(地方)地域おこし協力隊を3年やって「地域おこしが分かりました」で終わるな

先日、3年間、地域おこし協力隊を経験した方のnoteを読みました。
行政との仕事、
地域との関係づくり、
SNSでの情報発信、
イベント企画、
活動経費など、
3年間の経験を振り返りながら、
これから地域おこし協力隊になる人や、
現在活動している人に向けて、
自分が経験したことを残していくという内容でした。
実際に3年間活動した人だからこそ書けることもあるでしょう。経験を記録として残すことも、大切なことだと思います。
ただ、私は読んでいて、どうしても引っかかる部分がありました。
「3年間やってみて、地域おこし協力隊のことが分かりました」
それで終わっていいのでしょうか。
私は、そうは思いません。
地域おこし協力隊は「地域おこしを学ぶ3年間」なのか
もちろん、着任したばかりで分からないことがあるのは当然です。
行政の仕組みも分からない。
地域の人との関係づくりも分からない。
予算の使い方も分からない。
イベントの進め方も分からない。
現場に出て初めて分かることは、たくさんあります。
でも、それは地域おこし協力隊に限った話ではありません。
例えば、政治家になってから政治を勉強する。
政治家になって初めて、行政の仕組みや地域の課題、住民との関係について学ぶ。それ自体はあるでしょう。
しかし、政治家になった以上、「勉強しました」で終わるわけにはいきません。
勉強しながら、実際に仕事をする。
結果を出す。
そして、その責任を負う。
地域おこし協力隊も、同じではないでしょうか。
「3年間活動して、地域おこしについていろいろ分かりました」ではなく、
「3年間、地域おこしを実践しました」
であってほしい。私はそう思います。
「自分起こし」になっていないか
地域おこし協力隊という制度には、隊員自身の成長という側面もあると思います。
新しい経験をする。
地域について学ぶ。
人脈をつくる。
仕事の経験を積む。
任期終了後の仕事につなげる。
それは決して悪いことではありません。
しかし、そこが目的になってしまったら、話が変わります。
地域を起こすために来たのか。
それとも、地域おこし協力隊という制度を使って、自分自身の経験や実績をつくりに来たのか。
私は、ここを分けて考える必要があると思っています。
言い方は悪いかもしれません。
でも、
「地域おこし」ではなく
「自分起こし」になっていないか。
そう考えてしまうことがあります。
「評価されること」と「地域に何かが残ること」は違う
地域おこしの活動をしていると、行政から評価されることがあります。
イベントを開催すれば、実績になります。SNSで発信すれば、数字になります。新聞やテレビなどのメディアに取り上げられることもあります。
それらは確かに活動実績です。
しかし、それと「地域に何かが残った」ということは同じではありません。
イベントを開催した。
SNSで地域を発信した。
観光スポットを紹介した。
地域の事業者と一緒に事業をした。
それを3年間続けた。
では、その人がいなくなった後はどうなるのでしょうか。
住民が引き継いでいるのか。
事業として続いているのか。
新しい仕事が生まれたのか。
地域の人が主体的に動くようになったのか。
仕組みとして残ったのか。
次の人がいなくても続けられるものになったのか。
ここまで考えなければ、「地域おこしの成果」とは言えないのではないでしょうか。
メディアに取り上げられた。
役場から評価された。
イベントを成功させた。
SNSで発信した。
それ自体を否定するつもりはありません。
でも、それだけを「地域おこしの成果」としてしまうことには、私は疑問があります。
自分が評価されたことと、
地域が変わったこと。
この二つを、私たちはつい同じもののように扱ってしまいがちです。
任期が終わったら、そこで終わりなのか
地域おこし協力隊には任期があります。
だからこそ、私はこの制度には難しさがあると思っています。
3年間という時間をかけて地域に入り、
地域の人と関係をつくり、
地域の課題を知り、
事業をつくる。
そして3年後、「任期が終わりました」で終わる。
これは地域側からすると、かなり大きな問題です。
せっかく地域に入ってきた人がいなくなる。
その人がやっていた事業もなくなる。
行政の支援もなくなる。補助金もなくなる。
自治体からの補助やサポートがなくなったら、その活動は続けられるのでしょうか。
もちろん、行政の支援を受けること自体が悪いわけではありません。
地域には、民間だけでは難しいことも、行政の力が必要な場面もあります。
しかし、「自治体の支援がなくなったら何もできない」というのであれば、その3年間で何をつくったのか、という話にもなります。
任期中に行政の支援を受けながら活動するのであれば、その3年間で、
「行政の支援がなくても続けられる仕組み」
「住民自身が動ける仕組み」
「事業として成立する仕組み」
をつくっていくことも必要なのではないかと思います。
だから私は、地域おこし協力隊を3年やって「地域おこしが分かりました」で終わるな、と言いたい。
分かったのであれば、その先で実践してほしい。
できれば、その地域に残ってほしい。そして、自分が学んだことを、その地域で使ってほしい。
地域を起こしたいのは、協力隊だけではない
ここまでは、協力隊本人がどう活動するかという話でした。ここからは少し視点を変えて、その周りにいる人たちの話をしたいと思います。
地域おこしをするのは、地域おこし協力隊だけではありません。
もともとその地域に住んでいる人の中にも、
「この町を少しでも良くしたい」
「人が集まる場所をつくりたい」
と考えて、自分で動く人がいます。
私自身も、地域でカフェを立ち上げました。
大きな補助金を使ったわけでも、大規模な施設をつくったわけでもありません。
地域の人が集まり、話をしたり、何かを始めたりできる場所があればいい。
そんな思いから、自分たちでできる範囲で始めました。
しかし、そこで改めて感じたのが、地域おこし協力隊と地元民の間にある制度上の大きな違いです。
地域おこし協力隊には、3年間という任期と、行政からの給与や活動経費があります。
一方、もともとその地域に住んでいる人は、地域を良くするために自分で動いても、当然ながら「地域おこし協力隊」にはなれません。
同じように「地域を良くしたい」と考えて活動していても、制度の対象になる人と、ならない人がいる。
これは、少し不思議なことだと思います。
もちろん、地域おこし協力隊という制度そのものを否定したいわけではありません。
外から人を呼び込み、新しい視点や技術を地域に持ち込むことには意味があります。
問題は、
「地域を起こす人=外から来た人」
という構造になっていないか、ということです。
地元に住んでいる人が地域のために動いても、それは当たり前のこととして扱われる。外から来た人が同じようなことをすると、「地域おこし」として取り上げられる。
行政の制度も、メディアの関心も、場合によっては地域の評価も、後者に集まりやすい。
そんな状況があるとしたら、地域の中で長く暮らしながら動いている人ほど、少し複雑な気持ちになるのではないでしょうか。
地域おこし協力隊がイベントを開催すると、
「地域おこし」としてニュースになる。
新しく移住してきた人が何かを始めると、
「移住者の挑戦」として紹介される。
それ自体は悪いことではありません。
新しい取り組みを広く知ってもらうことは大切です。
ただ、その一方で、もともと地域に住んでいる人が自分のお金や時間を使って始めた活動は、なかなか表に出てこない。「地元の人がやっているのだから、当たり前」になってしまう。
でも、本当にそれでいいのでしょうか。
地域を変えるのは、外から来た人だけではありません。
むしろ、任期もなく、補助金もなく、誰かに評価される保証もない中で、それでも地域に住み続けながら活動する人もいます。
その人たちは、3年後に地域を離れる必要もありません。
行政の担当者が変わっても、
補助制度が終わっても、
メディアの取材がなくなっても、
そこで暮らし続ける。
だからこそ、そういう人たちの活動にも、もっと目を向ける必要があるのではないでしょうか。
「地域に住む」ということ
そして、私が一番気になるのはここです。
地域おこし協力隊を終えた後も、その地域に住むのか。
私は、ここが非常に大きいと思っています。
地域おこしは、イベントを開催することだけではありません。SNSで発信することだけでもありません。
行政と一緒に事業をすることだけでもありません。
その地域に住んで、
買い物をして、
仕事をして、
税金を払って、
地域の人と付き合って、
時には面倒なことにも巻き込まれて、
地域の問題を自分自身の問題として考える。
そういう日常の積み重ねが、「地域に住む」ということだと思います。
任期中は行政から給料が出る。
活動経費がある。
行政の担当者がいる。
地域おこし協力隊という肩書きがある。
メディアにも取り上げられる。
でも、それらがなくなった後も、その地域で生活する。そのとき初めて見えてくるものも、たくさんあるはずです。
だからこそ、「地域おこしを学びました」ではなく、「地域の一員として、これからも実践します」というところまで行ってほしいと思います。
「元地域おこし協力隊」という肩書き
そして、もう一つ。
「任期が終わっても、その地域に残ればいい」という話でもありません。
残った後も、「元地域おこし協力隊です」という肩書きをいつまでも前面に出して活動するのであれば、それは本当に地域の一員になったと言えるのでしょうか。
協力隊という肩書きがある間は、行政から見ても、地域から見ても、「地域おこしをする人」です。でも、任期が終われば、その肩書きはなくなります。
その後も「元地域おこし協力隊」という肩書きを自分の価値として使い続けるのではなく、一人の住民として地域に向き合っていく。
私は、そこまで行って初めて「地域に住む」ということだと思っています。
地域の外から来た人が、いつまでも「元○○」という肩書きを背負っている。
それは、言い換えれば、いつまでも「よそから来た人」という立場に自分を置いていることにもなります。
もちろん、経歴として「元地域おこし協力隊」と名乗ること自体が悪いわけではありません。
問題は、それを自分の価値や信用の根拠として使い続けることです。
地域に根を張るというのは、肩書きを増やすことではない。肩書きがなくても、地域の中で一人の住民として必要とされることではないでしょうか。
「元地域おこし協力隊だから」ではなく、
「この町に住んでいるから」
「この町で仕事をしているから」
「この町の一員だから」
動く。
私は、そこまでやってほしいと思います。
地域おこしは「制度の対象者」だけのものではない
地域おこし協力隊には、制度として明確な目的があります。だからこそ、その3年間に何を残すのかを問いたい。
同時に、地域に住む人が自分たちの地域を良くしようとする活動についても、もっと評価されていいと思います。
地域おこしは、協力隊という肩書きを持っている人だけがするものではありません。
移住者だけがするものでもありません。
地元民でもできる。
むしろ、地元民だからこそできることもある。
そして本当に地域を持続させようとするなら、
「誰が地域おこしをしたか」ではなく、
「その地域に何が残ったのか」を見るべきではないでしょうか。
外から来た人が始めた活動も、地元の人が始めた活動も、同じように地域に残るのであれば、それでいい。
大切なのは、誰が評価されたかではなく、何が地域に残ったかです。
地域おこし協力隊を3年間やった人だけが地域おこしを語るのではなく、
その地域に住み続けている人も、
そこで商売をしている人も、
小さな活動を続けている人も、
それぞれが地域を支えている。私は、そんな見方も必要なのではないかと思います。
3年間はゴールではない
地域おこし協力隊の3年間は、地域おこしを勉強して終わるための時間ではない。私はそう考えています。
3年間で学んだのであれば、その先が本番です。
任期が終わって、行政の支援がなくなって、それでも地域に残る。
自分で仕事をつくる。
地域の人と一緒に動く。
失敗したら、自分で責任を取る。
それでも続ける。
そして、協力隊という肩書きがなくなっても、一人の住民として地域に関わり続ける。
そこまでやって初めて、「地域おこしについて分かった」と言えるのではないでしょうか。
地域おこし協力隊という肩書きがなくなったときに、何ができるのか。
行政の支援がなくなったときに、何が残るのか。
自分がいなくなったときに、地域に何が残るのか。
そしてもう一つ。
地域おこし協力隊ではない、もともとそこに住んでいる人が動いたときにも、その活動がきちんと地域の取り組みとして評価されるのか。
外から来た人だけではなく、中から動く人にも光が当たるのか。
地域を持続させるというのであれば、そこまで考える必要があるのではないでしょうか。
地域おこし協力隊を3年やって「地域おこしが分かりました」で終わるな。
分かったのなら、今度は地域の一員として、実践してほしい。
3年間は、ゴールではない。そこからが、本当の地域おこしなのだと思います。
