あなたのやり方なの? 友情?

[verse 2]
あなた、私を見てはいない
でも、それでいい 心が無いなんて思わないから
何も 記憶に残らないように
それは あなたの愛し方 愛情?

[chorus]
どこに居ても あなたは わたしを想ってる?
誰かと居ても 目の前には、ちゃんとわたしが見える?
そう あなたは応えない

[verse 3]
あなたは、自由を求めてる
でも、わたしはそれを引き留めた
何も 絆が存在しないように
それは あなたがこの世には 居ないから

[outro]
わたしが 認めたくないから
あなたは 空に 星に 宇宙になった
わたしが わかるまで あなたは そばに居るべきだった?
そう あなたは応えない あなたは見えない

※いつか、私の楽曲が、世界の子供たちの”笑顔”につながることを祈っております。

感謝




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