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『蒼』 第8話

第8話:写真が導いた境界

逢坂結愛(あいさか ゆあ)は、湊斗たちよりも一足先にロッテ百貨店へ到着していた。
百貨店の喧騒の中、何かを探すように視線を走らせる。彼女の直感が、この地に刻まれた記憶の断片を追い求めていた。

1階から地下へ続くエスカレーターに足をかけようとした瞬間、頭の中に声が響いた。

「いや、離れたくない」
陽菜……?)

「地下じゃない、3階から聞こえる。それもマート側」

ロッテ百貨店光復店は、百貨店、アクアモール、ロッテマートの3つの建物で構成されている。

結愛は百貨店からマート側へ移動し、エスカレーターへ向かった。
人混みを抜け、急いでエスカレーターを登っている最中、再び声が聞こえた。

「ごめん。俺のことは忘れてくれ」
ヒョヌ……?)

と思った瞬間、目の前の景色が一瞬の光に包まれた。

それまで肌を撫でていた百貨店の空調の効いた乾燥した空気が、一瞬にして消え失せた。

鼻を突いたのは、湿った土と、松の木の重厚な香り。
視界が明転した先には、百貨店とは異なる古い木製の小屋があり、足元は土の地面だった。結愛は何が起こったか把握しきれないまま、目の前の光景を直視した。

小屋の前に佇む二つの人影。結愛はすぐさまその正体を悟った。

「陽菜!! ヒョヌ!!!」
予期せぬ方向からの呼びかけに、陽菜の表情がふっと緩んだ。

「結愛~~~~~~!」 陽菜は結愛に駆け寄り、その場に泣き崩れた。

「良かった。ヒョヌも大丈夫? 二人に会えて本当に良かった」
結愛は二人を抱きしめ、心底安堵した。

「でも、ここはどこなの?」
結愛が問いかけるが、陽菜もヒョヌも困惑した表情で首を横に振るばかりだった。

「どうしたらいいかわからないの。なぜここに来たのか。夢なのか現実なのかも……」
二人の混乱した様子に、結愛が次にかけようとした言葉を飲み込んだ、その時だった。
下の方から女性の声が聞こえた。

「いや~、離れたくないないの」

聞き覚えのある声だった。
結愛はとっさに声のする方向を見やった。

視線の斜め下。今まで意識していなかったが、自分たちが立っている場所は小高い丘になっていた。
結愛はハッと息を呑んだ。
(ここ……あの写真の場所だ)

「竜尾山(ヨンミサン)……」 目の前の御堂は、拓海さんが言っていた玉垂神社に違いない。

結愛が眼下を見下ろすと、朝鮮人らしき女性が朝鮮側の警察に捕らえられていた。
「私も一緒に連れて行ってくれるって言ったじゃない?! 離れたくないのに、なぜ、なぜ!」
女性が懇願するが、警察は強引に連行しようとする。

その隙を見て女性は逃げ出そうとしたが、髪を掴まれ、再び拘束される。
そして、警察の持つ棒が女性の背中を容赦なく襲った。

あまりの光景にヒョヌの喉から小さな悲鳴が漏れる。
結愛は反射的に手でそれを封じ、3人は息を殺して松の木の陰へと身を潜めた。

結愛の視線の先には、暴行を受ける女性を切なげに見送る一人の男性がいた。
彼がまとっている着物の紋や、帯に差した刀の鞘の細工が、ただの通行人ではない、当時の重要な役職に就いている人物であることを物語っていた。 (……この人と、あの女性は一体どんな関係なの?)

結愛がそう考えた瞬間、ふと今の状況の異様さが脳裏をよぎった。
(結局、私だけが先に走ってきて、ロッテマートからこっちへ……。そうか、ここは昔の竜尾山……)

現代の常識では計り知れない現実。
なぜ自分たちがここにいるのか、これが夢なのか現実なのか。
誰にも答えは出せない。

それでも結愛は強く自分に言い聞かせた。
(今は考えたって仕方ない。この時を、一生懸命生き抜くしかない)

「さぁ、立って陽菜。まずは、人に見つからないようにここから下りましょう」 結愛が力強く告げると、三人は家族や仲間が待つ現代へ帰るための、長く険しい道へと歩みを進めた。

(第9話に続く)

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