呪いの分析 葵の忘却のアポカリプスより
呪いの分析 3429文字
「ヴィクトールよ、何故ここに呼ばれたか分かっているな?」
かつて【焔】で互いに腕を磨き合った友であり、メタトロン帝国の現皇帝であるヨハネス=ローゼンハイン。
五十を超えた肉体とは思えぬ程鍛え抜かれており、本来常に皇帝の側には警護兵が控えているのだが、ヨハネスはそれすら嫌う。己に割く兵が居るならば、大切な愛娘であるリーザ皇女に割くよう兵士に徹底させている。
この広間にいるのは、たった二人。故に、今ヴィクトールがこの場で謀叛を起こしたとすれば、簡単に皇帝の首を取ることも出来るだろう。
十八年前に謀叛を起こした前【焔】団長を思い出す。あの時も、ヨハネスと彼が二人きりだったはず。なのに彼は謀叛に失敗してクレセント大神殿へ身柄を拘束された。
──今ならば、無防備な現皇帝の首を取れるのでは?
ただ、今更彼の首を取ったところで何も生まれない。ウォルトが愛した妻も、幼い子どもも、そして貧民街で喘ぎ苦しみ死んでいった者達。
誰一人戻らない。
それを理解して受け入れているからこそ、ヨハネスは“いきている“
「此度の私の独断は、死罪と言える程の重罪です。如何なる処分も受け入れます」
「ははっ! 何を狂った事を。お主が居なくなったら【焔】は壊滅しかなかろう。余は、お主に感謝しているのだ」
珍しく、ヨハネスが肩を揺らして豪快に笑った。場の空気を諫める為だとしてもあまりにもオーバーリアクションに見える。珍しく感情を出さないヴィクトールが瞳を動かした。
「ヴィクトールよ、“金の卵“を覚醒させる為にしてくれたのだろう?」
「リーシュは、この国の──」
「……皆まで言うな。余もリーシュについて」
彼の名を紡いだ瞬間、二人のこめかみに強い電流が流れた。言葉にするのも妨害するかのような、何かの強い意志が。
一瞬だけ記憶が吹き飛ぶ。何とか意識を維持していると、目の前のヨハネスは両手で顔を覆い首を緩く振った。
「……何故だ。何故、余は大切な我が子の名を呼ぶ事も、抱きしめる事も叶わぬのだ。大天使メタトロンよ、これ以上余に何を望む」
完全にリーシュの存在がヨハネスの記憶から抜け落ちたわけではないらしい。外部からの干渉で、リーシュ皇子の名を紡ぐ事すら拒絶されているようだ。
メタトロン帝国の創立に尽力した創世神の生まれ変わりと呼ばれる少女に鍵があるのかも知れない。ヴィクトールの推測はほぼ固まった。どのみち【焔】にウォルトを戻したい。彼なき騎士団は覇気に欠ける。ついでにクレセント大神殿の内情を探れたら。
「ヴィクトールよ、お主に頼みたい事がある」
「はっ……何なりと」
「彼奴にかけられた呪いの分析を進めて欲しい。“金の卵“は、この国を救う力となろう」
“招かれざるもの“と対峙したリーシュはメタトロン帝国西側の貧民街に向かう途中、Sクラスの敵と対峙し、クレセント大神殿の巫女イリアに救われた。
リーシュが纏っていたのはほぼ原型を留めていない【焔】の魔法鎧と、酸で焼き切れた青いマントの切れ端。そして黒い泡で溶けた馬の死骸。その場で一体何が起きたのか想像は容易い。彼女が居なければリーシュは傷が塞がっていようとも死んでいた。
現場に駆けつけたヴィクトールにイリアは蒼い瞳に涙を浮かべたまま、
『お願い、リーシュにかけられた呪いを解く方法を一緒に探して』
ポロポロと砕け散る宝石の涙を流すイリアにとって、巫女と一介の騎士という関係よりもリーシュは特別な存在だと悟る。
とは言え、彼女とリーシュの接点は謎のまま。巫女の外見はかなり若くまだ二十代と思われるが、実際は遥か昔からアルカディアの歴史を見守っていると言われている。
何故クレセント大神殿に籠っている彼女が地上から選ばれたリーシュを知っているのか。それとも、彼がエデンに来ることは既に星読みによって定められた事なのか。
ヴィクトールの答えは決まっていた。
「畏まりました。リーシュにかけられた呪いの研究は【威】で進めましょう。丁度、リーシュに縁のある者が入ったところです」
「ふむ、その辺りは任せる。もうじき星が動く。そのタイミングでリーザをシャルムとの交渉に向かわせようと思うてな」
「皇女を、ですか」
意外だった。常に第一線で行動するヨハネスが、敵国シャルムとの交渉に最愛の娘であるリーザ皇女を出すと言うのだ。
勿論、リーザ皇女が出るとなれば護衛が必要。果たして今の【焔】にそこまでの戦力があるかどうか。黙考するヴィクトールに、ヨハネスは形の良い眉を動かした。
「居るではないか、最強の護衛が」
「まさか──」
「この時の為にウォルトをクレセント大神殿に預けたようなものよ」
ウォルトの身柄を大神殿に移したのも、全てヨハネスの計画通りだったらしい。ヴィクトールは深々と頭を下げ、リーシュの呪いを解く方法の模索と、リーザ護衛の件について快諾した。
◇
「──で、俺の処分はなしって事か?」
「皇帝の寛大さに感謝しろ。それで、動けるのか?」
【威】が運営している“招かれざるもの“を研究する施設に移送されたリーシュは、淡いグリーンの丈の長いローブを着用していた。軟禁とは言え、両腕の枷は逃げる事を許さない。
Sクラスの“招かれざるもの“に遭遇して生き延びたケースは今の所ウォルトのみだ。2回目の生存者であるリーシュは【威】の格好の餌だった。
「よくわかんねえ男があれこれ検査しているんだよ。そいつに聞けよ」
「──珍しいですね、【焔】の騎士団長様が、このような所まで足を伸ばされるとは」
噂をしていると何とやら。ディオギスは人の良い笑みを浮かべたまま、真っ直ぐにヴィクトールの瞳を見返した。
二人の間にある確執があるとすれば、ディオギスの養父に当たるマイデン卿が当時の【威】全権を担っており、あの日Sクラスの“招かれざるもの“襲来の日、判断を誤った。
彼そのものに罪は無いのだが、今もこうして懺悔も込めて後方支援と研究に死力を注いでいる。彼は、ウォルトの謀叛の後に地上に降りたと言われていたが、リーシュがエデンに来たタイミングでこちらに戻ったのか。
「リーシュが必要になった」
「ふっ……皇帝の尖兵は相変わらず都合の良い。リーシュくんは“招かれざるもの“に素手で立ち向かっているのですよ、貴方は、いえ──【焔】は彼を切り捨てましたよね。虫が良すぎると思いませんか」
正論を突きつけられて何も言い返せないヴィクトールは唇を真一文に縛った。彼の名前がリーシュ皇子と同じであること、そして彼がセラフクライムを継承した事、全てヴィクトールの予想通り、一応賭けに勝ったのだ。
ところが後処理を気に食わんとするディオギスは真っ向から反論した。
彼はクレセント大神殿の巫女によって一命を取り留めたにすぎない。何か悪い状態であれば、【焔】に属することそのものが危険と言われたのだ。
「危険は百も承知。セラフクライムを振るわせない事を条件としたい」
「丸腰にして戦いに挑ませるのですか? 貴方は人としての──」
「皆を守る為に、人間としての心はとうに捨てている」
「その大を得る為に小を切り捨てるという考えが気に入らないからこそ、リーシュくんも私の研究に賛同してくれているのですよ。今のエデンは不平等過ぎる……!」
「それを変える為にも、シャルムと停戦しなければいけない」
ヴィクトールの瞳の色は全く変わらない。このまま口論したところで、力づくの行動に出られたらリーシュを守る事は不可能。この研究所を壊されても困る。
わざと大きなため息をついたディオギスはリーシュの両腕についた鎖をあっさりと外した。
「──いいですか、リーシュくん。君はまだセラフクライムを上手く扱えない。絶対に、無理はしない事。万が一、死地に赴いた時は必ず……生きて帰る事。いいね?」
「んだよ、親父みたいにベラベラと……俺は死なねえ。大切な奴を……あいつを、守りたいんだ」
リーシュの不平等なエデンを壊す、という意思に迷いはない。
あの時、エデンへ向かう覚悟を決めた時と同じ眼差しで彼は先を見据えていた。
──メタトロン歴、364年。
リーザ皇女、二十歳の誕生日のち、彼女は二人の【焔】騎士を共に、クレセント大神殿へと旅立つ。
敵国シャルムとの、長き戦いに終止符を打つ為に。
