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[鑑賞日記] 25.10 アルゲリッチを追いかけて、はるばる京都

10月12日、アルゲリッチを聴くためだけに京都に行ってきた。何という無駄遣いをしているのだ、と少しばかり後ろめたい気持ちを抱えつつの出発だったが、今は、何という良い意味での贅沢だったことよ、と思っている。

鑑賞日記なるものを時たま書いてはいるが、自分が優れた聴き手でないことは自覚している。味音痴ならぬ音音痴。音楽の良し悪しなんて、実は何もわかっていない。現在進行中のショパンコンクールにしても、誰々は表現力がある、誰の解釈は素晴らしかった、等々の感想を目にするにつけ、すごいなあ、私にはみんな素晴らしく聴こえるよ、と感心するやら劣等感に苛まれるやら。

そんな自分が、ただ1曲を聴くために京都へ、というのは、豚に真珠も良いところだ。(豚に真珠って、豚さんに失礼よね、ドイツでは幸運のシンボルなのに。) それでも、なぜだかよくわからないけれど、アルゲリッチはやっぱり聴きたい。勢いでチケットを予約してしまった。

シンフォニア・ヴァルソヴィア、ポーランドからやって来たオーケストラ。すみません、今まで知りませんでした。指揮はクリスティアン・アルミンクさん。ベートーヴェンのフィデリオ序曲から始まり、小林愛実さんとのショパンピアノ協奏曲第1番、そしてアルゲリッチの次女アニー・デュトワさんによる委嘱講演(実際は記者さんとの対談風)があり、最後にお目当てのアルゲリッチさまによるベートーヴェンピアノ協奏曲第1番。盛り沢山のプログラム。(呼称が難しい。アルゲリッチさん、は馴れ馴れしいし、むしろ敬意をこめての呼び捨てが一番しっくりくるが、他の方との釣り合いが取れない。とすると、さま、としか呼びようがない。)

フィデリオ序曲では、あれ、管が少し不安定かな、とか一瞬気になったりしたけれど、やはり生音の迫力はいいなあ、と音楽に身を委ねた。小林愛実さん、ショパンはやはり十八番かな、オケもショパンはすっかり手のうちだろうし、素晴らしい。なるほど、そこでちょっぴりため気味にするのかあ、などと思いながら聴かせてもらった。アニーさんのお話は知らなかったことがたくさんで面白い。なんとアルゲリッチさま、ピアノの練習のために幼稚園をやめさせられたとのこと。ずっと孤独だったからひとりが嫌い。小学校とか中学校とかはどうしたのだろう。そう言えばプロフィールには誰に師事したかは書いてあるが、学校についての記述はない。気になる。

そしていよいよ、アルゲリッチさまのベートーヴェンピアノ協奏曲第1番だ。原爆投下70年の広島で弾いた曲とのこと。ベートーヴェンの博愛主義を感じられる曲と語っているそうだ。そういう意味があったのか、とこの選曲に納得。講演用の椅子や小机が舞台上から片付けられ、舞台袖からは何やら楽しげな話し声が聞こえる。オケの皆がぞろぞろと現れるや、それに混じってアルゲリッチさまも舞台上に登場。オケメンバーと一緒に入ってくるソリストは初めて見た。オケの皆さんも慌ただしく自分の席へ。調弦のためのA音もアルゲリッチさま自ら鳴らす。彼女のペースに押されるように曲が始まる。オケの奏でる明るい序奏にアルゲリッチさま体を左右に揺らして楽しげ。そしてピアノが始まる。ああ、もう言葉にできない。なんと力強く、なんと幸福な。ピアノにつられるように、オケの音も先程までより、力強く響いてきたように感じる。

そう言えば、昨年もそうだった。別府アルゲリッチ音楽祭の一環で東京で開かれた、クレーメル、日本の若手弦楽奏者らとの室内楽コンサート。若手奏者らによるベートーヴェンの一曲の後、同じ奏者にアルゲリッチを加えてのベートーヴェンピアノ四重奏曲第3番。演奏が始まって驚いた。弦楽器の音がさっきと違う。明るく力強く響き、音楽がどんどん前に進んでいく。美しく、楽しい。アルゲリッチが共演者の良い音を引き出しているのだ。この人、紛れもなく本物だ。

ああそうだ、アルゲリッチマジックだ。今日も音楽は淀みなく楽しく進み、より美しくなっていく。

あっと言う間のような、それでいて濃密で充実していて、長いのか短いのかわからない時間だった。圧巻。一階席はほとんどの観客が立ち上がって拍手を贈っていた。

アンコールはないかな、かなり時間も押しているし(休憩時間、女性トイレは長蛇の列だったのに、係員が今日は終演時間が決まっているから休憩の延長は難しいようなことを言っていたのだ、少しだけ延長されたようだけれど)、と思っていたら、袖から譜面台とピアノの椅子一脚が運び込まれてくる。連弾?もしかして?と思う間に、アルゲリッチさまと愛実さんが揃って舞台に登場。ふたりピアノの前に座ると、何やら楽譜を前に相談しているらしい。アルゲリッチさまから、ラヴェルのマ・メール・ロワより演奏するとアナウンス。ファーストがアルゲリッチさま。愛実さんとふたり、頭が近づいたり離れたりしながら、さながら仲の良い母娘(あるいはおばあちゃんと孫娘?)のように演奏する姿には、こちらの頬もゆるむ。なんという貴重な、なんという贅沢な。お得意のグリッサンドで演奏を終え、お辞儀をすると、愛実さんと仲良く手をつないで舞台袖へと消えた。その後ろ姿がまた可愛らしい。

すごいものを聴かせてもらった、すごいものを見せてもらった。

アルゲリッチさま、何がすごいのか、私は語る術を持たない。ただ、とにかくすごい。そしてとにかく大好き。なぜだろう。私にとっては、アルゲリッチさまのピアノはどこまでも自然なのだ。今日も、小林愛実さんの演奏は、なるほどそんな風に弾くのか、などとふと頭をよぎった。もちろんその表現はとても素敵だ。ただどこか頭で聞いてしまったりもしているようだ。でも、アルゲリッチさまの演奏は、もうその音はそれ以外にあり得ないほど、自然に入ってくる。凡庸だとか工夫がないとかいうのではない、新鮮な表現もたくさんあるはず。でも奏でられた途端、もうそれしかないというほど、自然に耳に流れ込む。おそらくそれがアルゲリッチさまのすごさなのだろう。そしてたぶん、私の好みに合っている、というのもあるかもしれない。子供の頃お世話になった恩師もアルゲリッチさまがお好きだったようで、シューマンだったかを勉強している時にアルゲリッチを聴くと良い、と言われた。遠い日に習い私の中に眠っている恩師の表現が、呼応するのかもしれない。

京都、遠かった。(そして高かった…) でも、思い切って行って良かった。あと何回聴けるだろう。願わくば来年も再来年もその先も、ずっと聴けますように。

お元気で長生きしてください、大好きなアルゲリッチさま!




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