コミュニケーション技術【相手に興味をもつ】
コミュニケーション技術【相手に興味をもつ】
総文字3250
「コミュニケーションの基本は、相手に興味をもつことです」
真弥の恒例の講義は毎度為になる。オペ室のことを勉強するのかと思いきや、彼はひととしての関わり方や、もっと深い部分──授業では教えてくれない情報を提示してくれる。
「看護学生の時に受けもち患者さんを持つだろう? 初対面の、既往歴と現病歴しか知らない“人生の大先輩“に、みんなはどう話しかける?」
「えっと……まずは天気、ですか?」
「うんうん、他にある人」
真弥は新人の意見を決して否定しない。あがった言葉をニコニコしながら聞き、全てホワイトボードに記載していった。
「──これで全部かな? では、正解を言います」
新人はみなごくりと生唾を飲み込んだ。この中に正解があるならば、学生の頃に知りたかった情報だ。
「みなさん、沢山考えてくれてありがとう。これは全て正解であり、同時に不正解にもなり得る」
「えっ??」
どよめきが起きる。結局、じゃあどうやって会話の切り口を見いだせばいいのだろう。
「花巻先生」
「は、はい!」
マヤさんの講義のモデルは、新人ではなく必ず俺が名指しされる。今回もまたチャンスを逃した一年目の研修医が悔しそうな顔で俺を睨みつけていた。
「あの、花巻先生にいつもお願いするのは……」
流石に新人看護師の勉強会なのに、研修医であり無関係の俺がいつもモデルにされるのが申し訳ないのだろう。ごくごく普通に新人くんが名乗りを上げたが、俺は満面の笑みでそれを断った。冗談じゃない、このポジションは誰にも渡さない。
「あー、いいのいいの。俺ら研修医なんて関係ないのに、この有意義な勉強会に参加させてもらってんだし」
むしろ、他の人にこのポジションは譲りたくないんだ。新人くん、すまんな。
「では、花巻先生は言葉を話せない人になってください」
難しいシチュエーションだ。難病? 癌か?
俺はいつものように八番整形部屋の手術台に寝転がった。
「これから私がそれぞれを2パターン演じます。何か感じ取ってもらえたらありがたいです」
俺は何をされるのかわからないが、多分今回は寝ているだけでいいのだろう。
「花巻さん、おはようございます。今日はいい天気ですよ」
俺は言葉を話せない設定なのでそのまま無言を貫いた。すると、マヤさんは単調にあれこれ話始めた。即席にしてはすごい演技だ。
俺は喋れない人の設定だから、本当にただ寝ているだけだ。マヤさんの繰り出される日常会話がすごいな、とは思ったがこちらは何も喋れないので彼の会話を遮るものはなく、一方的と言えば一方的で、俺の中には何も残らない。
「では花巻先生、今の対応についてどう思われますか?」
げっ、新人じゃなくて俺に振るの!? もしかして、良回答でも期待されてる!?
「ええっと……なんつーか、色々話しかけてくれたけど、こっちは喋れないから何も心に残らないというか……すいません」
本音を話すとマヤさんはにっこりと微笑んだ。
「そうです。天気の話や、テレビ、アイドル、好きな芸能人、ニュース……色々話はできますが、その人を知ろうとしてその人を主体として関わらないと相手は何も話してくれません」
言葉を話せない人、という設定になりきっている俺はマヤさんの言葉を噛み砕いていた。
「自閉症とか、認知症の方の対応ってどうしたらいいんでしょうか?」
「いい質問だね、花巻先生にお願いしたケースがまさにそれなんだよ。でも、認知症の方は関わり方が難しい。ひとつボタンを掛け違えると一気に被害妄想と信頼関係を失ってしまう。私達オペ室看護師で出来る内容についての勉強だから、もっと詳しい看護については病棟の方が専門になるかな」
真弥は苦笑しながら新人の質問にひとつひとつ丁寧に答えていた。彼が言いたいのは麻酔がかかる前の患者への不安の除去や、対応についてが軸となる。はっきり言って、それよりも詳しい看護は病棟でするべきであり、オペ室の関与する場所ではない。
ただ、術前訪問に行った際に患者に不安を表出された時、どう対応するかなのだ。
「神野先輩、正解のロールプレイングってありますか?」
「うーん……どれも正解とは限らないんだ。ただ、これは私の中で心掛けていることだから」
俺はまだ起きるな、と言われていたので高い手術台に身を委ねていた。
「花巻さん、おはようございます」
先程と同じような感じに聞こえるが、マヤさんがおもむろに枕元にあるラジカセにふれたように見えた。勿論、手術台なので、ラジカセなんて置いてない。
「ドビュッシーの“月の光“ですね。花巻さんは、ピアノをやってらっしゃったのですか?」
完全に無意識だった。俺は催眠療法にかかったように目を丸めてこくりと頷く。何でマヤさんは、話した事のない俺の幼少期を知っているのだろう。
俺は確かに中学に入るまで、祖母が好きだった曲を弾くためにピアノを習っていた。この曲には、死んだ祖母との思い出が詰まっている。
幻想的な、静かな月夜をモチーフとした作品で、聴いているだけで心がすっと穏やかになる。
とは言え、俺は喋れない患者の設定なので、ただ黙って手術台に横たわっていた。
「これで終わりです」
ロールプレイング終了、とマヤさんは俺の肩をトンと叩いてくれた。細められたアーモンド型の眸が嬉しそうに微笑んでいる。
「相変わらず、花巻先生はいい演技をしてくださる。──ピアノの話はアドリブです。アナムネーゼがあるので、そこから趣味や過去にしてきたことを情報収集します。何も知らない状態で関わると、相手は勿論警戒しますし、耳を塞ぎます」
確かにそうだろう。俺だって知らないやつにいきなり訪問されたら最初は近づかれることさえ不愉快だ。でも、マヤさんにピアノの話をされた瞬間、俺の警戒はあっさり解けた。どう表情が変わったのかは分からないが、マヤさんには通じたらしい。
「つまり、相手のことを事前に調べてから術前訪問に行くんですね」
「そうです。何もわからない状態で、いきなり明日の手術の話をしても、相手には何も伝わりません。先日もお伝えした通り、言語的コミュニケーションはかなり少ないので、相手の表情を見ながら話を進めてくださいね」
新人達はマヤの話を必死にメモしていた。
「今日は話が長くなりましたね。みなさんお疲れ様でした。研修医の先生達もわざわざご参加ありがとうございます」
他の研修医達と新人が出て行ったところで、俺は手術台に近づいてきたマヤさんに話しかけた。
「──なんで、俺がピアノやってたって知っていたのですか?」
マヤさんは“アドリブ“と言ったが、あの様子は間違いなく俺がピアノを習っていたことを知っている言い方だった。一般人がいきなり癒しのミュージックで「月の光」が出てくるわけがない。
「姿勢の良さ、あと指だよ」
言われて自分の手を見てみるが、はっきり言ってピアノをやめてから相当時間も経過しているのでよく分からない。
「手首、指先をよく使っているのがわかる。何となくだけど、手の筋肉がついてるって感じた。医者になるのに繊細な動きは必要だし、幼少期の鍛錬が役に立っていいじゃないか」
淡々と話してくれているが、はっきり言ってかなり相手のことを知らないと分からないものだ。特に指なんて。
「……マヤさんって、俺のことめちゃめちゃ見てくれているんですね」
「──ッ……そ、それは、このロールプレイングに必要だから」
一気に顔を赤らめたマヤさんが何を連想したのか俺はマスクの下でニヤニヤ妄想した。
「指先は、よ〜く使いますよ。これからもね……あでっ!」
「……花巻先生、この部屋はもう閉めますので、早く手術台から降りてください」
いつもの指二本のツッコミがぴしゃりと額にヒットした。何気に痛い。
──その日は金曜日ではなかったけれども、「今日の勉強会でモデルになったご褒美が欲しい」とおねだりし、了承してくれた真弥さんに絡みついた。
やっぱり俺、マヤさんのことが大好きだ。
