終末夜話 27
第6章 ~今宵雨が降れば
8月1日に「楠」に行くと聞いてから、貴仁と由紀子の顔をろくろく見ていない。
もちろん口を利いてもいない。
何も言わず、その日が来たら行けばいい。陸はそう思っていた。
貴仁はともかく由紀子は毎日心配して、陸の顔を見るたびにあれやこれやと世話を焼いてくることに陸は少し腹を立てていた。
何をしても、
何を言っても、
もう陸の心には入ってこない。
頭の中にあるのはあの日、篠津先生を熱く見つめる由紀子とふたりの足がテーブルの下で絡み合っていたと言う事実。
あんなに心配してるけど、きっとそんなでもない。あれはフリだ。
だってぼくが「楠」に行ったらお母さんは篠津先生の所に行くはずだから。
なにもかもが嫌だった。
わがままなのだろうか。自分の。
よその家はこんなことで揉めたり泣いたり怒鳴ったりしないのだろうか。
イヤナライヤッテ、イッテミタラ
ソウイウワケニハイカナイノヨ
ア、ソ。
もう無理だ。
ぼくにはもう無理。
明日から夏休みだ。
テレビの天気予報が何日か前から騒いでいる。今年は梅雨明けが遅くて、ダラダラとだらしなく降る雨が続いていた。
「はい♪週末のお天気、お伝えします。」
呼び掛けられた天気予報の女性が、天気を説明し始めた。
「先日からお伝えしている今日の午後からの雨。やはり梅雨明け前の危険な雨になりそうです。この時期起こるこういった大雨は警報級なことがしばしばあり、○年前にも各地に爪痕を残しています。
少しでも危険を感じたら外出したりせず家に居ることをおすすめします。
また、注意報、警報等テレビやラジオで確認してください。
この雨が抜けますと、太平洋上には高気圧の波が次々に押し寄せてきましていよいよ梅雨明けとなりそうです。
気温の変化に体がついていくのが大変かと思います。水分など気にして摂るようにしてください。
以上、お天気でした。」
陸はこの何日間かで、明らかに痩せた。
見ていればわかる。
頬も少し痩けたように見えるし、手首も肩も頼りなくなった。声をかけても返事はろくろく帰ってこない。
「陸、ごはんもう少し食べて。」
「要らない。」
「じゃ、牛乳飲んで。」
「要らない。」
「ねえ!」
手首を掴んだ。細い。
「離して!」
「ねえ、痩せたでしょ?
ごはんだってろくろく食べてないし、
夜だって、ちゃんと眠れてるの?
勉強してるの?」
そんなこと、お母さんには関係ない。
ぼくがどうなるかなんて関係ないに決まってるじゃないか。
「行く時間だから。」
由紀子がつかむ力が緩んだ。
「いってきます。」
鞄を持って靴を履いて
玄関を出た。
ネエ…
こんな家
イキマショウ
こんな家族
ミンナアナタヲマッテル
なくなったって、誰も困らない。
アナタハ
誰も泣かない。
ワタシタチノナカマダワ
だってホンモノじゃ、ないし。
ワタシタチハ、アナタヲシンジテルどうせ人形の家だ。
小さな声に毎日話しかけられている。ぼくの頭はきっとおかしくなったんだ。
環境に適さなくなって、崩壊したのにちがいない。食欲もなくて夜もあまり眠れていないように感じて、頭がいつもぼーっとして何も入ってこなくなった。
終了式が終わった頃から、ポツリポツリと雨が降ってきた。
言ってたのより少し早い降り始めに先生も少し急いで成績表を配り夏休みの注意事項を話すと、解散してよしと合図した。椅子や机をガタガタと鳴らし立ち上がると、クラスメイトのほとんどが学校の前の林道に車を止めて待つ家族の下に走って行った。
自転車で帰る人も、
陸と同じようにバスで帰る人も、
皆それぞれ急いでいた。
陸はいつも通り、図書室に寄った。
「半井くん。早く帰ったほうがいいわ。」
司書さんの言葉に陸は短く返事を返してそれでもいつもの座席に歩いて行った。
夏になったら、抜けるような青空が広がる窓辺に今日は大粒の雨があたる。
「雨、結構降ってきたわね。」
陸はうなづいた。
「先生、ぼく、ひとつだけあの本の詩を訳しました。合ってるかはわからないけど。」
「聞かせて。」
キカセテ
「はい。」
オシエテ
空から
大王が降りてきて
以前なし得なかったことを
今度は成し遂げるだろう。
そして
七月最後の雨の夕方
私を求めるおまえの隣に
私は必ず行くだろう。
「頑張ったわね。」
司書さんが陸の肩をそっと撫でてとんとんと背中を叩くとまた、準備室に戻って行った。
七月最後の雨の夕方
それは、今日の夕方だ。
迎えに来て!
ぼくを、
ぼくをこのセカイからどこかに連れていってください。
ワカッタワ
もうここに居たくない。
ソウネ
もうここには居られない。
エエ
だって誰もぼくを見てない。
誰もぼくの話なんか聞いてない。
ぼくは「陸」でいい。
ただの「陸」でいい。
お母さんも、お父さんも、
自分のことばかり。そして、自分も自分のことばかり。
ぼくは、どうにかなりそうだ。
ワカッテル
イッテ
サイゴノコトバヲ
最後の言葉?
信じて!
ぼくはただ、ニンゲンで居たいだけ。
あの家に帰るのは
嫌なんだ!
陸は風通しの窓を開けた。
吹き込む雨の粒が顔にあたり少し顔をしかめ、それでも入ってきた風の匂いを嗅いだ。
「楠の匂い。」
雨の中でも、はっきりと感じ取れる清涼感のあるキリッとした香り。
陸は胸いっぱいに吸い込んで窓を閉めた。
座席に戻り鞄のポケットから分度器を出した。小4の時買ってもらった、ひらがなの名前の入った分度器。
左手にぎゅっと握りしめ、鞄を背負って司書さんに挨拶した。
「先生、ひどくなる前に帰ります。」
ウソバッカリ
「そうね、それがいいわ。」
センセイハ、ヤサシイワ
そう、ぼくの居場所の番人だもの。
フフフ
ダイスキナノネ
ねえ、君たちは
ウフフ、ナアニ
たんぽぽの綿毛なの?
サアテ、ナンデショウ
フアン?
不安なんかない。家にいるよりずっと、ずっと、ずっと、いい。
コワクナイ?
怖くなんかない。
ぼくは怖くなんか、ない。
終末夜話 27
つづく
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