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古い回路も、私への愛だった

「私の感性を大切にする」について思いを馳せる。

サカナクションの一郎さんが言っていた「周りが評価していなくても自分の音楽が絶対いいって信じてた」みたいなのって、私には無理って思ったけど、

それも私的な体感だと、自分の感性を大切にする、に当てはまるのかなって思った。



そしてそれは、感動とか、美しいとか、そういう「キレイ」で「周波数が高そう」なものだけではなくて、

嫉妬とか、無価値観とか、欠乏とか、そういう回路を持っている自分を通して感じたものも、

私が大切にしたい、「自分の感性」に入れていいのではないかと思った。



大事に握りしめるのではなくて、その瞬間の自分が感じていることを愛おしむというか、慈しむというか。

今までそれは眠っていて手放すべきもの、ダメなものと捉えていたけど、

それを握っている自分も含めて、そのときに自分が感じているすべてが尊いのではないかという想いが湧いてきた。



嫉妬している私も、欠乏を感じている私も、今この瞬間、自分として存在している尊いもの。

そうやって抱きしめたうえで、 それを真実として握り続けるのか、 静かにほどいていくのかを選べる。


この「選ぶ」は意識的に選ぶというよりも(ときにはそういうことも必要かもしれないけど)

愛おしんで見ているうちに、もう握る必要がなくなっていた

という形になるようだ。

これは選択ではあるけれど、力んだ選択ではない。

植物が枯れた葉を自然に落とすような、身体の奥で起きる選択に近い。



ネガティブな反応は、過去の自分を守るために身につけた反応であることが多くて、だから回路は、私を苦しめたくて動いているわけではなくて、

古い方法で、今も一生懸命自分を守ろうとしている。


そのときに、

「またこんな回路が出た。手放さなきゃ」
と急いで消そうとすると、回路から見ると、さらに危険が増える。

「この感情を感じている私すら、受け入れてもらえない」
という状態になるから。

反対に、

「反応がなくて寂しかったんだね」
「価値がないように感じて、怖かったね」
「そう感じている私も、今ここにいていいよ」

と迎えると、内側に少し安全が生まれる。
すると回路は、「あれ、この警報を鳴らし続けなくても大丈夫なのかもしれない」と理解し始める。

それが、
「回路の役割が少しずつ終わる」
ということ。


本来の自分は、欠乏や無価値感そのものではない。でも、欠乏を感じる自分を排除したところに本来の自分がいるわけでもなく、

その反応を抱きしめられる、もっと広い自分。
嫉妬も、悲しさも、喜びも、全部を眺めながら存在できる自分。

そこに戻っていく。


「抱きしめたら、すぐ消えるはず」
「まだ反応するから、回復していない」

と考えると、また自分を修正する方向へ戻ってしまう。

同じ回路が何度出てきてもいい。
そのたびに、

まだここにいたんだね。大丈夫だよ。

と触れていく。

すると、あるとき振り返ってみたら、
以前ほど強く握らなくなっている。

手放した瞬間がはっきり分からないまま、
自然と反応が薄くなっている。

これが、私が今感じ始めている
「手放そうとしなくても、愛の中で自然にほどけていく」
ということらしい。



眠っている概念、意識、回路を握りしめている自分も、

全てをひっくるめて美しく尊く慈しみの対象となるとなるもの、と感じると、

「それを修正しなきゃ」という視点が入ってこない。

それこそが、今の私に重要なテーマなのだと感じる。



それを踏まえると、私の中にずっとある、

「心から繋がる仲間・友達がほしい」
「男性に女性として愛されたい」
「私の発信に反応してほしい。私の大切にしている気づきや体感が、誰かに素敵な影響を及ぼしてほしい」

というネガティブな感情を発生する回路は、

私が愛されている実感を得ることで、自分を守れる気がして、それを外側に求めていたってことなのかな。


外側の現実から、「自分が愛されている」という感覚を得ようとしていた回路。

愛されていない感覚から、自分をなんとか守ろうとする回路。

それって自分への愛だよね。
古い回路も、私への愛だったのだ。


頭ではわかっていたけど、もう一段階腑に落とせそうな気がする。

欠乏が上がってきたとき、古くから慣れしたしんで使ってきた、愛の回路を慈しむ。


🤲📚️🌌✨️


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