『積算温度と、動かざること山のごとし』 〜何気ない日常エッセイ
2月14日、土曜日。
午前9時半の舎人公園は、拍子抜けするほどの青空だった。雲ひとつない。まるで季節が「お試し版の春」を先に配っているみたいだ。
陽気に誘われて、ニコを連れ出した。
けれど、この男の集中力はせいぜい10分だ。公園を一周する気など最初から無かったらしい。少し歩くと満足した顔でバギーに戻り、どっかと腰を下ろして大きな欠伸をひとつ。
走り回る若い犬たちが、その動かない先輩を振り返る。
ニコは意に介さない。バギーという名の高御座から、下界の喧騒を眺めるばかりだ。
視線を上げると、早咲きの桜の蕾が枝先で赤く膨らんでいる。
この陽気だ。勘違いして咲き急ぎたくもなるだろう。
昔、花屋で働いていた人が教えてくれた。
「桜はね、冬至からの気温の合計が一定に達すると開くんだよ」
500度だとか、600度だとか、説はいろいろあるらしい。
正確な数字はどうでもいい。咲くには、積み重ねがいるということだけ覚えていればいい。
やがてこの公園は、桜の淡い色とネモフィラの青が溶け合う景色に変わる。
去年もニコと並んで、それを眺めた。
「今年も一緒に観ような」
そう思った矢先、ニコが小さく震えているのに気づく。
日差しは柔らかいのに、歩かないから身体が冷えている。
今日はダウンを着せていなかった。
「歩けば温まるだろ」
正論を投げても、ニコは動かない。
震えながら、じっとしている。
その頑なさは、もはや意志だ。
……責められない。
私だって、震えながら動かない日がある。
暖かい気配に包まれていても、なぜか一歩が出ない日がある。
気づけば、エッセイを書いている指先も冷えてきた。
コーヒーの一杯でもあれば優雅に過ごせたのに、と他人事のように考える。
結局、身体を温めるのは自分の熱しかない。
「よし、行こうか」
ニコの震えを止めるためか、
自分の指先を温めるためか。
まだ500度には遠い空気を切りながら、
私たちはゆっくり歩き出した。
自分の人生の時間を積みながら。
