【94年世代の新米ママ】〜頑張りすぎない私の子育て方法〜
昨日からnoteを始めてみた。
文章にしてみると、同じ毎日の繰り返しに見えても、昨日と今日は全然違うことに気づく。
毎日、5〜7時(幅がある)に起床する息子に合わせて一日がスタート。
基本は、週3ベビースイミング、週2は児童センターや支援センター、図書館・公園などへ行く、アクティブな親子である。
息子よ、疲れさせていたらごめん。
「子のため」は半分名目で私自身ずっと家にいられないタイプであり、熱中症にならない程度に、子が疲れない程度に、毎日外へ出る。
「今日は天気がいいね」
「落ち葉を踏むよ、シャリシャリ音がするね」
「風が気持ちいいね」
いわゆる実況中継をしながら、息子を抱っこしながら近所の日陰道を探し歩き続けていると、
ふと、母になると『正解のない問い』が、常に頭の中をぐるぐる駆け巡ることが増えたことに気づく。
母になると『正解のない問い』の連続
先程、基本は外に出ていると話したが、
見る人次第では印象はかなり変わる。
ーこの灼熱の中、外へ連れて行くのは可哀想ー
ー教育熱心だよね、頑張りすぎてないかー
なんて、言われたことがある。
至極真っ当である。
私は“英才教育”がしたいというより、家にこもり続ける方が苦しくなるタイプだ。
教育熱心のつもりはないが、『自分が疲れない』のであれば外で沢山の音、色、人に触れ合ってほしいと思う。
だから今日も外へ出る。
どちらの意見も、まったく間違えてなどいない。
母になると、仕事のように評価してもらえないどころか、答えのない問いの連続である。
自分が疲れないことを最優先に、頑張りすぎない。
わたしは、正解がない問い=なんでも正解のような問いに、間違ったなと確信してしまう日がある。
それが、頑張りすぎた日だ。
頑張りすぎ、と過大評価したいわけではなく
自分のキャパシティを超えて行動してしまう日のことである。
「ネットで、この情報がいいと聞いたから行ってみよう」
「離乳食、ストックしている人ばかりだ、今日は鉄分をとれるメニューを沢山作ろう」
「スクリーンタイムはよくないと聞いたから、テレビは一日つけないで過ごしてみよう」
そんなことを詰め込んだ日は、大抵、目つきが鋭く、眉間に皺が寄っていることに夕方気づく。
愛する息子のためと思っていたが、ふと我にかえる。
ふと我にかえるも、頑張りたかったんだと、涙が出そうになる日もある。
頑張ってみたことも、間違いではないが
息子に常に笑顔で居られるならば、頑張りすぎる必要はないかもしれない、
と気づかされる。
自分が疲れない=心にゆとりを持ち笑顔でいられる
のであれば『まあ、いっか』も許せるような、そんな母親になっていきたい。
そしてこれから破天荒になる息子に、
まずはやらせてみる
言葉の箸を折らない
自分でやりたいことは時間がかかっても待つように、心がけていきたい。
子供のやりたいことに時間がかかり、家事ができないそんな日があっても、まあいっか。
ほぼほぼベビーフードでも、自分が笑顔でいれるなら、まあいっか。
「まあ、いっか」も立派な子育ての味方かもしれない。
私自身キャパが少ないからこそ、頑張りすぎないことで、伸び伸び育児ができる母になりたい。
…が、「あ〜もう早くして」と言ってしまい
夕方に反省している未来も容易く想像できてしまう。
反省を繰り返し、正解のない問いに
母親たちは毎日成長し続けるのである。
幸せな問いでもあることを、噛み締めて、
明日はユニクロ感謝祭へ息子を連れ回すが、許してくれ。
大好きな息子よ、いつもありがとう。
