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わたしだけの生活のために

こんにちは。ティラミスのスペルがTiramisuなの、流石にローマ字読みすぎるだろと思っています、Anzです。

奈良で生まれ、東京で育ち、大学時代の4年間を北海道で過ごした。就職を機に東京へ戻って3年半が経ったが、未だに自分の生活は札幌と繋がっているなと思うことが多々ある。

札幌で初雪が降ったというニュースを見て今年も冬がやってくるんだなと思ったり、街なかにヒグマが出てくる様子を見て心配したり。東京の情報よりも札幌の情報が気になる日々で、とても東京に住んでいるとは思えない。

こんな考えに陥っていたのは、現実逃避的な側面が強い。特に去年は3月頃から10月末まで驚くべきほどに忙しく、日々の生活を文字に落とす時間が全く取れなかった。残業120時間オーバーという衝撃的な値を叩きだした月もあり、自分の心身を中心とした生活そのものを、大きく蔑ろにしていたなと思う。結局11月頭に体調を大きく崩したが、奇跡的に仕事のピークが過ぎ去ったタイミングだったので、余った仕事をゆったりと進めつつ心身の充電をした後、今はまたそれなりに忙しくしている。

振り返ればプライベートはおおよそ捨ててきた半年間だったが、その頃にあった唯一の大きな事象は5月に部屋を借りたことだった。この部屋があったおかげで、なんとか忙殺されてきた数か月を耐えられた気がしている。11畳のワンルームとともに流れた時間のうち、私が文字にできるのはきっとわずかだけれど、そのわずかを残すためにnoteがあると思っているので、こうして言葉を立ち上げる。



わたしだけの生活のために

顔に当たる風を、痛いと思わなくなったのは何日前だっただろうか。気づけば冬が過ぎ去って、夏の暑さが顔を出し始めている。私は代謝が鬼のように良いので、汗が噴き出る東京の湿った夏が嫌いだ。

そう思うのも今年(2025年)で3回目。会社員になってから2年以上の時が経ったにもかかわらず、自分の人生にそれといった変化は無かった。大きな変化を求めず、ひっそりとした生活をしているのだから当たり前のことだった。実家の小さな部屋で目を覚まし、通勤ラッシュが終わったかどうかという時間帯の列車に乗る。出社してひと通りの仕事をこなし退勤。実家に帰って明日の用意をして就寝。それで十分だと思っていた。

だから、引っ越しを積極的に考えていたわけでもなかった。「入社3年目くらいで一人暮らしするべきだよ」という得も言われぬ外圧を各方面から感じて、仕方なく探し始めたというのが正直なところだ。

でも、いざ部屋探しを始めてみると、生活する上で求めているものを浮き彫りにする過程が楽しかった。札幌の時に借りていた部屋よりは大きな部屋に住みたいなぁとか、駅から徒歩5分くらいに収まるといいなぁとか、ユニットバスは避けたいなぁといった個人的に譲れないもの。別にキッチンは一口コンロでも良いなぁとか、家賃はちょっと高くても何とかなるかなぁとか、ある程度妥協できるもの。

自分の中で決めたいくつかの条件、そのすべてに当てはまる家。それが、たまたま一部屋見つかった


翌日、私はさっそく内見に行くことにした。東京という圧倒的に人口が多い都市で、恵まれた物件はあっという間に誰かが契約してしまう。そうなる前に、この家を押さえなければ……! ふだん決断するのに迷ってしまうタイプの自分が、ここまですぐに行動するのは珍しかった。

「このエリアでここまでいい条件の部屋は滅多に出ないですよ」

担当してくれた不動産屋のお兄さんは、その部屋があるマンションのエレベーターに乗っている時にそう零した。その言葉を聞いたおかげで躊躇せずに借りることを決断できたし、それが間違っていなかったと知っているいま、この言葉がいかにありがたかったかを噛みしめている。

内見先の玄関を開けると、コンパクトにまとまった水回りがあって、その先にもう一つ扉がある。その扉を開けると、横に長いシンプルな長方形の部屋が広がる。広さは約11畳、窓は北向きだけれど、長辺を大きく窓にしているので思っていたほど採光も悪くなさそうだった。

できるだけ正確な採寸をして、丁寧に図面に起こした。いまの実家を両親が購入した時(父の転勤の都合で何度か実家は変わっている)母が大きな模造紙に図面を引いて、慎重に家具の配置を考えていたのが鮮明な記憶として残っていた。そのおかげか、実家の調度品は嘘ではなくミリ単位でキッチリと収まっている。普段はのほほんとした性格の割に、こういう大事なところで気を抜かないのは母らしい。ちなみに父はそうしたことに何ら興味がない。

内見をしてみると、家具の大まかな配置はほとんどコンセントの位置によって実質的に決まっていることに気づく。テレビ用の出力ができるコンセントは1か所しかないのでテレビの位置が自然と確定し、そこから連鎖するように、他の家具の位置が決まっていく。この家で住んでいる姿を想像して、理想を膨らませる。そして私は理解する。

ああ、自分はこの家に住みたいんだな。


2日後、不動産屋のお兄さんから無事に審査が通ったと連絡が来て、私はこの家を借りる契約をした。渡された鍵に、お気に入りの美術館で買った大切なキーホルダーをつけ、澄み渡った青い空の下を舞い上がった心で歩く。

さあ、この家を自分だけの城にしよう。



この世に闇があるとして

小さい頃から、家にあったインテリアの特集雑誌を見るのが好きだった。自分の好きなようにできる空間があることが羨ましかった。

大学生になり、親元を離れて一人暮らしを始めた。ただ、お金があるわけでもないので、あらゆる家具は最低限の機能さえ備わっていればいいという考えのもとに揃えた。あの家で4年間生活できたことに何の不満もないけれど、自分の好きなように出来たかと言えばそうではなかった。大学を卒業して東京に戻り、いち会社員として働き始めて2年と少し。

やっと、自分の好きなようにできる空間を手に入れた。

――まだ、まっさらだけど。

といっても、このまっさらな状態が一番楽しい。母と同じように書いた図面を参考にしながら、インテリアを考える瞬間こそ至高なのだ。

渋谷区内にある新居は、都合の良いことに実家から数十分程度で行ける位置にあるので、はじめの1ヶ月くらいは実家での生活を続けつつ、暇ができたタイミングで新居に向かい、家具や家電の搬入作業を進めることにした。

両親には渋谷区に引っ越すよという話をした時に「渋谷の『渋』って漢字っぽくない形してるよね」と言ったのだが、あまりにも興味から離れていた話題のようで「???」という反応をされた。右下の点が4つ集まっているパーツは、他の漢字で見たことないんだけどな……。


それはさておき、まず買うべきは必需品の寝具と家電だった。まずは新宿のヨドバシカメラで、全人類から強く勧められるドラム式洗濯機を買うことにした。ドラム式洗濯機は大きく5つの家電メーカーから発売されているようなのだが、私が買ったのはAQUAの容量10kgモデルだ。理由はシンプルで、いちばんコンパクトだから。

我が家は洗濯機置き場に防水パンが既に設置されているのだが、測ってみると64cm四方と小さめの規格で、さらに左側が壁と密着している。この環境で置けるドラム式洗濯機はAQUAしかなさそうだったので、自然とこうなった。あわせて電子レンジと冷蔵庫も購入し、諭吉から栄一に変わったお札を二十数枚、店員さんに支払う。新生活にかかるお金のことはあまり考えたくないのだけれど、これがまだはじまりのはじまりと考えると恐ろしい。

洗濯機を買った帰り、新宿の武蔵野館で「ゴールデンスランバー」がリバイバル上映されていたので観にいくことにした。堺雅人演じる主人公が、首相を爆殺したテロの実行犯となぜか断定され、追っ手から逃げるスリリングなストーリーの映画だ。伊坂幸太郎の書いた原作が好きで、映画もずっと観たかったのだけれど、サブスクで配信されておらずこの日が初鑑賞だった。

伊坂幸太郎の小説はほとんどが仙台を舞台にしており、本作も全編仙台市内で撮影したらしい。杜の都と呼ばれるだけあって、メインストリートの木々も青々としている。どうやら武蔵野館ではフィルムに記録したものを上映しているようで、たまにスクリーンの一部が黒く抜けるのも愛らしい。

本作では、主人公が無実であることを信じる重要なキャラクターを竹内結子が演じている。最後の最後まで、彼女の存在が物語に大きな影響を与えるのだけれど、その姿がスクリーンに映し出されるたび、もう竹内結子がこの世に存在していないことに悲しくなった。何があっても信じてくれる人がいる、ということがテーマの映画だから、尚更響いてしまう。

映画は2時間半くらいで終幕を迎えた。どんな時でも助けてくれる人がいるから生きろというシンプルなメッセージが好きだ。去年から今年の前半にかけて、ありがたいことに頼られることが多かったのだけれど、それに応え続けることの疲れを感じていた。時に、助けたからといって自分が助けてもらえるとは限らない、というネガティブで性根の悪い発想に陥ることもあったのだけれど、やっぱり周りの大切な人には、ただ満足に生きていてほしい。「ゴールデンスランバー」を観たからこそ、私の中にある心情の手触りを確かめられた。感情の赴くまま、この映画を観てよかった。


数日後、購入した水回りの家電を搬入してもらう。業者の方が玄関を見てひとこと、「これ玄関通るかな~」と呟いたので私は静かに震えていたが、神がかった搬入スキルを発揮してくれたおかげで無事に設置完了。玄関を洗濯機がくぐり抜けた瞬間は、思わず「おぉ~」と唸ってしまった。洗濯機が数センチ大きかったら、入ってなかっただろう。

続けて冷蔵庫と電子レンジの設置もしてもらい、我が家に白物家電が並んだ。白物家電だからといって白色にする必要もないんだろうけど、結局清潔感を最優先にしたくてすべて白色で合わせた。北向きだと、なおさら明るく見える色の方が健康に良い気もするし。

きっと、短いようで残念ながらそれなりに長い人生の中で、鬱屈な気分になることは誰しもある。心身が闇に包まれていく、そういう時に、せめて家だけは自分を守るシェルターとしての機能を果たしてほしい。あとはベッドを組み立てれば、最低限の生活はできそうだ。でも、私は最低限の生活をするためだけにこの部屋を借りたわけではない――。


そこからいくつもの家具を搬入して、私の部屋は少しずつ形を変えていった。それは自分の生活の反映だと思う。少しずつモノが増えていって、増えすぎているかもと思っているのがいま、この部屋を借りてからおおよそ1年経った2026年の夏だ。

気づけば壁紙の色が変わり、家には貰った絵が飾られ、誰かとの思い出を眺められるコーナーができた。自分だけの城を作る計画として始まったこの家に、この1年間で何人の人がやってきただろう。誰かが来るたびに、この家に呼ぶことができる人がいまの自分にいることを嬉しく思う。

この部屋が、自分の生活の拠点となってくれて本当に良かった。私の人生は、この部屋とともにまだまだ続いていく。

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Anz noteを書くときにいつも飲んでいる紅茶を購入させていただきます。