高河ゆん「源氏」を読み返しました
去年の夏はMrs. Green Appleをヘビロテで聞いていました。
アマプラから次々とおすすめされ、ああ、いいねぇと流していて気が付けば
「青と夏」
「ライラック」
「soranji」
「クスシキ」……キリがないっ!
「天国」の歌詞で
-ならどうすればいい?
-いっそ忘れちゃえばいい?
-そうだ、家に帰ってキスしよう
すごく苦しんでいるはずなのに、最後にどうしようとなって、そうだキスしよう…って。なかなか意味不明なオチです。(好きだけど)
何かこのフレーズにデジャヴを感じるなあと思ってたのですが、
ああ、「源氏」の江端克己だぁと思い至り、
ああ!この感性か!
そういや大森さんのキャラってなんか克己っぽいような気がします。
昔に読んで覚えている印象を書くならば。
源平のSF風高河ゆんアレンジ。(とにかく恋愛至上主義)
主人公の克己のキャラが受け付けられない。(自己肯定感高すぎるのに豆腐メンタル)
源氏の頭領である源頼朝が死んでしまって、ちょうどそこにヒロイン桜をおっかけてきた克己が瓜二つだったため、替え玉に仕立て上げられる。
頼朝と平清盛はなんか仲良しだった。
義経は史実以上に兄ラブだった。頼朝に自分の目を使ってくれとするほどに。
物語の最初に出てくる桜のマンションがなんというか…バブリー。
云々…
友人に、「高河ゆんは、わかる人とわかんない人に分かれるよー」と言われ、でも食わず嫌いは嫌だし、なんにせよ当時は一つの大きなブームだったし、なにより絵柄は好みだったので、まずは読んでみるか、と手を付けたのですが…うん、私はわかんない人だったわーと。撃沈。
でもね、結局8巻まで読みました。
現行の最終巻。どうやらこの後は刊行されていないようで、残念です。
わかんないと言いつつ、なぜ最後まで読んだのか。
最期まで読めば、いろいろ辻褄が合って理解できるじゃないか、と思ったから。うん、多分これは私の読み込みが浅いからだ。ちゃんと読めば解るはず。
…でも多分それは思い違いです。
根本から違いすぎた。
源平合戦そのものをSFアレンジで楽しむ作品というより、主人公・江端克己とそれを取り巻く人々を読む作品なのかなー、と思います。
最初に書いた、克己というキャラ(=個性)が受け入れいれられるか否か。
史実の源平の戦いに似た世界線の上で、その時々に清盛が、義経が、武蔵が、空也が、何を克己から感じるか、どう変わるかといった内面で語られる作品なのかと。
克己はわがままなのに優しい。軟弱なようで頑固。
その核は、「愛と己に素直であること」。
建前とか、しがらみとか、合理的とか、常識とか、そういうものが行動原理にない。武士としての生き様とは真反対(多分)。
こういうセリフも克己だから言える。
「最後に俺たちを助けてくれるのって女の人だよね」
「やっぱ男はさあ 女の人がいなくちゃ絶対生きていけないよね」
今の時代でも、こんなことをサラッと言える男性がどれほどいるか。
良いヤツじゃん、克己。セリフが心に染むわ。
