「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(三宅香帆)
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(三宅香帆)を読みました。

〈本の概要〉
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。
この1年ほど、各所で話題になっていた新書。
著者の三宅香帆さんご本人もYouTubeやテレビなど各メディアに出演しており、今年の初めに放送された特番「令和ロマンの娯楽がたり」に出演されていたり、最近もオードリー若林さんと番組をやられていたり、ダウ90000蓮見さんやDosMonosのTaiTanさんと音声メディアやイベントで共演されていたりと、自分が好きな“界隈”によく出られていたので気になる存在でした。
秀逸すぎるタイトルと構成
それではさっそく本書の感想を書いていきたいのですが、まず触れたいのがこのタイトル。
かの「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」に匹敵するほどの引きのあるタイトルですよね。
「これは私のことだ」と手に取った人も少なくないのではないでしょうか。僕もまさにそうでした。
そして気になる中身ですが、これがまた凄かった。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というタイトルのまま受け取ると、
「なぜ」
「働くこと」
「本が読めなくなること」
そして最終的に
「では私たちはどうすればいいのか」
に帰結していないと“名前負け”になってしまうわけですが、この本は完全に“名前勝ち”。いや圧勝。
私たちが暮らすこの国における「働くこと」と「本を読むこと」についてのこれまでの歴史、そして「現代に暮らす私たちは一体どのように働き生きていけばいいのか」を非常にわかりやすく丁寧に綴っている本でした。ここまでタイトルと内容が完全一致している本がこれまでにあったのかと言いたくなるほど。
冒頭で映画「花束みたいな恋をした」を引用して間口を広げつつ、読み手にもわかりやすい形で問題提起しながら本編に入っていくのですが、そこからまずは明治時代まで遡り、労働と読書の関わりについて書かれていきます。
映画「国宝」があまり刺さらなかったくらいには教養不足の僕にとっても非常にわかりやすく読めました。「自己啓発本」ってここ十数年くらいのブームなのかなと思いきや、はるか昔からその向きはあったのだと初めて知りました。
※僕が映画「国宝」について書いた記事はこちら↓
明治から大正、昭和と綴られていき、ようやく自分がリアルタイムで経験している平成(1990年代)へと突入するわけですが、そのときのワクワク感は僕がこれまであまり経験したことのない感情でした。
僕は勉強が出来なかったのを先生のせいにしていて、「教える方が上手かったらもっと頭に入っていた」と主張して憚らないのですが笑、(教科としての)歴史は大嫌いだったのにこの本に書かれてある歴史はスッと頭に入ってきた。それはひとえに三宅さんの文章力のおかげだと思っています。
このキャッチーすぎるタイトルを目にしたとき最初に「なぜ本を読まないのかって?そんなのスマホがあるからでしょうが」と反射的に思った自分に対し、まさかの「労働の歴史」を説かれることになるという状況もいつのまにか受け入れてしまう面白さがこの本にはありました。
それは奇しくも(いや狙ってか)、本書で述べられている「読書とはこちらが望まない情報=ノイズを味わい楽しむものである」ということと見事にマッチするかのように、“最初に思った方向ではないもの”を純粋に楽しめている自分がいました。これこそが“読書”というやつか、と。
映画「花束みたいな恋をした」
本書では「花束みたいな恋をした」の話題が随所に散りばめられています。
なぜなら、三宅さんいわくこの本は学生時代の頃はカルチャーにどっぷり浸かってたにも関わらず就職するやいなやすっかりその余裕がなくなりパズドラや自己啓発本に興じるようになってしまった、この映画の中で菅田将暉さんが演じていた主人公・麦くんに「もう一度本を読んで欲しい」と願い書かれたそうなのです。
ちなみに三宅さんご自身は自己啓発本を否定はしていませんが、あくまでもかつて麦くん自身が愛していた文学(をはじめとするカルチャー)から遠ざかってしまったということを憂いてこのように表現されています。
この辺りも個人的に好感が持てたというか。
本書にはレジー氏の「ファスト教養」も何度か登場しますが、あくまでもフラットにその対象となるもの(そして作り手)を尊重しながらご自身の見解を述べているところがなんとも聡明で読んでいて気持ちが良かったです。
ちなみに「ファスト教養」について僕が書いたnoteの記事がこちら↓
話を「花束〜」に戻しますが、この映画の脚本は言わずと知れた坂元裕二氏。
そうです、私が愛してやまない坂元裕二氏なのです。
この映画も当然 劇場で観ました。
言ってみればゴリゴリの恋愛映画だったので40歳のオジサンが若い女の子達に挟まれながら観たのです。苦笑
僕は大学に行っていないので、もちろん大学生の頃に終電を逃して出会った彼女もいないし、趣味がピッタリ合って付き合い始めた彼女もいません。
そしてなんと生まれてこのかた恋人と別れたこともありません(!!)
だけど、この映画の終盤の別れのシーンはメチャクチャ泣いた。
あのファミレスのシーンですね。
【坂元裕二×ファミレスは自動的に泣く】というシステムが我々日本人には組み込まれているのです。
感動したり琴線に触れた映画やドラマなどのそれこそカルチャーに出会ったとき、僕はその感想を想いのままにnoteというサービスで書き殴って発信しているのですが、この映画も当然 感想を書いていたはずだと自身のnoteの記事を遡ってみたのですが、なんと書いていなかったのです。
しかも、noteどころかTwitter(現X)にもほぼ書いていなかった始末で。
まさにこの時期、家族の元を離れ福岡に単身赴任中で仕事も忙しく、この麦くんのように満身創痍だったのだと思われます(事実この時期にnoteをほとんど更新できていない)。それはまさしく本書が指し示している通り“全身全霊”で余裕がなかったということなのでしょう。
気づけば僕もまた「麦くん」を体験していた一人なのでした。
「半身で働く」
明治から平成まで駆け抜け、まだ記憶に新しい(そして僕も例に漏れず読んでいた)2010年代の“行動系自己啓発本ブーム”のことを取り上げたところで本書はいよいよ締めくくりに入ります。
働いていると本が読めなくなる。
じゃあ一体どうすればいいのかー
三宅さんが出した答えは「半身で働く」ということでした。
「(全身全霊の)全身」の対義語である「半身(はんみ)」。
読んで字のごとく、「仕事や家事に全身で浸るのではなく、半身で取り組み心にゆとりを持って生きましょう。そしてそのゆとりで文化的な営みを楽しみましょう」というもの。
いや、言うのは簡単ですけどね。
だけど、こういうことって誰かが言わなければならないのではないでしょうか。
ほんの数年前まで気にされていなかった職場や学校といった公の場での個々人のパーソナルな話題も、ここ数年で守られる風潮になってきました。それは僕たち一人ひとりが頭のどこかで徐々に「こうあるべきだよね」という小さな意識を持ち始めたところからはじまり、いつしか世の中の「常識」や「普通」になる。そういう社会になる。
仕事や家事などを“半身”で取り組んで、もう半分でそれ以外の何かを有機的に楽しむ。あるいは学んだり、誰かの役に立ったりする。他者を認めることを覚えたりする。
「〜本が読めなくなるのか」は色々なことに置き換えられるよなぁと思いながら読み進めてきましたが、それは映画や音楽ライブや、部屋の掃除や散歩なのかもしれない。あるいは恋愛や婚カツなのかもしれません。
さいごに
いかがでしたでしょうか。
本書のあとがきで「みんながヘルシーに働ける世の中を私は目指したい」という三宅さんの言葉が胸に刺さりました。
「ヘルシーに働く」っていい言葉ですよね。仕事のボリューム感もそうだし、“心身ともに健康的に”という意味も含まれているし。何かのキャッチコピーにもなっていいくらいの(パワーワードならぬ)グッドワードだと思います。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」
まだの方がいたらぜひとも読んでみて欲しいと思えた一冊でした。
新書なのでたかだか750円程でこの文章が読めるなら安いも…
ん?
1,000円(税抜)だと…!?
コンビニに行ってもおにぎり2個とお茶で1000円近くなってしまう昨今、当たり前といえば当たり前ですが、この物価高騰は本当になんとかならないものなのでしょうか。
そうだ、
その経緯や解決策を本を読んで調べてみよう。
予期せぬノイズを味わいながら◎
