[都市伝説的考察] 日本の国旗「日の丸」の始まり
オリンピックの表彰台で掲げられ、祝祭日の街角に静かに翻る「日の丸」。日本人にとって、これほど直感的でアイデンティティと直結した図形はありません。
実は「日本国旗」として法的に制定されたのは1999年(平成11年)と、驚くほど最近のことです。
当たり前すぎて疑うことのないこの旗の裏側には、緻密に計算された幾何学と、幕末の動乱を生き抜いた男たちの執念が隠されています。
1. デザイン
日の丸のデザインは、白地に赤丸という、単純な幾何学図形です。しかし、その「単純さ」こそが最大の武器なのです。
現代の規定では、赤丸の直径は旗の縦の長さの「5分の3」と厳格に定められています。この比率は、視覚において最も安定し、遠くからでも「一点の淀みもない太陽」として認識できる究極のバランスです。
実は明治初期、赤丸を中心に置くか、旗竿寄りにずらすかで激しい議論がありました。フランスなどの三色旗にならい、風になびいた際に中心に見えるよう「100分の1」だけ左に寄せる案も検討されましたが、最終的には「不動の真理」を象徴するように、ど真ん中へと据えられました。

2. 幻の国旗候補
徳川幕府が当初、国旗の第一候補としていたのは「白地に黒い横一本線=白地黒横一文字」の旗でした。
これは足利氏や新田氏など、源氏の名門に伝わる「引両紋」をルーツとしています。一本の線は「龍」が横たわる姿、あるいは「天下を一本に貫く」という武威の象徴でした。
徳川家は自らを源氏の末裔と称していたため、幕府の船(公儀御用船)であることを示す標識としてこのデザインを使用していました。
ペリーが黒船で現れた際、それに応対した幕府の軍艦「観光丸」に翻っていたのは、この白黒の旗だったのです。

3. 日本惣船印「日の丸」
この「徳川の旗」を退け、日の丸を日本の象徴に押し上げたのが、薩摩藩主「島津斉彬」です。西洋技術をいち早く取り入れ、洋式造船など多様な事業を成功させ、「幕末の四賢公」と言われた実力者です。
当時、各藩や家柄ごとに旗を掲げていました。しかし、外国と接する機会が増えたことで、島津斉彬は、日本として統一したものが必要であると確信していたのです。
幕府徳川家が掲げていた「黒い一本線では他国の旗と見分けにくい、日の丸こそが相応しい」と幕府を説得しました。
1854年、彼の進言により「日本惣船印」として日の丸が公式採用されたのです。そして 自ら建造した洋式軍艦「昇平丸」に巨大な日の丸を掲げたのです。

4. 「日の丸」以前の日本の象徴
幕末以前は、どのような国を現すような旗があったのでしょう。
①錦の御旗
1221年の承久の乱で、後鳥羽上皇が鎌倉幕府(執権・北条義時)を討伐しようとした際、自分の配下の将軍に授けたのが「錦の御旗」とされています。その後も、天皇から「朝敵(天皇の敵)」を討つ許可を得た証として、官軍の大将に与えられる習慣が続きました。
戊辰戦争では、新政府軍がこの旗を掲げたことで、旧幕府軍は一瞬にして「賊軍(朝敵)」となってしまいました。

②源平の紅白旗
平安時代末期の源平合戦において、源氏が「白旗」、平氏が「赤旗」を掲げて戦ったことに由来します。なぜその色だったのかについては、明確な定説はありません。通説では、源氏はの白旗は「八幡神信仰」を表し、平氏の赤旗は「天皇家との繋がりを示す太陽」を表すと言います。
平氏の「赤地に金丸」の旗に対し、源氏が「白地に赤丸」の旗を掲げて戦ったという記録や伝承が残っています。
源平合戦の結果、源氏が勝利して鎌倉幕府を開いたことで、源氏の旗印である「白地に赤丸」が象徴として武家の間で受け継がれるようになりました。

5. 「日の丸」と太陽
私たちは「太陽=赤」と信じて疑いません。子供たちが、お絵かきするときにも太陽は赤色に塗ります。ただ、本物の太陽を見ても赤いとは言えません。それと同じように、海外の多くの国で太陽を「黄色」や「金」で描きます。
「日の丸」は太陽なのでしょうか。
古来「錦の御旗」では、太陽は金色、月は銀色として「一対」で描かれていました。やはり日本でも太陽は赤色ではなく、金色だったのです。
実は源氏が「白地に赤丸」を掲げたことにより、「日輪」という認識が定着します。その後は、軍扇などにも「日輪」が描かれるようになるのです。
つまり、島津斉彬が国旗に推挙した頃には、「日の丸=太陽」が一般的な認識だったと思われるのです。

6. 国旗の概念
国旗とは本来、陸続きの国々において「ここからは自分たちの領土だ」と主張するための、軍事的な敵味方の区別から生まれたものです。国家や国民は、その国旗をアイデンティティとして掲げていました。
もちろん日本でも、アイデンティティや領地の目印として旗は使用されていました。しかし、それは日本国内だけのことであって、日本全体としての必要性はなかったのです。
国家単位で他国と渡り合う事情が生まれたのは、まさに黒船がやってきてからのことでした。国旗としての概念も、外国に遅れながら認識することになります。

7. まとめと考察
あらためて考察すると、「日の丸」とは太陽に他なりません。光り輝く太陽を、いつの間にか、赤い丸で表すようになっても誰も違和感がないのです。私たち日本人にとって、長い年月の中で「当たり前」になった常識です。
古代より太陽神である天照大御神を祀り、聖徳太子は「日いずる国」と言いました。日本は太陽に関係する国だと、または太陽に関係する国だと思われていると、みんなが考えてきたのです。
そして源氏の旗印だったものが、好んで使用されていく内に、その赤い丸は「太陽」だと認識されていきます。
島津斉彬が推挙した「日本惣旗印」は、「国旗」になり、今もはためいています。
