ナインの記録:幼少期
「早くー!こっちおいでよー」
勢いよく森を駆ける少女と、大型犬が1匹。その後ろを必死についていこうとする少年が1人、遅れて走っていく。
「待ってよー。……はぁはぁ。そっちは行っちゃダメだってー」
「大丈夫よ。どうせ、あの湖まで行ったって、何も起こらないわ。大人たちは大袈裟なんだから」
落ちる枯葉や小枝のやまをものともせず、一気に駆け抜けていく少女は、「怖いものなんかない」という顔で、笑顔すら滲ませていた。
対して、必死に追いかける少年は、体力の限界のせいか、この先に待ち受ける何かに対するものか、大量の汗をかき、荒い息を繰り返している。
いつもそうなのだ。
彼女がだいたい無茶をして、それに付き合わされた自分は、止めたにもかかわらず大人たちに怒られる。
今回も、「帰ったらまた、お説教か」と半分諦めながら、それでも少女を見失うまいと必死について走っていた。
「ほら!やっぱり大丈夫じゃない!」
前方で、先に目的地に着いた少女が、こちらを見て大きく手を振っている。
その横を、彼女の相棒がクルクルと周り、大きく尻尾を振っていた。
少年は、少女が湖のそばで立ち止まったことに安堵して、走るスピードを少しだけゆるめる。
なんだかんだいって、自分のことを待っていてくれる少女は、彼が行くまでその場から動かないだろう。
そんな安堵が生まれた次の瞬間、彼は声にならない叫び声をあげた。
「ーーーーーーーーーっ!!」
少女は一瞬にして暗くなった頭上を振り返る。
目に飛び込んできたのは、鋭く何本も並んだ牙と、その奥に見える赤黒い空洞。
逃げる間も、声すらあげる瞬間もなく、砕かれるような痛みが全身を襲った。
「ーーはっ!!」
夜も明けきらないかわたれ時、無機質で白が基調の部屋のベットで、跳ね起きた女性が一人いた。
全身を冷や汗が伝い、肩を上下させながら、何度も何度も短い息を吐き出す。
顔に張り付いた赤銅色の髪を払うこともせず、布団を握る自分の手をじっと見つめた。
何度目かの呼吸を繰り返したあと、おもむろに天井を仰ぎ、「ふー」とひとつ、大きく息を吐く。
「またこの夢だ」
内心、呟きながら、やっと視界を邪魔する髪を払いのけると、ベットから出て立ち上がった。
「また」とは言ったが、いつも夢の内容は覚えていない。
おそらく、子どもの頃の出来事を思い出しているのだろうが、夢の中であれだけ鮮明だった映像が、起きた瞬間、一気にピントがずれてぼやけてしまうのだ。
唯一残るのは、眼が覚める直前に体を貫いた感覚で、思い出してもゾッとする筆舌にしがたい「痛み」だけ。
その感覚を振り払うように、洗面台でバシャバシャと顔を洗う。
水道を止めて頭を上げると、疲れ切った表情を貼り付けた、なんともいえない自分と目が合った。
こんな朝を迎えることが、最近は増えている。
それはたぶん、来るべきタイムリミットが近づいているからかもしれない。
そんなものに振り回されたくない! とは思うものの、ここ1年の周囲の変化に、イヤでも意識せざるを得なくなっている。
「くそっ!」
ガンっと音がして、右手の拳に痛みが走った。
殴りつけられた洗面台はびくともしないが、ビリビリと腕にその振動が伝わってくる。
「誰も彼も、勝手にしやがって……!」
それは、彼女がずっと抱いてきた、孤独な叫びだったのかもしれない。
タイムリミットまで、あと2年。
このまま黙って寿命を迎えるつもりは、毛頭ない。
「絶対に、生き残るのは私だ」
