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1型糖尿病だったから…

今日は少しざっくりとしたテーマで。
私の中でときどき思い出す"1型糖尿病だったから"のお話をしてみようと思います。
もし私が1型糖尿病ではなかったら起こらなかっただろうなと思う出来事ですね。

今まで1型糖尿病がきっかけになった出来事は
良いこと悪いこといろいろありました。
今日お話するのはその中のネガティブな方のお話です。

1つ目は中学生のときのこと。
正確には忘れてしまいましたが
"がんばっている子"みたいなので表彰をされたことがありました。

中学生の私は学級委員などを積極的にやって
勉強もそれなりに良い成績で
部活動も一生懸命やって賞をとったりなんかして。
自分で言うのもだけれどそれなりに優等生。

でもずば抜けていたというわけではなく。
全国模試で1位になるような子もいたし
全国音楽コンクールで入賞するような子もいたし
運動部もあの子がいるから県大会までいけるみたいな子もいたし
勉強も運動もトップで生徒会長みたいなTHE優等生だっていた。
私の同級生はのちのち活躍する姿をテレビで見られる子もいたりして
なんだかすごい子がたくさんいた。

ではそんななかなぜ私が選ばれたのか

それは"病気なのに"がんばっているからでした。

いっしょに学級委員をやり部活動もがんばっていて
勉強も学年トップ3にはいるぐらいできる隣の席の男の子が
「僕もがんばっているのに」とつぶやいていたことを今でも覚えています。

表彰されることは本当だったら嬉しいし誇らしいことのはず。
ですが私にとっては少し苦い思い出となってしまいました。

だって病気になってしまったことは自ら望んだことではない。
でも少し優等生の私の賞状は望んでいない1型糖尿病のおかげなのかと
素直に喜べなかったんですよね。

でもね、卒業式では答辞を任されたり
生徒会に落選はしたものの先生がこっそり
"同級生の票はあなたが一番多かったのよ"と教えてくれたりもして

きっと"病気があるのに"は先生たちの中でも
たくさんがんばる子がいる中で頭を悩ませて選抜するときの
ほんのひとつの理由に過ぎなかったんだと思います。
何も口に出しては言われなかったけれど
私はずっと周りの大人たちに
”私なら大丈夫”と信用してもらいながらも
すぐに手を伸ばせるところで見守ってもらえていたんだと今ではわかります。


2つ目は社会人になってからのこと。
ありがたいことに私に好意を持ってくれる方がいました。

私は音楽が好きで社会人になってから今に至るまでも
ずっと同じボーカルスクールに通っています。
そこで出会った人たちとアカペラグループを組んだりしていて
練習以外にもご飯へ行ったり旅行をしたりしていたメンバーのひとり。

その方が私に好意があることはなんとなく気づいてはいました。
相談したいからなどと理由をつけて2人でお茶に誘われたりもしていて
ある日の電話で
「もしかしてanちゃんは1型糖尿病?何か困っていることはない?僕に力になれることはない?」
と言われました。

食事のときに血糖を測ったりしている様子は見られているので
気になって調べてくれたみたいでした。
私のことを理解しようとしてくれたから出た言葉だったんだと思います。

もともと私はその方を異性としては見られなかったので友だちとして接してきましたが
例えばこの人といっしょになったら、私はずっとこんなふうに同情されるのだろうか
と思ってしまいました。

もう10数年この病気と付き合って自分の中でとっくに乗り越えて消化してきたんだ
私はそんな弱っちい女じゃないぞ
という怒りもあった気がします。

それからその人と2人で会うことはなくなりました。
というかグループも解散してしまったので
その人が今どこで何をしているかも知りません。

1型糖尿病ということはひとつのハンディキャップではあるかもしれません。
でも私は病気だからと同情されたいわけでもないし、特別扱いされたいわけでもありません。

これは私のわがままなのかもしれません。

"1型糖尿病だから"を理由にはしたくない
"1型糖尿病だから"がんばっているわけではない

私は私のためにがんばっているんだ
私だから認めてもらったと思いたい
という気持ちがあったのかもしれません。

上手く言えないけれど
1型糖尿病も私の”今”を作ったものだし
これも私の個性だと自信を持って言えるようになりたいのです。

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