ネットゲームの仲間たちと出会う。リアルはひきこもり。#1 (計画的な家出)

自己紹介エントリーの”いままでやってきたこと”の順に沿って記事を書いていきます。


自己紹介エントリー

家出したときのこと

受験を控え、学校に行けなくなったところにくる自分本位のクラスメイト達を見て。
本当の友達に会いにいきたいと考えた私は、家出を計画することにしました。

家出先は大阪府堺市。
当時、毎晩チャットしていたKくんの家に泊めてもらい。一緒に当時はまだジャンク屋で溢れていた日本橋に行ってパーツを漁って、年越しして戻ってくる旅程で計画。

大分県から大阪府までは西大分にあったダイアモンドフェリーというフェリーの三等客室と学割を活用して往復で3万円あればギリギリ帰って来れる金額でした。

それでも3万円の金額は自分ではどうにもならない金額なので。家出先を事前に設定し、家出に関しての展望を元に大人の出資者募ることにし、個別にお願いしてまわりました。

応じてくれたのは、うちのばあちゃんと、同じ不登校の友達のお母さん。
出資に対するリターンはやりたいことを自分できめてくること。

おばあちゃんに同行してもらって、信金で口座を作り。
自分の口座とカードを作って入金。家出の準備を計画的に済ませて出発することにしました。

計画的な家出

実は、この家出の前にも家出の前科があり。その時は黙って大阪行きのフェリーに飛び乗って船旅に出たことがありました。

その時は六甲アイランドの船着場に伯母が待ち構えていて。翌日、おばあちゃんと妹が迎えに来るという大騒動を起こした前科があり。

“つぎ、家出する時は計画的に行うように。” と再発防止策の報告を求められた経緯があったため。今回はその時の反省を活かし。

この家出は出資してくれる大人に対しての旅程の開示と準備に2ヶ月ほどかけて臨みました。

大分県から大阪までの船旅

大分県を夕方に出港し、早朝に六甲アイランドに到着する船便です。
出航したフェリーは夕暮れの佐田岬半島を通って伊方原発を横目に今治まで進みます。

お金がないので食堂は使えず。乗船前に買ってきたカップラーメンを食べて過ごしつつ。外ばかり見る船旅。

今治を出たら、しばらく瀬戸内海を進んで。六甲アイランドの船着場へ翌朝着きます。
(なお、この船便はもう廃止されており。いまは別府から南港までの便があるらしい)

なんとなく高揚感より、今回は帰って来れる旅だけど。いずれ近い将来。
地元を出て生きていかないといけない時が来るんだろうな。と寂しくなる気持ちもありました。

受験で潰しあうこととか、他の人と同じじゃないと不安だとか。
そんな悩みより、これから自分で自分のことを決めていくことに恐怖ではなく物事の大きさに不安になってきた旅の始まりでした。

Kくんと待ち合わせ

六甲アイランドに早朝に到着。大阪駅までバスに乗って移動したのち。
“泉の広場” でKくんと待ち合わせしました。

Kくんは寝坊して4時間くらい遅れて迎えに来てくれました。

風月のお好み焼きが行きつけだと言って連れて行ってくれて。
日本橋の電気街で一緒にジャンクを漁って。

阪堺線の路面電車でKくんの住む堺市へ行って、10日ほど一緒に過ごしました。

Kくん

Kくんの性格は一言で言えばカッコつけな性格でした。
あまり悩みとか自分から言わないので、大阪に行くまで知らなかったのですが。

学校で先輩から生意気だと殴られたり。
窃盗や暴走への加担などを求められるのが嫌になって家にこもってチャットルームで私と知り合ったとのこと。

ご両親との付き合いもあまり良好ではないようで、滞在の間。声はするけど一度も姿を見ることはありませんでした。

(年越しのお雑煮をドア越しに出してくれたのが、すまし汁だったのにびっくりした。)

Kくんがおかしくなってきた

予定滞在の日が終わりかけた時期にKくんが帰らないでほしい雰囲気を出してきました。

何かにつけて、まだいればいいとか何かしないといけないといった形で滞在を引き伸ばしにかかったり。私の荷物をクローゼットに隠したりしだしました。

私は当時(から)太っている体型で、”痩せておばあちゃんに大阪に来てから健康になったところを見せたほうがいい” と工業地帯の一本道をマラソンに連れ出されたり。

私の機嫌が少し悪くなると肩パンで叩いてきて、二の腕が腫れ上がったり。
Kくんがおかしくなってきました。

Kくんが寝てる間に私は荷物を持って、Kくんの家から黙って帰ることにしました。

かえりみち

阪堺電車に乗って新今宮駅まで行き。おばあちゃんに満足したから、これから帰る旨を伝えて。大分県へ帰ることに。

かえりに八尾に住んでいる7つくらい年上のチャット仲間の家に行き、すこし話して。
ドーナツを1つもらい。

あまり使わなかったお金で新幹線の自由席に乗って、小倉経由の在来線で大分県まで帰りました。

一晩かけて船旅で移動した距離を5時間ほどでもどれることにびっくりしながら。
ずっと自由席に座れずにお正月から帰省ラッシュの中。連結部に立っていました。

大分駅にかえりつくころには、自分の理想の居場所は他のどこにもなくて。
自分で作って行くしかないんだと思い至っていました。

その後、Kくんやチャット仲間と友達でいられたかの記憶はいつの間にかなくなっています。

2000年の年末年始の家出のおはなし。
(#2 アルバイトとネットゲームのお話に続く)

後日談

何の偶然か、いろんな転機を経て。
家出した街に家を建て奥さんと子供と暮らしています。

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