ホワイトデーは、ホットケーキ記念日。――小さな冒険家が出発した朝
「これでいい?」
そう誰にも聞かずに、子どもがはじめて一人で出発した朝があった。
それは、ホワイトデーの晴れた朝だった。
朝早く、キッチンから、
ガチャガチャ、ゴトン。
と物音がした。
その音で目が覚めた私は、まだ眠りの残る体で、
「今日はすごく早起きだな」
と思いながら、そっとキッチンへ向かった。
そこにいたのは、一人でホットケーキを作っている子どもだった。
ボウルの中には、少しだまの残った生地。
コンロの前には、真剣な顔。
フライパンの上では、もうすぐホットケーキが焼き上がろうとしていた。
私は、とても驚いた。
そして、涙が出そうになったのをこらえた。
初めてだった。
子どもが、誰にも「正解」を聞かずに、自分で出発したのは。
小さな背中は、いつも不安でいっぱいだった。
「これでいい?」
「次は何をすればいい?」
「合ってる?」
それが、いつもの口癖だった。
失敗したらどうしよう。
間違えたら嫌だな。
怒られたらどうしよう。
そんな、言葉にならない重たい荷物が入ったリュックを、いつも背負っているように見えた。
一つひとつ、細かく聞いて、誰かに正解をもらう。
「やっていいよ」
「大丈夫だよ」
その言葉を聞いて、安心というハンコを押してもらってから、ようやく一歩を踏み出す。
それが、いつもの景色だった。
繊細で、いつも大きな不安の中で生きるのは、とても大変なことだと思う。
安全地帯が狭いのなら、なおさらだ。
だから、何度確認してもいいと思っていた。
手助けが必要でもいい。
正解を確かめてからでもいい。
誰かの「大丈夫」をもらってから、動き出してもいい。
それで安心して出発できるのなら、それでいい。
私は、その安心というハンコを、何度でも押してあげたいと思っていた。
いつか一人で、自分のためにおいしいものを作れるように。
そう思って、大好きなホットケーキを一緒に作ったことがあった。
作り方を教えていると、途中から少しずつ、
「一人でできるかも」
「一人でやってみたい」
という顔になっていった。
手つきは不器用だった。
生地は少しこぼれた。
焼き色も、きれいな丸も、思い通りにはいかなかった。
少し焦げて、形はいびつだった。
それでも、自分でひっくり返して、自分でお皿にのせたホットケーキだった。
「おいしいよね」
そう言って、二人で笑いながら食べた。
そのとき私は、「失敗してもいいんだよ」というハンコを、少しだけ押してあげられた気がした。
子どもに必要だったのは、きれいな丸いホットケーキの焼き方だけではなかったのかもしれない。
焦げても、形が変でも、失敗ではないと思える場所。
そこから、安心して一歩を踏み出せる場所。
それが必要だったのかもしれない。
そして、今日。
子どもは、誰にも聞かずにキッチンに立っていた。
その顔は、とても真剣で、少し誇らしそうだった。
「ママのも作ったから、食べていいよ」
照れくさそうに目線を外しながら、ホットケーキののったお皿を、えいっと私に渡してくれた。
その姿を見たとき、いつも背中に背負っていた重たいリュックが、今日は少し軽くなっているように見えた。
そのホットケーキは、少し焦げていて、形もきれいではなかった。
でも、私がこれまで食べてきたどんなホットケーキより、おいしかった。
食べ終わったあと、子どもは余ったホットケーキをタッパーに入れて、友達と外に遊びに行った。
こっそり入れていたことに、私は気づいていた。
でも、気づかないふりをした。
自分のためだけではなく、誰かのために持っていこうとしたその心が、とてもうれしかったから。
怖くても、不安でも、誰かのためなら一歩踏み出せる。
それが、この子なりの冒険の仕方だったのかもしれない。
私はその朝、母親とは何かを、また子どもに教えてもらった気がした。
私はずっと、正解を渡せる母でいなければならないと思っていた。
間違えないように。
不安にさせないように。
ちゃんと導けるように。
でも、子どもが教えてくれたのは、母親はいつも正解を教える人ではないのかもしれない、ということだった。
失敗してもいい場所を用意して、必要なときに「大丈夫」を渡して、子どもが自分で出発するときには、少し離れた場所から、その背中を見守る人。
母親とは、そんな人なのかもしれない。
完璧じゃなくてもいい。
何もできない母親だと思う日ばかりだけれど、それでも、失敗しても大丈夫だと思える場所だけは、この子と一緒に育っていたのかもしれない。
子どもが外に出て行ったあと、私はキッチンを見た。
あたりに飛び散ったホットケーキミックスの粉。
ベタベタのボウル。
使いっぱなしのお皿とフォーク。
汚れたコンロまわり。
いつもなら、
「片付けようね」
と言いたくなるようなキッチンだった。
でもその日は、なんだか、たまらなく愛おしかった。
嵐のあとのようなキッチンが、小さな冒険家の出発に使われた基地のように見えた。
汚れたキッチンが、
「えへん」
と少し誇らしそうに笑っているようだった。
今日は、世間ではホワイトデー。
けれど、わが家では今日から、ホットケーキ記念日になった。
帰ってきたら、粉のついた服のままで、おなかいっぱい褒めてあげよう。
誰にも聞かずに出発できたこと。
少し焦げても、ちゃんと作れたこと。
誰かのために、持っていこうと思えたこと。
その全部に、大きな花丸をつけてあげたい。
子どもの成長は、いつも大きな音を立ててやってくるわけではない。
ある朝、少し焦げたホットケーキの匂いと一緒に、そっとキッチンに立っていることがある。
誰にも聞かずに、自分で火をつけて、自分で生地をまぜて、自分でひっくり返す。
それは、ただの朝ごはんではなかった。
不安でいっぱいだった子が、自分の手で小さな世界を歩き始めた日だった。
次は、なんの記念日ができるだろう。
今日ここからまた、私たちは二人なりの親子の冒険の続きを歩いていく。
隣で。
時には、少し後ろで。
小さな冒険家が旅に出られるように、私はこれからも、安心というハンコを何度でも押していきたい。
そしていつか、そのハンコがいらなくなる日が来たら、少し寂しくても、ちゃんと喜べる母でいたい。
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