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人生の達人

庭にある納屋を取り壊すことになった。

老朽化が進み、雨漏りもひどいからだ。
今は物置として使われている。
釣り道具や子供達の古いおもちゃ、懐かしいローラースケートやスケボーなど、どういう訳か捨てるに捨てれない思い出の品がたくさん山積みされており、ちょっとした隠れ家のような雰囲気がある。

ここは元々じいちゃんの仕事場だった。

じいちゃんは腕のいい桶職人で、私の住むところではおそらく唯一無二の存在であった。
町から表彰されたり、その作品が民族資料館に展示されている時期もあった。じいちゃんの部屋には額縁に入った表彰状が所狭しと飾られていて、どこかのお偉いさんと並んで背広を身にまとい、右腕に自慢の桶を抱えた写真もあった。モノクロでとてもカッコよかった。

その桶で作る酢飯が最高に美味しくて、週末に家族みんなで手巻き寿司を食べたり、酸っぱくてどことなく甘いいなり寿司を頬張るのが子供の頃とても楽しみだった。

じいちゃんはすごい人だ。

産まれた日と命日が同じという奇跡の人である。

自分の兄弟姉妹、七人いる子供達、孫達、全ての人に平等に優しく、私はじいちゃんが怒っている姿を見た記憶がない。

ばあちゃんは、
「優しいて言うより八方美人だもん、こん人は」
と、いつも言っていた。

ばあちゃんは男勝りな性格で、豪快だった。
だからじいちゃんと仲が良かったのかも知れない。

じいちゃんが大好きだった物が三つある。
「煙草」と「芋焼酎」と、「時代劇」である。

小学校から帰ると、毎日必ず何かしらの時代劇がテレビから流れていた。

「この紋所が目に入らぬか!」
の日もあれば、
「この桜吹雪、見忘れたとは言わせねえぜ!」
の日もある。

煙管で煙草をぷかぷかふかしながら、真剣な眼差しで観ていても、孫達の顔を見つけると大声で笑い出し、「ほら、おいでおいで。最中があるぞ」
と手招きする。それを聞いていたばあちゃんが、「子供がそんなの食べるはずないでしょうが」と呆れ顔だ。

「そんなん風に言うけん、本当は食べたくても気を遣って食べんのや。なぁ、そうやもんなぁ。おいでおいで」

そう言って私をあぐらの上に座らせ、大きな最中を半分に割ってくれた。
私はお腹はもちろん空いていたけれど、ばあちゃんのご指摘通り最中があまり好きではなかったので、やんわりと断って宿題をしていたのもいい思い出である。

小学校低学年の頃、夏休みに木材を使った工作が宿題で出された。
友達は車や貯金箱を作っていた。
私は何を作っていいのか、夏休みがやがて折り返しを迎えても一向に決まらず、困り果てていた。

そこでじいちゃんに相談すると、

「よし分かった!任せてくれ。じいちゃんはな、工作は昔から得意でな、そういう専門学校を卒業したんやぞ。楽しみにしててくれな。代わりに小さいのを作ってあげるけんな」

そう得意気に言いながら、自慢の長い煙管をふかしながら廊下の窓から空を見上げ、何やら思案しているようであった。

「あ、じいちゃん、その工作は図書室にみんなで飾るけん、名前も書いててね!授業参観とかでたくさんの人が見に来るけん、よろしくね!」

と、私は伝えた。

どんな作品に仕上がっているか楽しみだった。

ロボットかな?怪獣かな?ロケットかな?黄門様の印籠だったらちょっと恥ずかしいかな?

なんてあれこれ想像していた。

学校が始まる日、
「頼まれてた工作、昨日やっと完成したから今日持って行ってくれな。自信作やぞ。」

とひよこ饅頭と書かれた紙袋を渡してくれた。
中身は新聞紙で丁寧に包まれており、子供心に期待度が抜群で、登校班の集合場所に意気揚々と駆け足で向かった。

中身は、なんと寿司桶をひと回り小さくした、立派な桶であった。

きちんと紙やすりで磨きもかけられた、本格的な作品だった。
先生にはおじいちゃんにお手伝いを頼んだことを正直に伝えると、笑いをこらえきれない様子で、
「これはそのまま飾ろう!君の宿題は冬休みにもう一回作ろう。」
と大目に見てくれて、大岡越前のような見事なお裁きを施してくれた。

その立派な桶には、おじいちゃんの直筆で、『松本吉右衛門』と、なんと本人の名前が書かれていたので、さすがにびっくりしてしまった。
「こりゃ値札もつけていいかもな」
と、先生が真顔で頷いていた。

おじいちゃんにはきちんとお礼を言った。

授業参観の日、この作品を見たたくさんの人が不思議そうにまじまじと眺め、名前と事情を知ると大人みんなが欲しいと言ってくれた。

それほど立派な出来栄えのようだった。

ばあちゃんと母は、私からその話を聞いて大笑いしていた。
というより笑い転げていた。

じいちゃんはあまり状況が飲み込めていないらしく、いつもの芋焼酎をお湯わりで飲み、赤い顔をして笑っていた。

「ばあさん、今日はもう一杯もらおうか?」

と、おかわりをしていた。

タコの刺身を酢味噌で食べ、あぐらに私を乗せてタコを口に入れてくれた。

「お?この味が分かるなら、将来は酒飲み確実やぞ」

と、上機嫌のじいちゃんだった。

私が高校生の時、じいちゃんは亡くなった。
私は市電とバスを乗り継いで、急いで家に帰った。

最後に会った頃にはじいちゃんは認知症がかなり進行していたらしく、週末帰省すると、「あんたは誰ね?」と尋ねられていた。

私は切ない思いで、じいちゃんが美味しそうに焼酎を飲む姿を眺めていたのを覚えている。

人を滅多に怒らないじいちゃんは、同じくらい涙を流さない人だった。
大切な人が亡くなっても、お葬式では笑顔を作り、参列者の方を励ましていたらしい。
「おれもいつかはそっちに行くから、悲しむ事じゃないわ。また会えるし、おれがメソメソしたらゆっくり休めんからな」
と、ばあちゃんには言っていたようだ。


時代劇のドラマにはきちんとした筋書きがあるけれど、人生には決められた道筋はないと思う。
楽ありゃ苦もあり、煙草の煙のように、むせて何もかも吐き出したくなる時もあるだろう。
そしてじいちゃんの大好きな芋焼酎のように時に甘く、時に苦く、奥が深くて味わいがあるのもこれまた人生だ。

私はまだまだ青二才だけれど、じいちゃんの焼酎の味が少しは分かる歳になり、最中とおはぎも、半分くらいなら食べれるようになった。

蒼天に泳ぐ、煙草の煙のような雲をみる度に、優しかったじいちゃんの顔と声が浮かんでくる。

泣きたい時に、無理して少しだけ笑ってみる。
きつい時に、強がりを言ってみる。
周りから見たらバカげたように思える事を精一杯やってみる。
そんな不器用でカッコ悪い人生もたまにはいいじゃないか。

そうだよね? じいちゃん。

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ぞうさん。 私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。