Destiny
~映画『Michael』を観て
ずっと楽しみにしていた作品だった。
映画を観る前に、晩年の出来事や裁判、さまざまな噂を思い浮かべることは、あえてしないと決めていた。
ただ、あの音楽が生まれた世界に身を置き、その時間を静かに味わいたいと思った。
スクリーンから流れる音楽に耳を傾けているうちに、初めて『ベンのテーマ』を聴いた日のことがよみがえった。
あの頃の私にとって、その声は、耳から聴こえてきたのではない。
胸のいちばん静かな場所に、そっと降りてきた。
「こんな声があるのか」と息をのみ、その余韻は長い間、心の奥に住み続けた。
Jaafar Jacksonも素晴らしかった。
単なるものまねではなく、Michaelへの深い敬意が感じられ、気づけばその人柄にも惹かれていた。
音楽もダンスも、もちろんよかったけれど
心に残ったのは、父親との関係。
自由になりたいと口にしたあの場面。
胸が痛んだ。
I have to shine my light
spread love and joy to heal
that's my destiny.
Destiny
ふいに耳に入ってきた一つの言葉に、なぜか心がざわついた。
日本語の「運命」という意味より先に、Destinyという音そのものを受け取っていた。
その言葉を口にした声のトーンが、不思議なくらい自分の波長と重なった。
一瞬、ぞくっとした。
なぜ自分は、あの一言にこんなにも反応したのだろう。
映画を観終わったあとも、その言葉だけがずっと胸の奥に残っていた。
いつの間にか、自分の人生に重ね合わせていた。
もちろん自分とは何もかも違う。
才能も環境も、生きてきた世界も違う。
けれど。
自分のDestinyとは何だったのだろう。
Destinyは、生まれたときに見えているものではなく、長い時間をかけて少しずつ形になっていくものなのかもしれない。
ただ日々を生きる。
目の前のことに追われたり、時には迷ったり、遠回りをしたりしながら、少しずつ自分の道を歩いていく。
好きなことを続けてきた時間。
うまくいかなかった時間。
諦めたこと、失ったこと、思うようにならなかったこと。
そのすべてを抱えながら長い時間を生きていくうちに、ある日ふと気づく。
人生とは、何かになるために急ぐものではなく、
長い時間をかけて、自分が何者なのかを知っていく旅なのだと。
私は、誰かに見せるために何かを作るよりも、
ひとり工房にこもり、布に触れ、ミシンを踏み、構造を考え、何度もやり直しながら少しずつ形にしていく時間が好きだ。
音楽を作る人にスタジオがあるように、
私にはこの小さな工房がある。
ここで私は、服を作っているようでいて、本当はずっと自分自身を作っているのかもしれない。
もう私は十分迷ってきた。
迷いすぎて、立ち止まっている時間が長すぎて、もう何もかも嫌になったりした時もあった。
でももう急がなくていい。
長い時間をかけて、ようやく本当の自分にたどり着いた気がする。
これから先は、誰の人生でもなく、自分の人生を縫っていけばいい。
ずっと私の中にあったものを、そっと差し出すだけなのだ。
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