アイドル詩乃、脱皮物語(前)
詩乃先輩
あの日、唐突に図書室の静寂を破ったのは、小さな歓声と確信に満ちたため息でした。
「やっぱりね。詩乃先輩なら、こうなるに決まってたんだよ」
誰かが持ってきたその雑誌が机に広げられた瞬間、私たちは驚くより先に、胸の奥にすとんと落ちるような納得を覚えていました。
ミスコン・グランプリ。
その重々しい称号さえ、詩乃先輩の圧倒的な美しさを証明するには、もはや当然の手続きのように感じられたのです。
放課後の柔らかな西日が差し込むなか、図書室中の視線がそのページに注がれました。
グラビアページの中の詩乃先輩は、初夏の光そのものを全身にまとっているようでした。
麦わら帽子の下で揺れる柔らかな髪、そして見たこともないほど澄んだ瞳。校内で見かける制服姿でもそのスタイルの良さは際立っていましたが、誌面の中で解き放たれた彼女は、よりいっそう芸術的なまでのラインを描いていました。
その身体には、一ミリの無駄も、一点の淀みもありません。
少女特有の瑞々しさを残しながらも、選ばれた者だけが持つ完璧な曲線。
すっと伸びたしなやかな脚、そしてキュッと引き締まったウエストのラインは、見る者すべてを平伏させるような、絶対的な「正解」としての美しさでした。
「私たちの町から、本当の『本物』が誕生したんだね」
友人たちが誇らしげに語らう声を聞きながら、私はただ、吸い込まれるようにその写真を見つめていました。 そこにあるのは、触れれば壊れてしまいそうなほどの透明感と、正統派という名の凛とした誇り。彼女がページの中で微笑むだけで、古びた図書室の空気さえもが、キラキラとした粒子に満たされていくような錯覚を覚えました。
彼女はこの輝きのまま、誰も辿り着けない高嶺の花として咲き続けていく。 ページをめくる指先が微かに震えるほど、私たちはその眩いばかりの未来を、一点の疑いもなく信じていました。
転向
グランプリを獲ってから、誌面での詩乃先輩の露出は加速度を増していきました。
最初は、校舎の屋上で風に吹かれる制服姿や、放課後の教室で見せるあどけない笑顔など、私たちの日常の延長線上にある学生らしい写真が誌面を飾っていました。
けれど、それも束の間、プールで撮られたスクール水着風のカットが登場します。
あどけない顔立ちとは裏腹に、その体つきはすでに驚くほど完成された大人のものでした。
そして、彼女は南国の青い海へと連れ出されます。そこで撮影されたグラビアでは、鮮やかなビキニに身を包んだ、誰も見たことがないほど眩しい姿がありました。
誌面で露わになった詩乃先輩の肉体は、私たちが廊下ですれ違っていたときよりもずっと鮮烈で、神聖なまでの輝きを放っていました。
誰の目も釘付けにする、豊かに波打つような胸のボリューム。
それとは対照的に、きゅっと引き締まった無駄のないウエスト。
光を反射するような眩しく白い肌と、健康的な若さが形になったような、凛と上を向いたヒップの曲線。
けれど、そんな華やかな活躍の影で、校内にはこんな噂が流れるようになりました。
「水着の撮影、本当は嫌々だったらしいよ」
「ビキニだって、海外にまで連れて行ってもらった以上、もう断れなかったんだって」
そんな真偽の定かではない噂を追い越すようにして、事態は動いていきました。
学校側が、雑誌での度重なる水着写真の掲載を問題視したというのです。
保守的なこの町の学校にとって、彼女のあまりにも完成された肉体が公になることは、教育方針の枠を大きく踏み越えるものだったようでした。
「東京に転校することになったらしいよ。学校にいられなくなったのかな」
その噂が聞こえてきたとき、私はどこか安堵に近い気持ちを抱いていました。
誌面を飾るごとにエスカレートしていく彼女のショットは、もうこの狭い町のルールや、不自由な校則の中に収まりきらないものになっていたように見えたからです。
彼女は、この場所で「普通の女子高生」として過ごすはずだった時間を手放し、その完璧な美とともに、光り輝く東京のステージへと押し出されていくようでした。
転校を目前にした詩乃先輩の凛とした背筋は、選ばれた者だけが持つ誇りに満ちているように見えました。
自分の美しさが世界を動かし、居場所さえも変えていく。あんなに綺麗なウエストと、一点の曇りもない笑顔。
彼女は今、自分という存在が最高潮の輝きの中にいることを、誰よりも確信している――私には、そう見えてなりませんでした。
惨敗
東京の冷え切ったワンルームで、私は積み上げられたままの自分の写真集を見つめていた。
楽しかったのは、まだ地元にいて、修学旅行の延長のような気分で知らない土地へ撮影に行っていた、あの頃までだった。
カメラの前で笑っていれば、みんなが「本物のスターだ」と持て囃してくれた。あの場所では、私は間違いなく唯一無二の光だったのだ。
けれど、東京という街は残酷だった。ここには私ぐらいの顔立ち、私ぐらいの体つきの女の子なんて、掃いて捨てるほどいる。
グランプリという肩書きも、1年限りの特権に過ぎず、今では過去の栄光だった。
(……もう、帰れないのに)
学校を追われるようにして出てきたあの町に、今さら惨めな姿で戻る場所なんてない。
後輩たちが憧れの眼差しで送り出してくれた、あの眩しい記憶が、今は重い鎖のように私を縛りつけている。
勝負をかけたはずの、10代最後の写真集。
事務所と何度も打ち合わせを重ね、自分でも最高に綺麗だと思えるカットを揃えた。
けれど、現実は冷酷な数字となって突きつけられた。
売り上げは目標に遥かに届かず、世間の反応は、驚くほど静かだった。
私は、誰にも求められていないのかもしれない。
そんな恐怖が、夜ごとに私を浸食していく。
期待は失望に変わり、かつての全能感はどこへ消えてしまったのか。
それでも、私は立ち止まることを許されない。
私をここへ連れてきた大人たちの冷めた視線が、無言で次のステップを促している。
たとえ、それが自らの聖域を切り売りするような道だったとしても。
私は、残された契約を果たさなければならない。
路線変更
二十歳の誕生日から三日。
詩乃は事務所に呼び出された。覚悟していた審判の日だ。
「予定通り、路線変更でいく」
社長の一言は、彼女にとって事実上の死刑宣告だった。 一人、更衣室に入ると涙が溢れた。抗う術もなく、泣きながら服を脱いでいく。
そこに着るべき衣装はなかった。
用意されていたのは、厚手のバスローブが一着だけ。
これまでの水着撮影であれば当然のように許されていたニプレスも、アンダーウェアさえも、今日は一切身につけることを禁じられていた。
詩乃は震える手で私服を脱ぎ捨て、鏡の中に映る裸身と対峙した。
かつて、あの狭い町の図書室で後輩たちが溜息をついた「絶対的な正解」としての肉体は、もうそこにはなかった。
誰の目も釘付けにした胸のボリュームだけは、辛うじて若々しい張りを保ち、かつての面影を留めている。
けれど、その下にあるウエストのラインには、勝負をかけた写真集の惨敗以降、先が見えない不安から逃げるように食べ続けた結果が、隠しようのない柔らかな肉の厚みとなって表れていた。
お腹の丸みの下、そこには事務所の指示通り、数ヶ月にわたって手入れを放棄させられた黒々とした塊があった。
もともとグラビア専門ではない詩乃にとって、ムダ毛の処理は水着撮影のときのみに限るという事務所との約束があった。しかし、勝負をかけた最後の写真集にさえ水着ショットがなかったために、手入れをしない期間はいつの間にか数ヶ月に及んでいた。
そこにはかつて自身で整えていた鋭角な輪郭はもはやない。
下腹部の肉の膨らみに沿って、重たげな毛並みは下へと垂れ下がり、太ももの付け根の白い肌を侵食するように横へと不規則に広がっていた。
中心部は密度を増して黒々と濁り、長く縮れた毛先が、肉付きの良くなった鼠径部へと無秩序に流れ込んでいる。
(恥ずかしい……。手入れさえ許されず、私は晒し者になるんだ……)
込み上げる屈辱を飲み込み、詩乃は次に、重い腕を上げて脇の窪みを鏡に晒した。
そこにも、数ヶ月分の停滞が溜まっていた。
長く縮れた黒い毛が、白く柔らかな肌の上で隠しようのない生命力を主張して生え揃っている。
小学5年生の発毛以来ずっと手入れし続けていたから、こんなに濃いとは詩乃自身知らなかった。
(笑うしかない)
そう思って、詩乃はバスローブを羽織った。
検品
「お待たせしました」
詩乃はそう言って、フォトスペースに戻ってきた。
ライティングが調整された空間の中央には、事務所の社長がパイプ椅子に深く腰掛けていた。彼は一言も発さず、組んだ膝の上に手を置き、無機質な視線を詩乃へ向けている。それは、いつもの社長のままだった。
「じゃあ、詩乃。さっそく始めましょうか」
マネージャーの亜紀が、事務的な声で促した。
「……脱いで」
詩乃は正面で無口を貫く社長の視線から逃げるように、うつむきながらバスローブを脱いだ。
それを亜紀が黙って受け取る。
容赦ないライティングの下、隠していた「現実」が露わになった。
「どうしたの、詩乃!?」
亜紀が驚きの声を上げた。
「ここまでとは思っていなかった……」
そういうと亜紀は、詩乃のウエストをつまんだ。
亜紀の声には、失望を通り越した事務的な拒絶が混じっていた。
「ごめんなさい」
詩乃はそういうのがやっとだった。
「まあまあ。だからこその確認だろう...…詩乃、何キロになった?」
それまで沈黙を守っていた社長が、短く、重々しくとりなした。
「50キロちょっとです」
「嘘おっしゃい!」
亜紀が厳しく追及した。
「52キロです」
「公式プロフィールから10キロオーバーです。修正しますか?」
「そうだな...…まだいいだろう……続けよう」
「はい、では手を上げて腋を見せて」
「はい……」
詩乃はまた視線を誰にも合わせず、重い腕をゆっくりと持ち上げた。数ヶ月放置された黒い毛が、ライティングの下で生々しく晒される。
「結構濃いな」
「そうですね」
「後ろ向いて」
「はい……」
詩乃がゆっくりと背を向けると、そこにはかつての「期待の新星」の面影は微塵もなかった。
背中から腰にかけてのラインは、引き締まった緊張感からは遥かに遠く、重力に従って弛んでいる。
「……お尻も、かなり重くなっていますね」
亜紀の冷徹な指摘が飛ぶ。
詩乃が俯いたまま立ち尽くすと、背後から亜紀の指先が、その肉付きの良くなった臀部の下層に触れた。
「太ももとの境目が曖昧。これじゃあ、脚も短く見えるわ。……社長、どうされますか」
社長はパイプ椅子に深く腰掛けたまま、無言で詩乃の背面を見つめている。かつては芸術的だと称賛されたその曲線が、今はただの「だらしない肉」としてライティングの下で値踏みされていた。
「……そのまま、前屈みになって」
亜紀の冷淡な声が、背後から突き刺さった。
詩乃は一瞬、身体を強張らせた。
その姿勢が何を意味するのか、分かってしまったからだ。
「……はい」
消え入るような声で応じ、詩乃はゆっくりと上体を倒していった。
重力に従って、数ヶ月分の自堕落な肉が下へと垂れ下がる。
太ももの付け根に食い込むように膨らんだ下腹部、そしてその肉のひだに沿って、手入れを放棄された黒々とした塊が、無秩序に、そして生々しく左右へと割れて広がった。
「……ひどいわね。鼠径部まで、完全に侵食してる。これじゃあ、普通のカットとしては全く使えないわ」
亜紀は詩乃の背後に回り込み、容赦なくその「広がり」を指し示した。
ライティングは、白く柔らかすぎる肉体と、それを汚すような黒い毛のコントラストを、逃げ場のないほど鮮明に照らし出している。
「……そのまま……肩幅に足を広げて、床に手がつくまで前屈して」
それは性器と肛門を晒せという指示だ。
「……嫌です」
震える声が、静かなスタジオに小さく漏れた。 詩乃は床に手を伸ばしかけたまま、身体を硬直させている。 この姿勢を強いる意味、そして背後から注がれる無機質な視線に、最後の自尊心が悲鳴を上げていた。
「何が嫌なの? 路線変更は決定事項よ。あなたも納得したのよ」
「そうですけど……」
「これぐらいできなくて、どうするの? カメラに対してモデルが拒否する現場をどう思う?」
「最低の現場です。やってはいけないこと……」
「そうだよね。だから事前の打ち合わせをしっかりするはず。今回もそうだった。どういう打ち合わせを経ての今なの?よく考えなさい」
「はい……私が間違っていました」
「分かればいいの。……早くして」
亜紀の促しに、詩乃は絶望を噛みしめながら、ゆっくりと腰を折った。
だが、以前のようにはいかない。
蓄積した脂肪が腹部を圧迫し、太ももの裏が悲鳴を上げる。
「膝を曲げていいわよ」
亜紀のその声に、詩乃は膝を軽く曲げ、床に手をついた。
その無防備に突き出された股の間が、ライティングの下で露わになる。
「そのままにしてなさい」
亜紀は、詩乃のお尻に手を当てて、左右に開いて見せた。
「あっ...…」
詩乃は声を出したが、亜紀も社長も声に出さず、ただうなづきあっただけだった。
「じゃあ、撮影しようか...…バスローブを着たら、スタッフを入れて」
「わかりました」
スタッフが入り、撮影は極めて事務的に行われた。
バストアップ、全身、そして横向き、後ろ姿。 それら一般的なポーズを一通り撮って、撮影は終わった。
「お疲れ様。……じゃあ、着替えて」
亜紀の短い言葉を合図に、詩乃は力なくバスローブを羽織った。
後輩・陽菜
事務所のビルから出てきたその姿を目にした瞬間、私の心臓の鼓動は一気に跳ね上がりました。 一目で分かりました。 たとえ深いフードを目深に被り、足早に去ろうとしていても、その佇まいにはかつて私たちが「本物」だと確信したあの詩乃先輩の面影が、確かに宿っていたからです。
「……詩乃先輩?」
私の震える声に、彼女はびくりと肩を揺らして足を止めました。 ゆっくりと振り返ったその顔は、西日の加減か、少しだけ以前より丸みを帯びて柔らかくなったように見えました。けれど、私にはそれさえも、成熟の証のように思えたのです。
「ん……。だれ?」
「高校の後輩です」
「そう」
「これにサインいただけますか?」
私は詩乃先輩の最新写真集を出しました。 それは、彼女の10代最後を締めくくるアイドル写真集。 デビュー当時のあの瑞々しさを残しながら、少女から大人へと移ろう季節の、一瞬の奇跡を閉じ込めたような輝きに満ちていました。
「……お名前は?」
「あ、ひなです」
「ひなちゃん? 太陽の『陽』に、菜の花の『菜』?」
「あ、はい! 陽菜です」
「陽菜ちゃん!図書委員の?確か転校の時もサインしたよね?」
先輩は、私の顔をじっと見つめ、どこか遠くを懐かしむような目でそう言いました。
「覚えててくださったんですか!? 嬉しい……。あの時のサイン、今でも宝物なんです」
「そんな……そうだ、ねぇ、時間ある? スタバ行こうよ」
店内の喧騒とコーヒーの香りに包まれ、私たちは窓際の小さなテーブルを挟んで座っていました。
「お待たせ。はい、これ」
詩乃先輩が私の前に置いたのは、トールサイズのラテ。そして彼女自身の手には、一番大きなサイズのカフェモカが握られていました。その上には、溢れんばかりのホイップクリームがこんもりと盛られています。
「先輩、そんなに甘いもの頼むんですね。なんだか意外です。勝手なイメージですけど、もっとストイックに制限されてるのかと思ってました」
私が無邪気にそう問いかけると、先輩はストローを口に運ぶ手を一瞬止め、どこか遠くを見るような目で微笑みました。
「……もう、いいの。そういうのは」
私にはその意味は分かりませんでした。
「ねぇ、その写真集どうだった?」
「もう、最高でした! 私、この一冊を机の横に置いて、ずっとお守りにしてたんです」
私は身を乗り出して、熱っぽく語りました。
「浪人生活って、自分との戦いで……時々、何のために頑張ってるのか分からなくなるんです。でも、そんな時にこの写真集を開くと、一歩先を歩いている詩乃先輩が、こんなに美しく輝いている。デビューの頃の鋭い感じも素敵でしたけど、今の、この少しだけ柔らかくなった先輩の姿は、なんだかすごく慈愛に満ちていて……。それを見るだけで、『私も、こんな素敵な大人になりたい』って、またペンを握る力が出てきたんです」
私は、お気に入りのページを指でなぞりました。
「特にこの、腰回りの豊かなライン。以前よりも女性らしい温かみが感じられて、私、本当に見惚れちゃって……。この一冊があったから、私はこの一年、折れずにやってこれたんです。先輩は私の、いえ、私たちの永遠の『正解』です」
私の言葉を聞きながら、先輩は手元にあるカフェモカの、高く盛られたホイップクリームをじっと見つめていました。
「……正解、か」
先輩は小さく呟くと、手に持っていたスプーンで、まだ手をつけていない真っ白なホイップクリームをすくい上げました。それを口に運ぶのかと思いましたが、先輩はそのまま、トレイの隅にあるナプキンの上へ、ぼとりとそれを捨てたのです。
「え……? 先輩?」
驚く私をよそに、先輩は迷いのない手つきで、残りのホイップもすべて削ぎ落とし、ナプキンの山へと移していきました。
「……ごめんね、陽菜ちゃん。私、やっぱりこれ、いらない」
その意味はやっぱり私には解りませんでした。
「私、今度ヌード撮るんだ。仕上げないとね」
「え?」
驚く私を置き去りにして、先輩は、ホイップがなくなった苦い液体を、一口、力強く飲み込みました。
(ヌード?)
私の頭の中では、その言葉だけが濁流になって、グルグルと回り続けていました。
図書室の静寂の中にいたあの神聖な先輩が、10代最後の輝きを閉じ込めたあの写真集のさらに先、すべてを露わにする領域へ踏み出そうとしている。
その事実の重さに、私の思考は完全にストップしてしまいました。
「……あ。先輩……。あ、はい。……応援、してます」
ようやく絞り出した私の声は、ひどく上擦っていました。
覚悟
一週間後。 事務所の奥にある、社長室に詩乃は呼び出されていた。
今日はマネージャーの亜紀はいなかった。
「俺は、路線変更を宣言したけど、納得はできたか?」
「はい。仕方ありません。よろしくお願いします」
「じゃあ、脱いで」
「はい」
躊躇いはなかった。
この部屋の暑さからそんな展開が待っていることを詩乃は察していた。
脱いだものを応接テーブルの上に順にたたみ、詩乃は全裸になった。
「ほう、俺は全裸とは言わなかったけどな」
社長は肘を机につけて、両手を机の上で握ったまま、その眼鏡の奥の目を細めて詩乃を凝視した。
そこに立っているのは、かつての「清純派」の面影を裏切るような、重たく弛んだ肉体を持つ女だ。
一週間で脂肪が消えるはずもなく、腰回りには依然としてたっぷりとした肉が乗り、太ももは隙間もなく互いを押し潰し、不格好なラインを描いている。
「……覚悟はしてきた、ということか。じゃあ、俺に尻を向けて、そのまま前屈して。床に手をつけるまで」
詩乃は言われるがままに背を向け、ゆっくりと上体を深く倒した。
一週間前、柔軟性をなくした体は、腹の肉も邪魔をして息苦しく、指先が床に届くことなど到底叶わぬ屈辱でしかなかった。
だが、今は違った。
指先は迷いなく床に吸い付くように触れ、身体は驚くほど深く折り曲げられた。
見事に柔軟性は戻っていた。
しかし、その肉体の「だらしなさ」はより鮮明に強調されることとなった。深く曲げた腹部は、逃げ場を失った分厚い脂肪が段々となって幾重にも重なり合い、無様に突き出した。
後方に突き出された臀部と太ももの境界も、重力に従って醜く垂れ下がり、数ヶ月間の停滞が刻んだ肉の緩みをこれでもかと露呈させていた。
「ほう……前屈だけは、一週間前よりマシになったようだな」
そういうと社長はデスクから詩乃の後ろに立った。
尋問
「見せてみろ」
その短い命令に、詩乃は躊躇わなかった。
一週間前は有無を言わさずマネージャーの亜紀によって開けられたその場所を、今は自らの手を後ろへ回し、力強く分けた。たっぷりと厚みを増した臀部の肉を掴んで。
「詩乃……お前まだバージンだな?」
至近距離からのいきなりの確認に、詩乃は伏せ目がちに、けれど淀みなく答えた。
「はい」
「体勢を戻していいよ」
「はい」
詩乃はゆっくりと上体を起こし、乱れた呼吸を整えながら社長に向き合った。
立ち上がった拍子に、腹部の脂肪がわずかに揺れ、再び重力に従って厚い層を作る。
社長の視線は、今度は詩乃の胸元で止まった。
「乳首が隆起したな?」
指摘され、詩乃は自分の胸元へ意識を向けた。
暖房が効きすぎた室内で、じっとりと汗ばみ始めた肌。
この環境での隆起は、興奮によるもの以外考えられなかった。
言い訳なんてできない。
「はい」
詩乃は素直に認めた。
「詩乃はオナニーしているのか」
あまりにも直截的な、逃げ場のない問い。
ここで初めて詩乃は言い淀んだ。
表情を強張らせ、微かに唇を噛む。
しかし、社長の目はそれを許さない。
「どうだ?」
「……はい、しています」
絞り出すような声だった。
かつての自分なら死んでも認めなかったであろう事実を、全裸のまま認める。
「いつからだ?」
「上京してからです」
「最近はいつした?」
「昨夜です」
「ほう……こうなるかもしれないのに?」
「はい、こうなることを考えて……してしまいました」
社長は少し後ずさり、デスクの縁に手をつき、改めて詩乃の全身を眺めた。
堕落の象徴であるはずの重たい肉体と、その奥で密かに疼き続けている剥き出しの欲求。
そのギャップを弄ぶように、社長は短く吐息を漏らした。
「路線変更でいいな、もう清純派と言うこともないだろう」
「はい。納得しています」
「撮影は一か月後でいいか」
反抗
「そうですか……お願いがあります」
「なんだ」
「脱毛に通って、そのあとにしたいです。半年、時間をください」
詩乃の言葉に、社長は意外そうに眉を上げた。 詩乃が自分からこのような具体的な要望を口にしたのは初めてだったからだ。
「わかった、脱毛については、亜紀と相談しろ。撮影に向けてはじっくり話し合おう」
「はい、ありがとうございます」
要望が通り、詩乃がわずかに表情を緩めたのも束の間、社長はデスクの上にあるカメラに視線をやった。
「時間ができたから、練習をするぞ?」
「はい?」
「月に一、二度俺が撮る。それでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
詩乃はもう一度、深く頭を下げた。
