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この世の喜びとはなんだろう【この世の喜びよ-井戸川射子】を読んで。


詩人としての名前を聞いていたことがあった井戸川射子さんの芥川賞受賞作。
この世の喜びよを読んだ今の感想を書き残しておこうと思います。
 

あらすじ
思い出すことは、世界に出会い直すこと。

静かな感動を呼ぶ傑作小説集。

娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。言葉にならない感情を呼びさましていく芥川賞受賞作「この世の喜びよ」をはじめとした作品集。

amazon書籍紹介ページより抜粋


二人称"あなた"を主語にして書かれたこの話は、初めこそ違和感に戸惑ってしまうけど、当事者に感じさせるための技術が散りばめられていたと思う。

わたしの話のようでわたしの話じゃない。けれど、「うーん、わたしもいつか、思うのかも。一つ一つの小さな喜びを思い返して重ねてきたことに幸せを感じられるのかも」と思いながら読んでいた。

話の展開としては地味かもしれない。
何か大きな事件が起きたり、颯爽と何かが解決することはないかもしれない。けれど、人生ってそんな感じ。
劇的な何かがなくても、少しづつ小さく変化しているのが人生。
全く同じに進むことも出来ないのが人生。
だからこそこの世の喜びがなんであるのかを考えた時に、この人の言いたい喜びとは普遍な愛情を持ち伝えることなんだろうなと思った。

とにかく表現が色鮮やかで、ちょっとずつ生々しいのだけど、本当に読みやすい。
わたしの中に存在しない記憶がするすると流し込まれてくる気がするくらいに読みやすい。
”あなた”の周りにいる登場人物にも、共感とヒヤヒヤが共存している。
わたしも後輩や年下の存在が増えてきて、その人たちにヒヤヒヤしながらだけど、”大丈夫ちゃんとできるよ”って思いながら見守ったり、時には手を貸したりしている。
その塩梅が難しいけれど、それに悩むくらいには愛情がある育て側になっているのかもしれない。


"あなたに、伝えられる喜びよ"

この言葉で物語は締められる。
最後を読んだ時に全身の血が沸き立ちそうだった。
ああこれ愛情の話だ、母性の話なんだ、って思った。

ふわふわしていた感情が、だんだんと地に足をつけてきたように納得して落とし込まれてきた。幻想の話のように思っていたのは、わたしが当事者じゃ無いからか。

けれど、子育てをしたことがなくとも、育てられた経験ならある。
だからこそ、育ててくれた人の存在を思い浮かべてしまう。

ああそうか、思い出してもらえることも愛情なのか、と思った。

揺蕩う様な読後感でいっぱいだった。



こんなにも中年の女性について書けるのだから、この方はとても大人なんだろうなと思ったら私と7つしか離れてなくて驚いた。

何者にもなれるというのは、作家の特権だと思う。

未来の私から送られた、過去の私に向けた手紙のような物語だった。



数十年後の私はこれを読み、何を思うんだろう。
その時には、重ねてきた幸せがあるといい。



今の私に刺さった一文
『私がどこかに、通ってきた至るところに、若さを取り落としてきたとあなたは思ってるんだろうけど、違うんだよ、若さは体の中にずっと、降り積もっていってるの、何かが重く重なってくるから、見えなくなって、とあなたは言う』


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