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昔ばなしの、そのつづき

父は不思議な人である、と思う。

もう少し付け加えるならば“不思議な力を持っている人”である。

とにかく動物に好かれやすいのだ。
ペットとして飼うネコくんやわんちゃんはもちろん、庭に集まる猫たちもみな、何より誰よりまずは父に懐き始める。

ある時、父が盆栽いじりをしているそばに、なんとたぬきの子供がくつろいでいた。
いい気持ちなのか、大きなあくびをしている。

またある日曜日などは、どこから迷い込んでやって来たのか、いのししの赤ちゃんが二匹、父の足元で餌を食べていた。

流石にびっくりしていると、

「まだこの子達は小さいけん、後で畑に行くついでに母親の所に連れて行くわ」

と、父はなんともまぁ呑気な事を言っていた。

動物だけではないんだよね、と娘は話す。

ヒヨドリもスズメもメジロも、みんな父のそばに寄って来ては、逃げることもなく楽しく遊んでいるそうだ。

母はいつも、
「お父さんは頑固で偏屈者でしょ?動物は人間と違って憐れみ深いから、お父さんの事をかわいそうだと思って優しくしてくれるとよ」
とからかっているが、父はまるで聞こえないフリをしながらいつもビールを飲んでいるからなんとも滑稽である。

私にとって父は、とても厳しく、決して勝てない、越えられない大きな壁のような存在だ。

それは今も昔も、何ひとつ変わらない。

小学校低学年の頃、私は父にソフトボールを毎日教わっていた。
ピッチャーとしての投げ方、ボールの捌き方、ヒットの打ち方など、学校が終わって日が暮れるまで一緒に練習をしていた。

私は右利きだけれど、バッターとして打席に立つ時は必ず左打ちでやりなさいと厳しく言われた。
ゴロを打った時、左打者の方が一歩、一塁ベースに近い分出塁率が上がるからである。
父自身もそうやって打席に立ち、社会人のチームでは四番を務め、打率も五割を軽く超えるすごい選手であった。

誰よりも早く走り、鋭い球を投げ、ホームランを量産する父の姿は、子供の私の目から見てもすごかったけれど、その技術を私に教えても出来るわけがないじゃないかと、反発して怒られ、暗い中で声を出さずに泣くことも珍しくなかった。

小学校四年生の時であっただろうか、父と言い合いになったことがある。

晩御飯の時、父が私のピッチングが変だと言った。
「コントロールは後で調整しなさい、まずはスピードを出す練習をしないといいピッチャーにはなれんぞ!」
と頭ごなしに言われたので、私は「先生はまずコントロールをよくするように心がけなさいって言ったもん。いくら球が速くても、ストライクが入らないならダメだって言ったもん!」と言い返した。

「は?アホか。そんなんは二流のやることや。小手先だけ上手になっても球の重さとスピードはついてこないんだぞ。」

「だって先生が・・」

「わかったわい!ならその先生を今すぐここに呼べ!俺が話をつけてやる。おい、今すぐ電話しろ!」

母が慌てて電話をし、先生に事情を説明している。

数分後、ジャージ姿の先生がペコペコ頭を下げながらやって来た。

家に上がる先生に、母が会釈して詳しい経緯を話している。

神妙な面持ちで頷く先生に、少しお酒で顔の赤くなった父が、身振り手振りで語っている。

その一言一句を真剣に聞いていた先生が、「おい、松本!」と私を呼んだ。

私の肩をポンと叩き、「お前はこれからずっと、お父さんの言う方法でソフトボールをやりなさい。最初はうまくいかなくても、お父さんが教えてくれるやり方を極めなさい。先生もお父さんに習いたいくらいだよ。先生の大先輩や。先生は全く敵わないし、技術も全部お父さんの方が上だ。上手な人のやり方を真似るのが正しいだろ?これからはずっとお父さんの言う通りに打席に立って、ピッチングもそうしなさい」

と言った。

「わざわざこんな時間に本当にすみません」と母は何度も頭を下げていた。父は何故か少し誇らしげな表情をしていた。

先生は、「いえいえ、私の方もいい勉強になりました」と、目を大きく見開き、また私の肩を叩き、笑ってくれた。

先生は、母を、私を、そして父を救ってくれた。

父はそれからも相変わらずずっと厳しいままであったが、その日から私は父を見る目が少しだけ変わったような気がする。


息子が二十歳になり、無事に成人式を迎えた。

父と母と、私と息子と四人で先日お酒を飲む機会があった。

父がほろ酔いになる時、いつも必ず話す話題がひとつある。

息子が小さい時から、もう何度も聞いた、お決まりの話だ。

「しゅんがまだよちよち歩きの頃にな・・」

と、まんが日本昔ばなしのような語り口でいつも始まる。

息子が一歳半、娘がまだ産まれて半年の秋、妻が病気で天国へと旅立った。

当時私達四人は、新潟の妻の実家にお世話になっていた。

妻が亡くなった後、息子をおんぶし、娘を抱っこして私は熊本の家に帰って来た。
ちょうど晩秋の時期で、海沿いの道路は木枯らしが吹いていた。
息子のほっぺたが少しあかぎれになっていたので、ポケットからニベアクリームの缶を取り出して塗ってあげた。

私が新しい仕事を探したりする間、毎日父が、息子の手を引いて散歩に出かけていた。
子守りというわけである。
大きなリュックにおやつとジュース、そしてオムツを入れ、山や川や公園にいつも出かけていたらしい。滑り台で機関車トーマスのおもちゃを滑らせると、息子は大きな声を出して喜んでいたそうだ。

何を見ても、「ぞうさん、ぞうさん」と指差しながら言っていたらしい。

「あれはぞうさんじゃなくて、わんわんやぞ。これはにゃんにゃん!」

そうやって父は国語の先生の役割も担っていた。

「じいじ、じいじ、ぱっぱ、ぱっぱ。ぞうさん、ぞうさん!」

そんな毎日のやりとりの中で、息子は言葉を覚えていった。


「しゅんはな、毎日毎日、じいじと二人で散歩に行きよったんぞ。アンパンマンのリュックにいつもお菓子を入れて、山で一緒に食べてたんやから。じいじが言葉を教えたんだぞ。ママが死んで、何も分からない中で毎日毎日しゅんは無邪気にニコニコして、元気一杯で遊んでたんよ。海岸に行ったら石投げもしてた。鼻が垂れたらじいじが拭いてやってんだから。」

父はいつも楽しそうに、懐かしそうにその思い出話をする。

息子も「ふーん」と頷きながら、もう何十回と聞いたであろうその昔話に耳を傾けている。

「いやぁ、孫と一緒にお酒飲める日が来るなんてなぁ」

と、いつもは厳しい父も上機嫌だ。

「こりゃまた幸せやなぁ、しゅんの為にも長生きせなんなぁ」と、赤鬼が笑っている。

父は私にとって、決して勝てない、越えられない大きな壁のような存在だ。

けれど、父と息子と一緒にお酒が飲めて、私だって負けないくらい幸せだと思った。

父と同じくらい長生きをして、息子の子供とお酒が飲めたらいいなと思う。

そんな幸せな未来の席に父がいてくれたら、一体どれくらい幸せだろう。

あ、来年は娘も二十歳になる。

今度はどんな昔話が聞けるのかな。

動物園でペリカンの大きなくちばしに頭を挟まれて、娘が大泣きしたあの日の笑い話だろうか。



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ぞうさん。 私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。