スマホの中に、もう一人の自分がいる。
スマートフォンを開けば、
そこには自分のことがたくさん残っています。
撮った写真。
誰かと交わしたLINE。
検索した言葉。
人には話していない悩み。
誰にも見せるつもりのないメモ。
一つひとつは、
それほど特別なものではないかもしれません。
でも、その一つひとつに、
そのときの自分が残っています。
人に見せている自分だけではなく、
誰にも見せていない自分も。
私たちは、いつも同じ自分ではありません。
仕事をしているとき。
家族といるとき。
友人といるとき。
一人でいるとき。
そのときどきで、
少し違う自分がいるように感じることもあります。
そしてスマートフォンの中にも、
普段は人に見せていない自分がいます。
誰にも言っていないことを調べたり、
ふと思ったことをメモしたり、
人には見せない写真を残したり。
そんなものがあっても、
おかしくないと思います。
人には、
人に見せるためだけではない時間があります。
誰にも話さないこと。
自分だけが知っていること。
そういうものを持っていることも、
自然なことなのかもしれません。
スマートフォンには、
そんな時間まで静かに残っています。
普段は、自分だけが見ているスマートフォン。
だからこそ、
自分が触れなくなったときのことは、
少し想像しにくいのかもしれません。
もし、いつか自分で
スマートフォンを操作できなくなったら。
そのとき、
中にあるものをどうしておきたいでしょうか。
写真も、LINEも、検索履歴も、メモも。
今すぐ答えを出す必要はありません。
ただ元気なうちに、
「これは残しておきたい」
「これは見られたくない」
そんなことを、少し考えてみる。
スマートフォンの中にある一つひとつを眺めながら、
自分でも忘れていた時間や気持ちに
気づくことがあるのかもしれません。
