なぜ『鬼滅の刃』は人の心を掴むのか?―「煉獄の炎」と「猗窩座の涙」に隠された、時代の無意識を読み解く
こんばんは!
オサレビト光です🌈
劇場版「鬼滅の刃」無限城編 』第一章 猗窩座再来』
映画館で見てから2夜が経ちました。
普段は見ないのですが
たまたま映画のレビューを見かける機会があり
良い評価をする人もいれば、あまり良くなかったと評価する人もいる。
どの作品でもありえる一般的なこと
ただ、一般的なことではあるのだが
なぜ評価できなかった人は何を求めていたのか?
ふと気になり
試しに記事にしてみようと思いました。
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今回のテーマ
「鬼滅の刃」✖「集合的無意識」、「サブモダリティ」
それによる人の見え方、求めているものの違いに着目します。
第1章:あの日の熱狂と、これから訪れる戸惑い
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が日本中を席巻したあの熱狂を覚えているでしょうか。
多くの人が「煉獄杏寿郎」というキャラの生き様に胸を熱くし、涙しました。
私も感動した人の1人です。
その結果、全世界累計来場者約4135万人・総興行収入約517億円記録しました。
強烈な成功を刻みました。
今回はその先のストーリー
『無限城編』
原作を読んだ方ならご存知の通り、物語は様相を一変させます。一つの戦いに集中するのではなく、複数の壮絶な死闘が同時多発的に、断片的に描かれています。
もし、この『無限城編』が『無限列車編』の時のように熱狂的になるかは別の話でしょう。
当時、コロナ禍で外出も中々できなかった時期
さらに、外出もできなかったため、「マンガを読む」という人が増えたときでもありました。
今回、この2つの物語に人が心の奥底で『鬼滅の刃』という物語に何を求めているのか、その「集合的無意識」として何が存在するのかが気になりました。
これは単なるアニメの感想文ではありません。
煉獄の「炎」と、猗窩座の「涙」を道しるべに、現代を生きる人の心の深層を探る旅として深堀りしていきます。
第2章:「煉獄杏寿郎」という処方箋
なぜ、『無限列車編』はあれほどまでに、多くの心を一つにしたのでしょうか。
それはその見事なまでの「物語のシンプルさ」にあります。
一つの舞台(無限列車)
一人の英雄(煉獄杏寿郎)
一つの明確な結末(彼の死と、遺された想い)
物語はたった一人の男の「生き様」に、極限まで焦点を絞っていました。
炭治郎と同じ視点から「煉獄杏寿郎」という、一点の曇りもない「正しさ」と「強さ」に共感しやすかった。
普段、自分の中で外に表現していなかったとしても、そういう思いを持ち合わせているからこそ共感できる。
煉獄の「責務を全うする」
猗窩座を前に一歩も引かない姿、そして最期に母の幻影に微笑む顔。
なぜ人は彼の生き様にこれほどまでに惹きつけられ、涙したのか。
それは複雑で、先行きの見えない現代を生きる人が、無意識のうちに「気高く、迷いなき生き様」に憧れているからです。
煉獄杏寿郎は「こうありたい」という願いを一身に背負った
時代のヒーロー
彼の物語は乾いた心に潤いを与える、ココロの「処方箋」だったのではないでしょうか。
第3章:「猗窩座の涙」― なぜ「鬼」に共感してしまうのか
『無限列車編』がココロの「処方箋」であったなら
今回の物語はどういうことが当てはまるのでしょうか。
そのヒントは
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