感情的になりやすい自分が嫌だった
わたしのnoteを何記事も、あるいは数本でも読んでくださっている方はお気づきだろう。わたしがnoteにしたためる文章はとても感情的だ。
それも、怒りや憤り、疑問、不満など、どちらかというと負の感情である。
ネガティブなままで終わらないようには工夫しているけれども、出発点はマイナスだ。
わたしの精神年齢はまだ小学生のままだから。
親との関係、学校でクラスになじめなかった経験から、自分の感情を抑圧して生きてきた。そうしていないと自分がその社会に存在できないと思ったからだ。幼い自分なりの生存戦略であった。
そりゃあわたしに限らず多くの人が自分の感情を抑えて生きていると思うけど、幼少期・思春期のすさまじいエネルギーでさえ奥歯がすり減るぐらい歯を食いしばって押さえつけてきたのである。
大人になったらなったで「女はすぐに感情的になる」などと、ネガティブなトーンで語られるのを耳にする。女性のそうした性質は人間がまだ狩猟採集をしていたころ、周囲と協力しながら子を守り育てるために必要だったんだそうだ。だけど、時代が大きく移ろった今ではあまりよしとされない。
∽∽∽
コナンくんは「見た目は子ども、頭脳は大人」だが、わたしはメンタルは子どものまま、年齢だけ「いい大人」になってしまった。
だけどそれを悟られまいとがんばっていい大人を演じているのである。
そして最近は文明の利器・noteを使って自分の感情を小出しに小出しにすることで何とかしのいできた。
ところが最近、尊敬するある人に指摘してもらって気づいた。
感情の発露=悪と思ってきたからこそ自分の感情に過剰反応し、必要のないものごとにまで自分の感情を介在させ、自分で自分の首を絞めていたのだと。
分かりやすい例でいえば、友人の吉事だ。
友だちに何かおめでたいことがあった。
一方で自分は、仕事や人間関係がうまくいっていないなど、踏んだり蹴ったりの状態である。
祝ってあげたい気持ちはある反面、今の自分には眩しすぎて恨めしくさえある。「このタイミングでそんなこと知らせてくるなよ」と心のなかで逆ギレする。
ゆえに「おめでとう」の5文字がなかなか打てない。
打てないまま数日、1週間が経つ。
そんな自分をまた「なんて嫌なやつなんだ」と責めて落ち込む。
相手からすればわたしの状態なんか知ったこっちゃないわけで、自分も自分でそこにいちいち「わたしはこんなに苦しいのに!」と我を挟む必要もないのである。
「おめでとう」をさらりと送ればいいだけ。
さらり、さらり、さらり。
そうやっていくと、自分とのつきあい方が鍛えられていくんだそうだ。
そしてその人は、わたしに対して「豊かな感性をお持ちですね」と言ってくれた。
たしかに人一倍怒り、憤り、驚き、怯えているわたしは、感性が豊かなのかもしれない。
嫌だ嫌だと思ってきた自分の性質をそんなふうに表現してもらえて、まだまだこれからかもしれないと思えた。
自分を鍛えるためのnote、これからも細々と続けていこうかな。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが自分の欠点だと思うところは、どこですか?
いいなと思ったら応援しよう!
応援ありがとうございます。いただいたチップは宝焼酎のお茶割りを買うために使います。乾杯!