#2-1 2025年の本と音楽、そして「ラベリング時代」のその先/2025年私的ベストアルバム10−6位
ー今回の話ー
2025年紅白歌合戦のちゃんみなとHANAへの反応/2010年代は「ラベリングの時代」/音楽はレモネード/表現をチェックシートで判断する無意味さ/言語化は現代の必勝法/本におけるポップスターとは/三宅香帆は存在自体が二律相反的/東大生がコンサルを目指す理由は3つだけ/最適化された生き方は幸せなのか?/他人の欲望で生きる私たち/不合理さに面白さがある/答えが出ないまま生きること/ブラッドオレンジとデヴハインズ/田舎に捨てた自分と都会に出た自分を融合させる/FAQコーナー:歴史は常に勝者が作る/フォロワーさん400名超えました✌️
ー今週の質問ー
「貴方の選ぶ2025年のベスト本とベスト音楽」
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ー今回の取り上げた楽曲・バンドについてー
ー今回取り上げた本/参考資料ー
考察する若者たち
東大生はなぜコンサルを目指すのか
音楽はレモネード
2025年の私的BEST本 10−6位
ポッドキャストあとがき/2025年私的ベストアルバム10位から6位
本のベスト10は記事にしたのですが、音楽については、他の人もやってるし、まあいいだろうという形でちょっと見送っていましたが、アルバムの短評をオマケでまとめております。本については、こちら。
2026年は、もう少しジャンルの違う本も読みたい(特に地政学と歴史学)
音楽はラテンとヒップホップ全般をもっと掘ることかなと思っております。
10位:千葉雄喜/永遠

千葉雄喜がKOHH名義を離れて以降の作品は、基本的に「やりたいことしかやらない」という態度に貫かれている。KOHH時代にあった、テキトーさの中にある「トレンドを嗅ぎ取る勘」は、ほぼ意図的に放棄されている。
端的に言えば、設計よりもノリを優先している。「チーム友達」も、ミーガンから着想を受けた「STAR」も、意味や文脈を積み上げるというより、「ノリでやりゃいいんだよ」という一周回ったストレートパンチとして機能している。
もともとKOHH時代から「死」は彼の強烈なオブセッションだったが、本作『永遠』では、Stillzの静謐なバックトラックに散文詩を乗せることで、生と死そのものを黙って見つめ続けるようなアルバムに仕上がっている。
楽曲は、内省と叙情を持つjojiのボーカルと、晩年の坂本龍一が見せた余白のサウンドを重ねたようでもあるが、不思議と湿度は低い。死を扱いながら、感傷に溺れない。
その乾きが、この作品をただの内省作で終わらせていない。「俺らの生きる世界、全部が夢みたい」と最終曲で呟くように歌う彼を武道館で見たとき、ああ、ここまで来てしまったのかと思うと同時に、どうしようもなく切なくなった。音楽は切ない。そして、人生も。
9位:リトル・シムズ/ロータス

リトル・シムズが2021年のアルバム「sometimes I might be introvert」でUKヒップホップの新星として現れ、マーキュリー賞まで受賞した時、多くのリスナーが、新しいインディスターの登場だと感じたはずだろう。
しかし、プロデューサーである、インフローとの契約及びビジネス面における金銭的な紛争や、USシーンに食い込んでいく際の商業的な疲労や度重なるツアー、これにより、リトル・シムズがもう音楽を止めようと思える場面まで近づいていた。
そこから生まれたのが、今作『Lotus』だ。トレンドとは完全に距離を取った、硬質で私的なヒップホップ・アルバムである。アフロビートやUKジャズの要素はあるが、華やかさよりも、削ぎ落とされた声と言葉が前に出る。
象徴的なのがObongjayarと組んだ「Lion」だ。ナイジェリアの血を引く自分を肯定し、「私は私だ」と繰り返すこの曲は、自己回復の宣言に近い。
一方、Moses Sumneyと共作した「Peace」では、ダウンテンポなR&Bの中で、自身の脆さや不安をそのまま差し出す。
ロータス=蓮は、泥水の中から咲く花だ。与えられた苦難を否定せず、そのまま抱えて立ち上がる。『Lotus』にいるのは、もう“インディ・スター”としてのリトル・シムズではない。そこにいるのは、ナイジェリアの血を引く一人のブラック・ウーマンが、自分の人生を自らの手に取り戻した姿なのだ。
8位:サム・フェンダー/ピープル・ウォッチング

2018年、ブルース・スプリングスティーン譲りのハートランドロックと労働者階級のリアリズムを武器に登場したサム・フェンダーは、2025年のサードアルバム『People Watching』で、ワーキングクラス・ロッカーにとって最大の難関「成功とどう向き合うか」という問いに真正面から挑んだ。
成功した途端にリアリティを失う。この罠に多くの英国ロック勢が落ちてきたことは、オアシスを思い出せば十分だろう。
だが本作でフェンダーが選んだのは、逃げでも開き直りでもなく、王道だった。サウンドは80〜90年代英国ロックの文法を現代的に再構築したスタジアムロックへと大胆にスケールアップしている。
タイトル曲「People Watching」は郷愁と高揚が同居するハートランドロック・アンセムで、「Chin Up」ではノエル・ギャラガー的なアコースティックの温度感を、「Crumbling Empire」ではポリスを想起させる洗練されたポップネスを鳴らす。
しかし彼が歌っているのは、勝者の祝歌ではない。音楽業界の中で感じる疎外感、地元に残された人々への負い目、階級移動が生む罪悪感。成功してもなお「異物」であり続ける感覚が、全編に静かに滲んでいる。これは、本来オアシスが歌うべきだった階級移動後のセンチメンタルそのものだ。
ラストを飾る「Remember My Name」では、祖父母への感謝と誇りがブラスバンドと共に語られる。ここで彼は、自分がどこから来たのかを一切誤魔化さない。自身のルーツである地元の家族やコミュニティへの敬意を雄弁に表現する。
結果として『People Watching』は全英1位を獲得し、テイラー・スウィフトやサブリナ・カーペンターと並び立つセールスを記録した。だが重要なのは数字ではない。かつて失われたかに思えたワーキングクラス・ロッカーの魂が、ここに力強く帰還したという事実である。
7位:ギース/ゲッティング・キルド

Geeseを『3D Country』で初めて聴いたとき、正直こう思った。
「まだニューヨークに、こんな時代遅れのバカが残ってたのか」と。
スプーン的なインディロックの作法で、70年代ロックをやる。
ヒップホップ、レゲトン、ポップがシーンを蹂躙する中で、あまりにも逆行した音楽だった。アルバム自体は素晴らしかったが、売れるとは到底思えなかった(実際、期待したほど売れなかったらしい)
印象的だったのは彼らの自己認識だ。インタビューで彼らは、自分たちはニューヨークの中産階級出身で、家族の支援があるからこそ、こんな“趣味みたいな音楽”を続けられていると率直に語っている。普通なら成立しない。その矛盾を理解した上でやっている点に、妙な誠実さがあった。結局、豊穣な音楽はパトロン抜きでは成立しない。
そんな彼らが2025年に出した『Getting Killed』は状況を一変させた。世界的評価を獲得し、チャートにも入り、セールスも伸びた。
楽曲自体は『3D Country』の延長線にあるが、決定的に変わったのは音響だ。立体的で密度の高いサウンド構造は、コーネリアスがクラシックロックをやったかのようでもあり、相変わらずスプーン的でもある(スプーンはクラウトロックの音響構造にロックンロールをぶつけた先人である)
「Taxes」はトライバルなビートとサイケな感触を持ちながら、なぜかポップとして成立している。表題曲「Getting Killed」は、言ってしまえば2025年版ストーンズ型ロックンロールだ。それを最新の音響で、馬鹿正直にインディーロックとして鳴らす。その直線性こそがGeeseの強さであり、最大の魅力だろう。2026年の来日公演が即ソールドアウトしたのも納得だ。みんな、これを待っていた。これぞロックンロール・バンドだ。
6位:ブラッド・オレンジ/エセックス・ハニー

ポッドキャストで話していますので、こちらのレビューは割愛します。
ポッドキャストだと、23分30秒ぐらいから話しております。
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