見出し画像

【純愛BL】俺だけのナイト様 5話

5.名前で呼んで


 スカイプとネトゲに女子高生達が入ってから、俺は何となく居心地の悪さを感じて『テスト勉強に専念する』を言い訳にゲームにインすることがぱったりとなくなった。
 ──こういう寂しい時に限って愛猫のにゃん吉も気持ちよさそうに寝ていることが多く、広い家の中はしんと静まりかえっている。

「次の期末テストの数学だけはどうにかしないと……」

 ゲームを控えるタイミングはちょうど良かったかも知れない。実際、あと二ヶ月後に期末テストが控えている。
 前回赤点を取ってしまった数学と英語。このテスト結果次第で地獄の夏休みになるかもしれないし、もしかしたら父さんに日本で勉強しても身にならないのならばロスに来いと強制送還される可能性もある。
 人間不思議なもので、いざやろうとすると全く手につかないし集中力が沸かない。多分、ネトゲが勉強の妨げとなっていたと思い込んでいたのに、ゲームは俺のメンタルややる気を調整してくれていたのだろう。
 とは言え、啖呵切って暫くログインしませんと言ったのに、翌日から普通にインするなんて格好悪い。

「はぁ……どうすっかなあ」

 勉強机に向かってもまっさらな大学ノートを見ているとついつい落書きしたくなる。椅子を前後にぎしぎしと動かしながら何度目か分からない溜息をつく。
 パラパラと教科書を広げ、ふと横に置いてある携帯が視界に入った。

「そういえば……」

 以前如月先生からもらったメモをファイルからがさがさと取りだす。その走り書きの文字を見ていると、あの目を細めて笑う優しい笑顔が浮かんだ。







「ここ……だよな。この住所」

 メモに記載されていた住所を検索し、電車を乗り継いだ俺は彼の家の前まで来ていた。
 高級住宅街が立ち並ぶところにある1LDKの一人暮らし用マンション。
 一応、住所は教えてもらっていたが、詳しい行き方聞いていなかったせいか乗るべき電車を間違えたり、電車のトラブルがあったせいか、如月先生の家に着いた時は既に21時を回っていた。
 この時間にふらふらしていると警察の補導に捕まる為、俺は黒のトートバックに入れていた帽子をなるべく深くかぶった。
 もし補導されたとしても、バックに詰め込んだ勉強道具を持っているので、「今から塾の帰りです」とアピールをして歩けばいい。

「すっげえ……高そうなトコに住んでるなぁ……」

 見上げたマンションはいかにも富裕層が住んでいる煌びやかな建物だった。警備員の居ない広々としたエントランスに入る。厳重なセキュリティの二重扉は固く閉じられており、横に監視カメラのついた部屋番号を入力するパネルがあった。
 先生に何のアポもとっていないのに一体どうやって入ろうか。それ以前に仕事が終わったのか、そもそもマンションに居るかどうかも確認していないのに……。
 携帯を持ち入口前でうろうろしていると突然背後から頭を軽く小突かれた。
 てっきりこのマンションの住人が俺のことを不審者だと思って小突いたのかと思い、慌てて横に避けた。

「すいませんっ。邪魔しました!!」
「杉崎君、勉強する気になったんだね」
「へ……? あ、如月先生……」

 顔を上げるとニコニコ微笑む如月先生の姿があった。

「いやー、待った甲斐があったよ。てっきりもうメモのことなんて忘れていると思っていたから」
「すいません……ほんと、勢いで来たので……」

 素早くセキュリティ解除と部屋番号を入力し、俺をどうぞと先に通してくれた。

「来てくれて嬉しいよ。鳩山先生にまたいじめられる前に頑張ろうな」
「はい……よろしくお願いします」



 マンションの15階にある如月先生の部屋はオフホワイトの壁に同調する白い家具で統一されたシンプルな部屋だった。
 元々臨時講師としてあちこち移動していたせいか、身の回りには必要最低限のものしか置いていないらしい。
 サイドボードの上には小さな観葉植物。そしてリビングの中央にはガラスのテーブルと白い二人がけのレザーソファー、その端にはノートパソコンの置いた組み立て台と大量の本が入った本棚と、ひじ掛けのついてある回転式椅子がある。
 寝室の方まではドアで仕切られている為見えなかったが、男の一人暮らしの割にシンプルで相当綺麗な部屋だ。

「お、お邪魔します……」

 広々としたリビングの中央までゆっくり入ると、俺の身体から猫の匂いを感じたのか、如月先生の飼い猫が嬉しそうに足元にすり寄って来た。

「あっ、先生も猫飼ってるんだ。うちにも居るんだよ、この子と同じアメリカンショートヘアの猫」
「あぁ、可愛いだろう。このクリクリした目に人懐っこい性格と……何よりこいつは賢い」

 うちのにゃん吉は寝てばっかりで、そこまで賢そうに見えないけどな……なんて言えない。
 俺は如月先生の愛猫を抱き上げたままきょろきょろ室内を見渡してみたが、見慣れたものが見つからなかった。ネットのマサは極度のヘビースモーカーだ。それなのに、この白い部屋には煙草の痕跡が全くない。あれだけゲーム中に何度か退席して、トイレではなく煙草タイムをとっていたり、スカイプ中も何度か煙草を灰皿に押し潰している音を耳にしているというのに。

「先生、煙草吸わないの?」
「んー、吸わないわけじゃないけど、生徒の前でプカプカ吸う程、俺はマナー悪くはないよ」

 学校モードの「私」ではなく、「俺」って言った。
 このマサと変わらない距離感が嬉しい。今、俺の目の前にいるのは如月先生ではなく、俺の相棒であるマサだ。

「杉崎、勉強前の眠気覚ましにコーヒーでいいか? ここにあまり人を呼ばないから正直他にないんだよなぁ……」

 呼び方もいつもの「杉崎君」から「杉崎」に変わっていた。多分、学校という箱を抜けるとマサは素に戻る。

「すいません、お構いなく。俺が勝手に来ただけなので」

 猫を両手で抱きかかえたまま、如月先生の仕事スペースとも言えるデスクに目を向ける。そこには18型のノートパソコンと分厚い辞書、さらに横の棚にはこれから片付けるのであろう書類の山があった。

(あのパソコンでゲームしてたのかなあ……)

 ぼんやりとそんなことを考えていると、コーヒーを持った如月の暖かい手が触れた。

「ほら突っ立ってないで、そこのソファ座りな」
「ありがとうございます……」

 はい、と挽き立ての暖かいコーヒーを手渡され、促されるままソファに座る。膝の上には我が物顔をしている如月の飼い猫が幸せそうな顔で俺の膝の上にちょこんと丸まって座っていた。
 如月はテーブルをはさみ、飼い猫が俺に懐いている様子に、少しだけ不服そうな顔でブラックコーヒーを啜っている。

「シノ」

 名前を呼ばれて思わずびくりと反応してしまった。

「ああごめん。そいつ、シノブって名前なんだ。俺の、可愛い可愛い子猫ちゃん」
「は、はぁ……」

 何て紛らわしい。シノって言われると益々マサに呼ばれてるみたいで無駄にドキドキしてしまうじゃないか。
 そんな俺の動揺を知るはずもない如月先生は「おいで」とシノブを手招きした。

「ちゃんと飼い主のところに戻った方がいいよ」

 まだ俺の膝から動こうとしないシノブを抱き抱え、如月先生の腕に渡した。
 愛おしそうにシノブを抱き抱えたまま、如月先生はもう一口コーヒーを啜り、俺に向けて右手を差し出した。

「どこを教えてほしいの? 苦手な数学から片付ける?」
「えっ……本当にいいの? 俺にだけ個別に教えてくれるって……」

 ネトゲに戻れず、勉強も手につかないので何となく足が此処に向いただけだが、やる気を持って勉強道具を持ってきてよかった。
 次の期末テストでまた数学赤点を取ったら、脂ぎったハトコーに今度こそ何をされるかわからない。
 如月先生の専門は英語だが、元々家庭教師もバイトでしていた経緯もあり、不得意教科はない。それに、ハトコーよりも丁寧で、一つずつ根拠づけて教えてくれる。分からない相手の立場に立って物事を教えてくれるからすんなりと身に入ってくる。
 教えてくれる公式も自分が昔覚えたやり方で、と笑いながら色々なパターンを教えてくれた。
 楽しい二人だけの授業は思っていたよりも短く、如月先生の特別授業であればきっと幾らでも聞いていられるような気がした。
 それはこの穏やかな声と、丁寧な指導のお陰なのかも知れないが……

「……そろそろ0時になるな。杉崎、家まで送るから教科書まとめて」
「すいません先生。こんな遅くまで」
「いつでもおいで。勉強の為に来るなら、いつでも歓迎するよ」

 一緒にエントランスまで降りて待っていると、如月は愛車のシルバーのレガシィに乗って戻って来た。助手席に乗り込むと車内からは、やはり隠し切れないマルボロの匂いがした。
 けほっと咳き込むと匂いに気付いた如月があちゃあと顔を押さえた。

「あーごめん、芳香剤切れてたか。窓開ける」
「ううん、大丈夫……」

 俺が部屋にいた間、煙草を吸うのを相当我慢していたのだろう。煙の香りに導かれたのか、車内に入った如月先生はダッシュボードからマルボロの箱を取り出し、1本出して手慣れた様子で火をつけていた。
 この一連の行動はきっと無意識だろうから、「身体に悪いから煙草を吸うな」なんて言えない。俺は心の裡でひっそりと笑った。

 家まで送ってもらう間、好きな曲や趣味、最近したいことなど他愛ない話をしながら短いドライブを楽しんだ。
 しかし、その弾んだ会話の中で、あれだけ毎日ログインしているMMORPGの話は一切しなかった。
 電車だと30分以上かかる距離も、車だとすごく短く感じる。車が家の前まで到着すると、如月先生は俺の頭を優しく撫でた。

「また明日な、杉崎。おやすみ」
「ありがとうございます。先生……」

 車を降りたところで、すぐ家に入らず如月の車が見えなくなるまで見送る。

「あっ、そうだ。パーカー……」

 せっかく洗濯して綺麗にアイロンまでかけたのに、俺は今日返却するのを失念していた。マサは確かにお古で悪いけど、と言いつつくれたものだが、流石に高級ブランドのパーカーをぽんと貰うのは気が引ける。それに、サイズもぶかぶかで普段着るのは無理だと思う。

「杉崎君って言わなくなったな……」

 声のトーンも何処となく学校とは異なっていた。何と言うか、仮面が剥がれた印象だ。
 杉崎君ではなく、マサと同じように接してくれることが嬉しくて、自然に俺の口は綻んでいた。   



マガジン

いいなと思ったら応援しよう!